アーバン・レジェンド
目の前の二人、ウォルフ02こと黑金吹雪とシロガネ・グリューネヴァルトが書類を読み終えたのを見計らって、統合軍第一憲兵隊の指揮官である佐々木は口を開く。
「読んだな? そこにある通り、ウォルフ02のユニットはこれからその件についての専従になってもらう」
「ここしばらく頻発している、魔術結晶の取引を囮としたアーバン・レジェンドから統合軍に対する襲撃への対応、ですか」
確認するように書類を復唱したシロガネに頷いてみせる。
アーバン・レジェンドは魔術犯罪結社だ。
そのアーバン・レジェンドに対する捜査がこの所不発に終わっている。それも取引を囮に統合軍の戦力を削るような――要するにウォルフ02の初陣のような状況が頻発している。
すでに第五憲兵隊と第七憲兵隊が被害を被り、いくつかの連兵ユニットが活動不能に陥っているとまで報告書に記されていた。
統合軍はそれを明らかに軍そのものを狙った行動だと見なしたらしい。
「概要は理解しましたが、具体的な行動はどのようにすればよろしいのでしょうか?」
吹雪の問いかけに佐々木は苦虫を押し潰したような顔になる。謹厳実直を表したような上官がこのような態度を示すのは珍しい。
「君たちはこれからアーバン・レジェンドが関わっており、なおかつ囮であると上層部が判断した事件に派遣される。なお、それに関して部隊の所属は考慮されない」
一瞬で隊長室が冷える。所属する部隊に関係なく出動を要請されるということは、そうと判断されればどこにでも出動するということだ。
つまりは常に相手が待ち構えている状況に突撃するということになり、それは下手をすれば使い潰されるということと同義に等しい。
「この任務は私たちだけなのですか? たとえばウォルフ01などは――」
「グリューネヴァルト大尉、あれらに期待しない方がいい」
シロガネの言葉を吹雪が遮る。珍しくどこか投げやりなものを滲ませた顔になっていた。
「ウォルフ01……プラティナム1と2のユニットはな、なんというか規格外なんだよ」
苦笑を浮かべながら、溜息混じりに言葉を紡ぐ。
「あの二人はたとえば命令をしたとして、その命令の範囲内で限りなく自由に行動して最高の結果を出す。それだけ聞くと問題ないと思うだろうが、その自由の解釈が独自すぎるんだ。簡単にいえば現場を最大限引っかき回し、それでいて結果を出す。俺たちのように軍人としてかくあれかしというユニットとは連携を望むべくもない」
「それは……それはいいの?」
軍隊というのが規律に厳しいのはそれだけ大きな力を扱うからだ。銃弾の一発はたやすく命を奪い、砲弾の一撃はたやすく生活を破壊する。
だからこそ厳しい規律でそれを抑制し、暴発を防止する。個人が軍ともなるといわれている魔術機動歩兵なら、なおさらそれが必要になる。
シロガネ自身も生真面目さもあり、軍人として行動しているときはそれらを意識した立ち居振る舞いを心がけている。ここ数週間を見ていれば吹雪もそうなのだろう。
ゆえに、序列の最上位がそういう人物であるということがにわかに信じられない。
「言っただろう、規格外だと。俺はプラティナム3で序列が彼女らに次いでいる。君だってシルヴィア1でそこらの違法術者には負けない。でもな、たとえ俺たちが連兵で彼女たちのどちらか一人と当たったとしても俺たちは負ける。確実にな」
個人で連兵に勝つ。それは個の実力が大幅に勝っていれば起こることではある。だからこそ魔術機動歩兵は連兵を組んでいても、決して油断しないようにと何度も言い含められる。
だがそれはあくまで稀に起こることであり、桜国独自の相撲という競技であれば大番狂わせという状況だ。
それを確実と言わしめるプラティナム1と2はどれほどの実力なのか。
「桜国における統合軍の序列は実力、実績をもとに定められる。俺も君もそういう点で見れば努力しているのだろうし、才能もあるのだろう。だがそれらを凌駕するところに彼女らはいる。プラティナム3とその先にある壁は果てしなく大きい。彼女らと実際に合同訓練をしてみればそれが分かるよ。そして、だからこそそういうことが許される」
諦念などではない。もっと深いものを見て理解した声だ。シロガネから見てもそつ無く実力を発揮している吹雪がここまで断言するという事実に、驚きを覚えてしまう。
