第6話 王都の使者と、裏切りの報せ
森を抜けた瞬間、焦げた風が頬を打った。
空は鈍い赤に濁り、地平の彼方で煙がゆらめく。
辺境の神殿――リオたちの拠点のある方向だった。
「間に合え……!」
リオは〈全域補助〉を展開し、風の流れから情報を拾う。
煙は三筋。ひとつは東の防柵、もうひとつは倉の屋根、最後は……神殿の鐘楼。
「燃えてるのは“灯の倉”と“鐘”。けど、村の空気はまだ生きてる。全滅じゃない」
レイナが剣を抜きながら応じる。
「敵はどこから?」
「王都側の部隊。――だが、斬るだけが目的じゃない。何かを“回収”しに来てる」
ミレイが唇を噛んだ。
「灯を奪う気……?」
リオはうなずく。
「“支えの力”を、研究素材に戻そうとしてる。――王都〈研究院〉の連中だ」
神殿に戻ると、広場に人の姿があった。
燃え落ちた鐘楼の前で、兵たちが整列している。
その中央に、銀糸の制服を纏った男が立っていた。
胸には〈王都研究院〉の紋章。
「おかえりなさい、リオ=クライン補助術師」
穏やかで、冷たい声。
「我々はあなたを“再招集”に来た」
「……再招集?」
リオが一歩踏み出す。
男は微笑んだ。
「あなたは王都の登録術師。今も籍が残っている。
無断で辺境に“私設研究体”を設立した行為は、重大な規律違反だ」
ミレイが怒りを押し殺して言う。
「この場所は“研究体”なんかじゃありません。――生活です!」
男は肩をすくめた。
「呼び名などどうでもいい。問題は、“王の許可なく国を作った”ことだ」
レイナが剣を半ば抜く。
だが、リオが手を上げて制した。
「……俺を連れて帰る、それが目的か?」
「いいえ」
男の笑みが深くなる。
「あなたの“記録”を、王都に引き渡してもらう。
〈全域補助〉の“記録層”。それさえあれば、あなたなど不要です」
リオの胸が冷たくなる。
――“記録層”。
エルフィリアから託された、支えの歴史そのもの。
奪われれば、再び“支え”が支配の道具にされる。
「拒否したら?」
リオの声は静かだった。
男は指先を鳴らす。
兵たちが前に出る。
そのうちの一人が、見覚えのある顔をしていた。
「……まさか」
髪は短く刈られ、瞳の光は薄い。
けれど、その声――。
「久しぶりだな、リオ」
勇者ルーク。かつて彼を追放した男だった。
「王都の命令だ。お前の“力”は、国の未来のために使う。
俺たちは間違ってた。……だが、今度こそ正しく使う」
リオは目を伏せる。
「“正しく”か。――誰にとって?」
「民にとって、王にとって、そしてお前自身にとってだ」
「違う。支えは“誰かのため”に使うものじゃない。
“共に生きるため”に使うんだ」
レイナが一歩前に出る。
「勇者ルーク。補助術師の剣は、もうお前の前には立たない。
――今度は、“支える側”の盾として振るう」
ルークの瞳が揺れる。
「……リオ。俺は、お前の力を羨んでいたんだ。
誰よりも静かに、誰かを強くするその力を」
その声には懺悔があった。
だが次の瞬間、王都の使者が冷たく言い放つ。
「情は不要だ。回収を始めろ」
兵たちが動く。
リオは両手を広げ、〈全域補助〉を最大展開した。
「〈全域補助:幕〉――“理解”の屈折。ここは、“まだ燃えていない”」
周囲の風景が揺らぐ。
炎は色を失い、兵たちの目には“無人の廃墟”しか映らなくなった。
「彼らには“焦げた未来”しか見えない。――今のうちに動け!」
レイナが地を蹴り、ミレイが祈りを走らせる。
「〈支えの環〉――結界再起動!」
地の下から光の輪が広がり、神殿と倉を包む。
ミレイの祈りに呼応して、リシェルが現れた。
「遅れてすみません! 癒しの風を!」
彼女の光が倉を覆い、炎を鎮めていく。
リオは胸の中の“記録層”に呼びかけた。
「記録よ――支えるべき“今”を刻め」
補助の光が走り、王都の兵たちの動きを鈍らせる。
足取りが重くなり、剣の軌道が遅れる。
それは攻撃ではない。
“暮らしの速度”を取り戻させる支えだった。
やがて、王都の使者が苛立ちを露わにした。
「無駄だ。君たちの理想は、記録の中で朽ちる!」
彼の腕輪が光り、黒い装置が地面に突き刺さる。
圧縮魔力の封印装置――リオたちの〈支え〉を反転させる罠。
「“支える”を“縛る”に変換する術式か……!」
リオが手を伸ばす。
だが間に合わない――
「下がれ!」
レイナが身を投げ、剣を突き立てた。
爆発の閃光。
彼女の外套が焼け、風が逆巻く。
リオは即座に補助を重ねた。
「〈全域補助:癒〉――痛覚遮断、再生導線固定!」
レイナの瞳が揺らぎながらも笑う。
「支え合う約束、忘れてないぞ」
「……ああ、俺もだ」
炎がやみ、煙の向こうで王都の使者が退く。
「今日はここまでだ。だが、王は“君の国”を正式に敵と見なした。
次に会うときは――王国軍全体が相手になる」
彼は一礼し、兵を連れて去っていった。
残された静寂の中で、風が鐘楼の破片を揺らした。
ミレイが崩れた壁にもたれ、震える声を漏らす。
「……敵、王都全体……どうすれば」
リオは膝をつき、彼女の肩に手を置いた。
「戦うんじゃない。“支える範囲”を広げる。
俺たちが灯したものを、各地に結んでいけば、
王都は“壊すより先に、支えなければならない”世界になる」
リシェルが祈りを捧げる。
「次は、王都の中にも灯を運びます。祈りは、壁を越えますから」
レイナが笑う。
「お前たちが“祈りと灯”を運ぶなら、私はその前で剣を振るう。
この剣は、もう国のためじゃない。――支える者たちのためにある」
リオは立ち上がり、焦げた空を見上げた。
「戦わない戦いを、始めよう。
支えの国〈ユグドリス〉――ここから本当の建国だ」
夜。
神殿の再建作業の合間、セリアの声が静かに響く。
「王都の動きは、止まらないでしょう。
でも覚えておきなさい、リオ。
“支え”は戦いに勝つための力じゃない。
“負けても、生き残る力”よ」
リオは微笑む。
「わかってる。――だから、俺たちは生きる」
星の光が、まだ煙る空を貫いた。
その光の先には、まだ見ぬ都市。
次の地平に、“灯の連鎖”が待っている。
(第7話「侵略軍襲来、補助術の逆転戦」へつづく)
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