第十二章 記録の中の声

第十二章 記録の中の声

翔子はその場から動けなかった。 足が床に縫い留められたように重く、息が喉に詰まる。

光輝が、目の前に立ちはだかった。 「……来るな」

その瞬間、記録室の壁一面に設置された書庫から、ファイルが一冊ずつ、音もなく落ち始めた。

パサリ、パサリ。

神田が叫ぶ。 「記録が――崩されてる!」

一冊、一冊。 誰かの名前が記されたファイルが、開かれるたびに空白になる。

文字が消えていく。 まるで、名前そのものが“忘れられていく”ように。

翔子が見た。 自分の名前が記されたファイルが、勝手に開かれ、そこに“削除予定”と朱色の判が押される瞬間を。

「嫌……私は、まだ……!」

と、その時だった。

闇の中からもう一人の少女の声がした。

「翔子は、渡さない」

風鈴の音が止まり、書庫の中に光が差した。

そこに立っていたのは、かつての美紀――ではなかった。

顔が半分、影に溶けていた。 だがその目だけは、翔子をまっすぐに見ていた。

「……記録を消される前に、声を残して」

翔子は、その言葉の意味をまだ理解できなかった。 だが、胸の奥が何かを強く訴えていた。

“ここにいる”という証。 忘れられないために残すべき、“声”。

翔子は、震える声で言った。

「私は、ここにいる」

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