しかしながら同時に腑に落ちるものもある。プラティナム1と2の推移を見ると六年前に二人がその序列に座して以来、全く変動がないのだ。しかもその二人は士官学校を卒業してわずか半年の十八歳でそこまで駆け上っている。
それほどの功績、実力を誇る軍人であればなにをいわんや。そういった自由さが許される強さなのだろう。
黙認されていた事件に手を出して腫れ物扱いされたシロガネとは大違いだ。
「軍としてあるまじきことだがな。ウォルフ01はそれほどの力がある……話を戻そう。君らは今これより遊撃の立場となる。私としてもこのような消耗が大きい運用は業腹だが……逆らえん。ウォルフ02ほどの実力があればユニット一つで状況を改善できるだろう、だと」
佐々木にしては珍しい物言いに吹雪が小さく眉を上げる。いくぶんか言葉を吟味したのか、しばしの沈黙を経てから敬礼をする。
「任務、了解いたしました。ただいまよりウォルフ02は遊撃として行動いたします」
「ああ、よろしく頼む。せめて物資や情報に関しては私にできる限り融通しよう」
シロガネも敬礼をすると答礼し、そうして扉を示す。話は終わりという仕草を示しながらも、佐々木の視線は二人に据えられていた。
その意味を問う間もなく吹雪が身体を翻して退室し、慌てて着いていく。
扉を閉める音がやけに大きく響いた。
二人で廊下を歩く。リンクを繋いでいようがいまいが、こういった時の吹雪はなにを考えているのか常の無表情だ。同じ背丈にある横顔を見ながら口を開く。
「君はいいの? こんな使われ方をされて」
足音が止まる。軍帽をかぶった頭が横を向き、視線がぶつかる。
「抗ってもどうにもならんだろう」
小さく首を振って溜息を吐く。
「佐々木大佐は逆らえんと言った。つまりは大佐より上からの指示と言うことだ。大佐のことだから援軍の打診はしてくれているだろうが、望みは薄いだろうな」
言われて眉を顰める。吹雪の言葉にではなく、自身に思い当たる部分があったからだ。
「……私のせいかもしれない」
どういうことだと口を開こうとして、動きを止める。視線の先、二人に宛がわれた事務室の前に義足の女性が立っている。その肩に縫い付けられているのは大佐を示す階級章だ。
「グリューネヴァルト大尉、少しいいか?」
前所属の上官でありシロガネの義姉でもあるリディアは、公的な口調でそう告げた。
義姉であるリディアの簡単な紹介を済ませ、椅子を一脚出して茶を淹れる。来客用の湯飲みも椅子も、シロガネが手ずから持って来たものだ。茶を淹れているのは吹雪で、相方に用があるならと給仕役を買って出ている。
「どうぞ」
「ん」
差し出しされた湯飲みに頷いて見せる。そうして、シロガネと同じように短く切った黒髪を揺らしながら吹雪を見上げた。
「自分は席を外しましょうか?」
義姉妹であるということを慮った言葉に、リディアは鋭い目を少し開いて小さく首を振る。
「いや、黑金大尉も座って話を聞いてくれ。これは二人に関わる話だ」
「自分も、ですか? 分かりました」
無表情ではあるが困惑した気配が伝わってくる。リンクではなく、これまで共に過ごした時間による理解だ。
「だったら黑金大尉も茶を淹れるといいわ。まだ急須には残っているでしょう?」
「……そうだな」
言われて棚に向かって自分の湯飲みを取り出す。最初は多少のためらいがあったようだが、結局は吹雪もシロガネの持ち込んだものを使い始めている。それは喜ばしいことでもある。
そんな二人を矯めつ眇めつ見ていたリディアがなにかを飲み込むように大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
目の前に座った二人に視線を据えて口を開く。
「二人がアーバン・レジェンドとの抗争に投入されるということはもう聞いていると思う」
頷いた二人に対してどこか沈んだ口調で続ける。
「表面上はここ数ヶ月続くアーバン・レジェンド側の攻勢への対抗措置となっているが、それは建前だ」
「というと?」
分厚い封筒から書類を取り出す。そこに記された文字は吹雪とシロガネの連兵によるユニット、その初陣の通信記録だ。
中程までめくり、指で一文を指す。
「そこの部分、黑金大尉の「損害はなによりも誰よりも
