真面目な私が風魔導士に絆されるまで
御子神 花姫
第1話 氷の姫君と風の魔導士
アルセリア魔法学院の入学式は、毎年“空に浮かぶ湖”の上で行われる。
透明な魔力の膜が湖面を支え、光が空気の粒に反射して輝いていた。
白い尖塔群が水面に映り、風が通るたびに学院全体が呼吸しているように見える。
——魔法の国で最も名高い学院。
そこに立つ自分の姿を、少し誇らしく思った。
「魔術科主席、リィン・フェルディア」
名を呼ばれ、私は静かに壇上へ上がった。
礼儀正しく一礼。完璧な所作。
父にも母にも恥じないように。
だが、次に続いた声で、その決意は揺らいだ。
「魔導科主席、アシュレイ・クロード」
ざわめきが走る。
観客席から女子の悲鳴のような歓声があがり、
その中心に、金髪の青年が笑顔で手を振りながら歩み出てくる。
(……軽い。軽すぎる)
彼は壇上に上がるなり、私に向かって軽くウィンクした。
「やあ、“氷の姫君”。よろしく頼むよ」
「……その呼び方、どこで知ったのですか」
「学院の噂掲示板。入学式前からトレンドだったよ?」
「不本意です。訂正を求めます」
「じゃあ、“うちの主席さん”で」
「より悪化しています」
口調は軽いのに、瞳の奥だけは静かに燃えている。
まるで風の中心だけが止まっているような、奇妙な安定感。
その瞬間、私は悟った。
——この男、油断ならない。
「模範魔法の実演を始め!」
司会の声が響く。
同時に、私は詠唱を開始した。
空中に青白い光の陣が組み上がり、氷結の構文式が展開される。
完璧な構築。練習通り。
指先に魔力の冷たさが集まっていく。
対してアシュレイは、詠唱をしない。
軽く息を吐いて、指を鳴らす。
風が柔らかく舞い、私の魔法陣の外周をなぞるように回転した。
「……?」
「君の式、精密で綺麗だね。少しだけ、触ってもいい?」
「やめ——」
風が触れた瞬間、氷の陣が淡く輝く。
崩壊ではない。調和だった。
理論構築式が、感応魔法と共鳴している。
「何を——っ」
「試してみたかったんだ。理論と感応の共鳴」
「非常識です!」
「常識だけで魔法が作れるなら、学院いらないよ」
その軽口に、思わず言葉が詰まる。
風と氷がぶつかり、光が弾けた。
観客席が息を呑む中、風が静まり、光だけが残った。
彼が笑う。
「引き分け、かな?」
「……いえ。私の負けです。詠唱に一瞬の乱れがありました」
「真面目だなあ。じゃあ、ご褒美にひとつお願いしていい?」
「却下です」
「まだ言ってないよ?」
「内容が不安なので却下です」
彼は笑った。
その笑みは陽光のように明るく、少しだけ、癪に障った。
——風の魔導士、アシュレイ・クロード。
学院生活は、間違いなく彼と競い合う日々になる。
そしてその予感は、不思議な胸の高鳴りを伴っていた。
***
模範魔法の翌朝、学院掲示板には大きな見出しが踊っていた。
『氷と風、共鳴す! 入学式で光の奇跡!?』
(……誰が書いたの、これ)
読めば読むほど顔が熱くなる。
見出しの下には「魔術科主席・リィンと魔導科主席・アシュレイ、早くも共同魔法!?」と書かれており、
その下には生徒たちのコメントがずらり。
『 「あれは恋の始まりか?」
「氷の姫君が赤面した瞬間を見た!」 』
(してません!赤面なんてしてません!)
朝から頭痛がする。
私は額を押さえながら食堂に向かった。
アルセリアの食堂は、巨大なステンドグラスの天井から光が差し込み、浮遊トレイが行き交う不思議な空間だ。
香辛料と魔力の匂いが混じり合い、半透明のスープに虹が映っている。
空いた席を探していると、背後から馴れ馴れしい声がした。
「お、フェルディア嬢。いい朝だね!」
聞きたくなかった声、第一位。
「……クロード。あなた、どの口で“いい朝”と?」
「いやあ、僕のおかげで学院全体が明るい雰囲気になったじゃないか」
「“おかげで”じゃありません。混乱の元です」
「混乱は進化の母だよ?」
「もう少し常識の母を大事にしてください」
アシュレイはにこやかに笑い、私の向かいに座った。
トレイの上には何故か浮遊するオムレツ。
ふわふわと揺れて、時折きらりと魔力が光る。
「それ、浮かせる必要あります?」
「あるよ。重力に縛られない朝食って、ロマンだろ?」
「食べづらいだけです」
「食べるんじゃない、感じるんだよ」
「では感じてください。遠くの席で」
「ひどいな。せっかく仲良くしようって来たのに」
「その“仲良く”があなたの辞書では“挑発”の意味なのでは?」
アシュレイは少しだけ目を細めた。
その瞬間、彼の軽口の裏に潜む真剣さが、ふっと顔を出す。
「……僕、本気で君に勝つつもりなんだよ」
唐突な言葉に、息を呑んだ。
いつも軽薄な笑みを浮かべる彼の目が、今だけは違う。
まっすぐで、曇りがない。
「勝負を仕掛けてくるのは構いませんが、勝てると思っているなら楽観的ですね」
「楽観的なのは生きる才能だよ」
「……またそれですか」
「でも、負けたくないんだ。君、すごく綺麗だから」
「な——っ!?」
いきなりの直球。
思わず手にしていたカップを落としそうになり、慌てて魔力で支える。
周囲の生徒たちがざわついた。
「あ、あなた、今なんて……!」
「え? 綺麗って言っただけだよ。比喩じゃなく、事実として」
「そんなことを公衆の面前で言わないでください!!」
「じゃあ、二人きりのときに言えばいい?」
「それはもっと駄目です!!」
机をバン!と叩くと、周囲の浮遊トレイが一斉にひっくり返り、
空中をスープとパンが優雅に飛び回った。
悲鳴と笑い声の混じる中、私は顔を覆う。
——もう、朝から最悪。
「ごめんごめん、怒らせるつもりじゃなかったんだ」
「……あなたの“つもり”は信用できません」
「じゃあ罰として、今日の演習、僕と組もう」
「は?」
「お互いの実力、知っておくべきだろ? 先生の許可も取ってある」
「勝手に決めないでください!」
「だって君、僕以外と組めないだろう?」
「……っ!」
図星。
理論型の私と感応型の生徒は、根本的に相性が悪い。
リィンほどの力があるとアシュレイ以外と組むと演習どころではなくなる。
おそらくアシュレイはそこまで見抜いている。
(腹立たしい……!)
けれど、彼の瞳には挑戦の光が宿っていた。
風と氷。
理論と感応。
きっと相容れないはずなのに、どこか心がざわつく。
「——いいでしょう。後悔しないでくださいね」
「しないよ。君となら、楽しい実験ができそうだ」
「実験ではありません。授業です」
「じゃあ、“実験的授業”ってことで」
口角を上げて笑う彼に、言葉を失う。
不覚にも、ほんの少しだけ胸の奥が熱くなった。
「リィン、顔赤いよ?」
「赤くないです!!」
——こうして、私の学院生活は波乱の幕開けを迎えたのだった。
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