第7話 風の都と嵐の晩餐

 砂の国を後にして三週間。

 俺たちは、風の都――ヴァリウスへたどり着いた。

 その町は山腹に築かれ、常に強い風が吹いていた。

 通りを歩くだけで、砂埃と布のはためく音が混ざり合う。

 だが、その風はどこかおかしかった。


「……耳が痛いな。」

 風の音が甲高く、まるで怒っているようだ。

 エルナがマントを押さえながら言う。

「この風、何かに怯えてるみたい。」


『自然が怯える、か。いい感覚だ。』

 ルーファスが低くうなずく。

『風の精霊が乱れている。人の争いが、風の流れを壊したのだろう。』


 俺は空を見上げた。

 雲は千切れ、鳥の飛ぶ影もない。

 風は冷たく、街の人々は扉を閉ざして家に籠もっていた。


「……料理人の出番だな。」


 広場の中央には、大きな風見塔が立っていた。

 その根元に、ひとりの老僧が座り込んでいた。

 白い髭に灰のような顔。手には壊れかけた笛。


「お前さん、旅の者か。」


「はい。料理人です。」


 老僧は目を細めて笑った。

「なら、頼みがある。風が泣いておる。都を包むこの嵐を、静めてくれ。」


「……料理で?」


「風の精霊は香りを食う。昔は祭のたびに“香の宴”を開いていたが、いまは忘れ去られた。」


 俺は胸の奥で何かが響くのを感じた。

 料理で人を救ってきたが、自然を救うという発想はなかった。

 だが――やるしかない。


「香りを鎮める晩餐。わかりました。」


 まずは材料集めだ。

 風が通り抜ける丘に、紫色の草花が咲いていた。

 指でちぎると、柑橘のような香りが広がる。

 それを籠に集め、次に岩場で小さな木の実を拾う。

 甘くも苦い香り。風が好む匂いだとルーファスが教えてくれた。


 最後に、山の上の神殿でエルナが見つけたのは、青く透ける石。

「これ、冷たい……水晶みたい。」


『風の核だ。精霊の涙とも呼ばれる。』


 俺はそれを手に取り、心の中で呟いた。

「なら、これを“塩”の代わりにしよう。」


 夜。

 塔の下で、即席の竈を組む。

 風は荒れ狂い、髪が舞い、鍋が鳴る。

 それでも俺は火を灯した。

 火が揺らめくたび、風が一瞬だけ怯む。


「風よ、少し黙っててくれ。いい香りを作るから。」


 鍋に油を垂らし、香草を炒める。

 次に木の実を砕いて入れ、火を弱めて煮込む。

 やがて、風の音が変わった。

 さっきまで怒り狂っていたのに、今は様子を伺うような低い音だ。


『……匂いが風に乗っている。効いているぞ。』

 ルーファスの声に、エルナが頷いた。

「風が……笑ってるみたい。」


 鍋の中で、青い光が生まれた。

 香草と果実と風の核が融合し、空気がやわらかく震える。


【饗宴創造 発動】

【生成物:風宴のスープ】

【効果:周囲の風圧安定/精霊共鳴率78%】


 スープから立つ湯気が、旋律のように空へと昇っていく。

 まるで音楽のように、風がその香りを舐め取り、塔の先へと舞い上がる。


 そして――空が静まった。


 嵐が止んだ。

 長いあいだ荒れ続けていた風が、嘘のように穏やかになる。

 街の人々が戸を開け、外へ出てきた。

 老僧が笛を吹き、子どもたちが笑い声をあげる。

 風の都が、ようやく“息をした”。


「……成功だな。」


 ルーファスが言うと、エルナが肩で息をしながら笑った。

「風が歌ってる。こんな音、初めて聞いた。」


 俺も空を見上げた。

 星が現れ、風が髪を撫でた。

 まるで「ありがとう」と言っているように。


 夜更け。

 塔の上に登ると、風が心地よく吹き抜けていた。

 ルーファスが隣で口を開く。


『お前の料理は、もはや人や国を超えている。自然までも癒やすとは。』


「癒やしてるんじゃない。ただ、思い出させてるだけさ。」


『思い出させる?』


「風だって、昔は人の歌を運んでた。争いや怒りを運ぶためじゃなく、香りや笑い声を運ぶために。

 ……だから、ほんの少し“あの頃の匂い”を作ってやれば、風は戻ってくる。」


 ルーファスは目を細めた。

『人間という種を、ずいぶん深く見ているな。』


「料理人だからな。人の腹の中を知るには、心の中も見なきゃいけない。」


 下を見ると、広場では人々が火を囲み、スープを分け合っていた。

 老僧が笛を吹き、子どもたちがその周りで踊っている。

 その匂いがまた風に乗り、都全体を包んでいた。


 ウィンドウが開く。


【称号:風を鎮める者 を獲得しました】

【スキル進化:祝祭精霊 → 四季調和】

【新効果:料理によって天候を変動/感情共鳴率+30%】


「……天気すら変えられるようになったのか。」

 俺は苦笑した。

「だったら、次は“雨”を呼ぶ料理でも作るかな。」


『欲深いな、ユウタ。』

「職業病だよ。世界中の味を見たいんだ。」


 エルナが塔の階段を上ってきた。

 頬を赤らめ、息を弾ませながら言う。

「ユウタ。みんな、あなたにお礼が言いたいって!」


「じゃあ、もうひと皿作らなきゃな。」


 俺は笑い、手にした鍋を軽く叩いた。

 ――風が応えるように、ふわりと香りを運んでくる。


次回 第8話「雨乞いの饗宴 ― 泣く空に、笑う料理人 ―」


干ばつに苦しむ平原で、ユウタは“雨を呼ぶ一皿”に挑む。

だが、その背後では“料理の神”を名乗る謎の男が動き出していた――。

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