その言葉に今度こそ吹雪はフラットな表情になる。今までも何度かあった、シロガネが踏み込みすぎたことを聞いたときや喋りたくないときに見せる感情だ。
リンクというのは閉じていても最低限は繋がっている。もちろんそれだけでは感情自体は伝わってこないが、それでも変化は感じ取れる。
今の吹雪はそれらが全く感じられず、だからこそ前述の心持ちだと推察できた。
そしてそれは間違いではない。
「なるほど。自分のせいですか。連兵殺しの死神を体よく処理したい、という所ですかね」
感情と同じようにフラットな声音に、しかしリディアは首を振る。
「いや、そう単純な話ではない。それだけなら連兵ユニットを指定するのは不自然だからな。君だけをどうにかしたいなら、他にもっとやりようがある。単独任務を振るとかな。だから正確には黑金大尉とグリューネヴァルト大尉の両方を処理したい、だ」
そこで吹雪の感情に揺らぎが生じる。驚きか憐れみか、それは今のシロガネには分からない。分かるのは感情が動いたという所だけだ。
ゆっくりとこちらを見やる吹雪にシロガネは頷いてみせる。
「さっき廊下で言おうとしていたのはそのことよ。私はこちらに異動する前に少し面倒な事件に手を出した。上から……ブロウズ大佐じゃなく、もっと上の司令部の方から手を出すなって暗に言われていた事件にね。それが目に止まったんでしょう」
「……どんな事件か聞いても?」
「アーバン・レジェンドによる児童誘拐だ」
リディアの即答でさざ波のように感情が揺らぐ。それはシロガネにも伝わり、伝播する。その意味は分からない。ただ、個人的にはそれが憤りというように感じられた。初陣の時に大量の違法術者を見た時と同じような、憤怒に近いものだ。
「アーバン・レジェンドは各国で子供を誘拐している。その目的は――」
「魔術結晶に適合する人間を確保するため、ですね」
それこそがアーバン・レジェンドが世界規模でもある理由だ。魔術結晶の価値が知らしめられ、魔術機動歩兵の存在が世に出始めた初期からアーバン・レジェンドは魔術関連の犯罪に携わってきた。
その一つが子供を誘拐して違法術者へと仕立て上げることだ。金で雇った違法術者とは別に、自らが違法術者を育成する。育った術者は繋がりのある富裕者に売ってもよし、自らで運用するもよし。個人軍隊と揶揄されるほどの戦力を持つ魔術機動歩兵は違法であっても、あるいは違法であるからこそ買い手には困らない。
組織のトップといわれている、コルネリアス・ブレイズリのそうした魔術というものへの先見の明がアーバン・レジェンドを世界最大の巨大犯罪組織へと育て上げた。
「知っていたか。まあ第一憲兵隊はアーバン・レジェンドへの捜査が多いから当然か。奴らの桜国での誘拐は増加傾向にあってな。その一つが貧民街での誘拐というものがあった」
もはや島国でありながら多国籍国家となった桜国は、だからこそ貧民街というのもそこかしこにできあがっている。大量の移民が流入した結果、職や食べ物にあぶれた人間が連なり、そこに住み始めたのが始まりだ。
それは他国の企業が利益を桜国ではなく自国へと還元していることと、それを止められない、止めない統合政府の方針も由来している。
当然の結果として貧民街を積極的に解消するはずもなく、年々増加している孤児と貧民街を狙ってアーバン・レジェンドは誘拐を繰り返している。貧民街に住む子供なら少しの食料、あるいは金で簡単に釣れ、誰も咎めるものはいない。
そこから一人でも魔術結晶に適合すれば比べものにならないリターンが得られるし、適合しなくてもそういった趣味の金持ちに売ればいい。
「首都である櫻木にある貧民街はアーバン・レジェンド以外の組織も多数関わっていて、非常に扱いが難しい。特に人身売買は魔術結晶の次に金の動きが大きい。下手に刺激するとやぶを突いて蛇どころか多数の虎を起こしかねない。そういった判断をした司令部から様子見を告げられていたのだが、グリューネヴァルト大尉とエンゲルス大尉の連兵がある組織を摘発した」
それまで目を伏せていたシロガネが顔を上げ、ゆっくりと続きを紡ぐ。
「そしてそれはアーバン・レジェンドに繋がりのある組織だった。そこは攫った子供に魔術結晶の適合手術も行うところでね……当然、正規の医者じゃないから失敗も多い。年端もいかない子供の遺体がずだ袋に詰め込まれて無造作に棄てられていたわ」
