第4話 悪食レベルアップ
この時、俺と若者二人は、まだ気づいていなかった。
俺の段ボールハウスを破壊したモンスターが背後から迫っていた事を……
「よし、完璧だ! いっちょ上がり」
俺が満足感に浸りながらティピーテントの仕上がりを確認したその瞬間、背後の暗がりから、ヒュッという空気を切り裂くような音がした。
「ッ!?」
思わず振り向いた俺の視界に飛び込んできたのは、巨大なネズミだった。体長はゆうに一メートルを超え、全身の毛皮は汚れた茶色。目だけが不気味なほど赤く光り、鋭い牙を剥き出しにしている。
その巨大ネズミ――キングラットが、五体。
一斉に低いギギィという声を上げながら、俺たちを包囲するように散開した。暗闇に溶け込んでいたそいつらは、間違いなく、俺の段ボールハウスを破壊した犯人だろう。
「や、やべぇ……」
俺は、最弱のスライムにすらビビる男だ。初めて見る、明確に殺意を向けてくるモンスターに、俺の足は地面にへ張り付いたように動かない。全身の毛穴が開き、冷や汗が噴き出る。
そのとき、横にいた若者――ユウタが、妙に冷静な声で解説を始めた。
「キングラットっすね。F級ダンジョンに一番多く生息してる雑魚ですけど、繁殖力がヤバい。それに、五、六体の群れで行動するんで厄介なんすよ」
「雑魚って…あんなのが五匹もいるんだぞ!」
「大丈夫っす。コウジがいるんで」
ユウタは慌てることなく、スマホを固定する三脚の角度を微調整し、配信の準備を整えている。
そして、コウジと呼ばれたもう一人の若者は、ユウタの言葉通り、キングラットの群れに動じる様子がない。
コウジは、腰のホルダーに差していた黒い金属製の棒を取り出した。長さ二十センチほどの、ただの鉄の筒に見える。
キングラットの群れが、地面を蹴って突進してくる。殺意を伴う俊敏な動きだ。
「ジャキン!」
コウジがその鉄の筒を突き出した瞬間、機械的な音を立てて先端から細身の槍が飛び出した。約一メートルほどにまで伸長したそれは、警棒のように頑丈そうだ。
「なにそれ! 警棒みたいというかジェダイの騎士みたいだぞ!」
俺は恐怖を忘れ、心の中で興奮した。
(伸縮式のポールか! これなら携帯性に優れている。テントを立てるポールにも、物干し竿にもなる。欲しい!)
コウジは小さく舌打ちすると、短槍を構えた。彼の構えには、無駄がない。
先頭のキングラットが、跳躍してコウジの喉元へ襲いかかる。
「ふっ!」
コウジは短槍を正面に突き出した。金属が肉を貫く鈍い音。キングラットは、その勢いを殺すことなく、首元を貫かれたまま、コウジの足元に力なく落ちた。
同時に、残りの四体が左右から襲いかかる。キングラットの群れは、仲間の死を気にしない。ただただ、目の前の餌を貪ろうと連携する。
コウジは後退せず、その場でクルリと体を半回転させた。短槍を横薙ぎに払い、一匹の腹を切り裂く。ギャッ! という短い悲鳴とともに、ネズミは岩壁に叩きつけられ、沈黙した。
(なんだ、この身のこなし……)
それは、喧嘩や素人の格闘とは違う。まるで、舞台や映画の殺陣を見ているようだった。無駄がなく、流れるような動作。俺が昔、ドラマの撮影で見ていたアクション俳優も、ここまでは洗練されていなかった。
残るは三体。
二体が同時に左右から飛びかかり、最後の一体が背後から回り込もうとする。完璧な群れの連携だ。
コウジは動かない。
短槍を握る手に力を込めると、正面から来た二体に向かって思い切り叩きつけた。
ガァン!
鉄の棒は、ネズミたちの頭蓋骨を正面から強打し、二体は甲高い悲鳴を上げながら、昏倒した。
残るは一体。俺たちの背後に回り込んでいたキングラットが、チャンスとばかりに跳躍する。
コウジは短槍を素早く縮めると、振り返りざま、再び短槍を伸長させた。
ジャキン!という金属音。
槍は空中で跳躍したネズミの心臓を射抜き、そのまま岩壁に縫い付けた。
ダンジョン内に、静寂が訪れた。
わずか十秒足らずの出来事だった。地面には、五体のキングラットの死骸が転がっている。
「……すげぇ」
俺は息を呑んだ。
ユウタは配信を止め、興奮気味にコウジに駆け寄った。
「コウジ、やっべえ! 今のやっべえよ! 『ジェダイの槍術』ってコメントで大騒ぎっす!」
コウジは静かに短槍を元の鉄の筒に縮めると、ホルダーに戻した。
「悪食オヤジさん。驚かせちまってすいません。俺、一応探索者のライセンス持ってるんで。護衛くらいはできますよ」
探索者……国が認めた、モンスターと戦う専門家。どうりで、あんな身のこなしができるわけだ。
そして、コウジは地面に転がるキングラットの死骸を見下ろすと、ニヤリと笑った。
「悪食オヤジさん。これ、今日の夕飯の材料ですよ」
「え? この大ネズミ、くれるの……?」
いくら悪食オヤジを自称しているとはいえ、ネズミは少々抵抗がある。
しかし、ティピーテントの横には、昨日ホームセンターで買ったばかりの、塩、胡椒、醤油が並んだ新品の調理クッカーがある。そして、俺の財布には米一合を買う金もない。
(ネズミか……まあ、皮を剥いて、丁寧に下処理すれば、食えそうではあるな。タンパク質だし)
俺がそう呟いた瞬間、ユウタが即座に配信を再開した。
「皆さん! 悪食オヤジさん、キングラットを食べる気満々です!」
コメント欄が、歓喜の文字で溢れかえる。
『ネズミ喰うのかよwww』
『まさかのネズミ料理配信』
『ユウタとコウジ、有能すぎる』
『投げ銭するわ! ネズミ処理代!』
こうして俺の悪食生活は、スライムからキングラットへとレベルアップした。
しかし、この食材が悲劇を招くことになる。
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