第6話 風の記憶
──風が吹いていた。
静寂の中、ただ一筋の風が、どこまでもまっすぐに吹いていた。
シンは、目を覚ましたわけではなかった。
だが、意識は確かにそこにあった。
ふと、誰かの声が届く。
「気ぃついた?」
金の光の中に立つ少女──否、彼女はもう“女性”と呼ぶべき気配を帯びていた。
「また出たな……神秘の関西弁女……」
「神秘てなんやねん。変な名前つけんといてや」
アビーは苦笑しながら、シンの前に歩み寄った。
「さっき言うたやろ? これは夢やない、“問い”やって。
せやから今のあんたは、ちゃんと本音で喋れるんよ。
隠してることも、誤魔化してることも──ここでは全部、通じへん」
シンは静かに腕を組む。
「じゃあ……ほんまにあんたは、神の使いかなんかなわけ?」
「ちゃう。
けど、願わくば、“あんたが迷わんように”って祈ってるもんや」
アビーの声には、やわらかく、それでいて確かな芯があった。
「ここから先、あんたは“よう見えへん道”を進むことになる。
明るくもない。誰かが拍手してくれる道でもない。
でもな、その道の先には、ちゃんと“誰か”が待ってる」
「誰か?」
「それは、あんたが出会うていくもんや。
“選ばれた者”やない、“選び取りにいく者”だけが見つけられる」
「なんや……抽象的やな」
「夢やもん」
ふわりと笑って、アビーは指先で空をなぞった。
白い霧に、風の線が一筋、描かれる。
「迷うたら、三つ数えて風に問え。
息を吸うて、止めて、吐く。心が静まったとこで、もう一回だけ“主は見捨てへん”て言うんや」
「おまじない、か」
「稽古や。体が覚えたら、いちいち気合い入れんでも動けるやろ」
風の線が消え、西だけが濃く残った。
「……待て、まだ──」
呼び止めた声に応えるように、彼女は一言だけ、静かに残した。
「また会えるよ。あんたが求めるなら、何度でもな」
霧が再び満ち、風が吹く。
そして光が消え──シンは、目を覚ます。
◇◇◇◇
「ハッ!」
シンは、焚き火のかすかな爆ぜる音と共に目を開けた。
いつの間にか、身体が冷えている。
(……夢、か。よう分からんけど……何やろな)
熾火はまだ生きている。灰を寄せ、未燃の小枝を埋めて火種を守る。
手は勝手に動く。訓練の残響だ。
風上に顔を向ける。湿り気の匂い。
「……水、あるかもな」
乾いた地表に指で線を引き、灰と砂の流れで風向を読む。
西へ、わずかに冷たい層。
(……美人やったな。外国の人……でも知り合いおらんし……欲求不満か?)
ひとりごちて、ふっと苦笑する。
(まあ……少しでも身体、休めんとあかんな)
壁に背を預け、警戒心だけを残したまま、まぶたがまた重くなる。
風が微かに、彼の髪を撫でる。
夜は、まだ深いままだった。
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