当時の状況を思い出しているのか、強く拳を握る。桜国が統合政府になってからもはや日常茶飯事となってしまった風景を、シロガネ・グリューネヴァルトという女性は見過ごすことができなかった。
「自己満足かも知れない。でも、私と連兵のベルタはどうしても泣き叫ぶ子供を見逃すことはできなかった。人としての尊厳など欠片もなく、ごみのように詰め込まれて棄てられていた子供の顔を忘れることはできなかった。ベルタはこの事件での責任をかぶせられる形で退任したし、挙げ句の果てに黑金大尉も巻き込んでいたら世話はないけれど」
「いや」
反射的に出たような声に二人はそちらを見やる。湯飲みをゆっくりと置いて、呼吸のような自然な声音で言葉を続ける。
「正しいことをして顔を伏せる必要はない。正しく在ったのならば、それは誇るべきことだ。グリューネヴァルト大尉はなにも間違っていない」
言って自分の台詞に恥じ入るように置いたばかりの湯飲みを持って口元へと持っていく。そんな吹雪にシロガネはほんの小さく口元を吊り上げる。
「ありがとう、黑金大尉。そういってくれれば私もベルタも少しは報われるわ」
一瞬、弛緩した空気が流れる。それを引き締めたのはリディアの咳払いだ。
「ともかく、そのアーバン・レジェンドがグリューネヴァルト大尉の摘発以降に囮作戦を仕掛けてくるようになった。司令部はそれをグリューネヴァルト大尉の一件に反発してきたと断定したようだ。馬鹿馬鹿しい。務めを果たした軍人を守るどころか、排斥するなど」
吐き捨てるような声で告げる。
これは統合政府というものの弊害だ。上層部に国ごとの派閥ができあがってしまっているのだ。今回のことは桜国寄りの立場であるシロガネに対する、別の派閥からの横槍も入っているのだろう。リディアがそういったことで度々憤慨しているのを何度も見ている。
しかしながら統合軍への被害が増大してきているのは事実でもあり、ゆえにリディアとしても強弁だと言うことはできないのだろう。
「命令は正式に出ているからそこを歪めることはできない。ただ、第四部隊からはできる限り支援を出す。君たちはユニットとして孤立しないように動け」
「……そんなことをすれば、第四憲兵隊に負荷がかかるのでは?」
自分たちを助けて第四憲兵隊自体に被害が及べば本末転倒だ。だが、吹雪の窺うような声にリディアはふてぶてしく笑って返す。
「もちろん本来の業務に支障が出ないように、だ。我々とて自己献身の部隊ではないし、殉職者が出るのも、ましてや部隊が壊滅するのもごめんだ。だがな――」
笑みが収まって眼が細められる。ぎらついた眼光は前線を退いたことを忘れさせるような鋭い光を放っている。
「我々にだって誇りがある。所属していた兵が正義を行って、このような処遇に遭わされて黙っている道理はない。言っておくが、これは身内びいきでも私だけの意志でもない。第四憲兵隊の連兵ユニット、及び一般兵の総意だ」
数瞬、沈黙が流れる。それを破ったのは吹雪の笑みだ。
「グリューネヴァルト大尉は慕われているのですね」
自分とは違って。言外に秘められた意味は、しかしリンクを通じてシロガネにだけ伝わってくる。彼自身がそれを自覚しているかは分からない。
「第四憲兵隊の支援、ありがたく受け取ります。グリューネヴァルト大尉もこの方針で構わないんだろう?」
「ええ。ありがとうございます、ブロウズ大佐」
公的な口調で礼を述べるとリディアは構わないというように手を振る。そのまま茶を一気に飲み干して息を吐く。
「私にできる限りの支援はすると約束したからな。それにこちら側の事情もある。あとは君たち次第だ。アーバン・レジェンドの動きを見る限り、今後は厳しくなると思う。それに、敵はおそらくそちらだけではない」
含みのある言葉に見上げるが薄い唇から紡がれたのは別のことだ。
「私から言えることは一つ、死ぬなということだけだ。生きていれば、こんな身体になったとしてもなにかができる。なにかがな」
言って義足を手で叩いてみせる。かつん、と硬質の音が鳴り響く。
その音に二人は立ち上がり、丁寧な敬礼を捧げた。
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