第一話④

"静まり返る船倉。通信機から、ノイズ混じりのコール音が聞こえ始める。

舞台は、整えられた。

亮太はゴクリと唾を飲み込み、震える脚に力を込めて立ち上がった。



***



ザ、ザザ……というノイズの後、スピーカーから尊大な男の声が響いた。

《……なんだ、ブラック・グリフォンの生き残りか? 降伏するなら今のうちだぜ。丁重にバラして、チップがどこにあるか聞かせてもらうがな!》

背後でボルグが苦々しげに息を呑むのが分かった。亮太は、わざとゆっくりと息を吸い込み、口を開いた。声が震えないように、腹の底から声を出す。これはプレゼンだ。人生を賭けた、最後のプレゼンだ。

「――コルヴォ・ファミリーの担当者さんで、お間違いないでしょうか」

スピーカーの向こうが、一瞬静まり返った。亮太は構わず続ける。

「私、今回の『プロジェクト』におけるリスク管理部門を担当しております、カシワギと申します。どうやら現場レベルで、深刻なコミュニケーション不全が発生している模様ですね」

《……は? ぷろじぇくと? なに言ってやがる、てめえ》

敵が混乱している。いい兆候だ。亮太は、取引先の無能な担当者を詰める時のように、冷ややかに、しかし丁寧に言葉を続けた。

「あなた方の今回の行動、コンプライアンス的に重大な問題があることを理解されていますか? こちら『ブラック・グリフォン』は、我々が正式に契約したアウトソーシング先です。あなた方へのチップの譲渡も、プロジェクトのフローに則って行われるはずでした。この無許可の攻撃は、プロジェクト全体の遅延、ひいては甚大な損失に繋がる、極めて悪質な『契約不履行』に他ならない」

ビジネス用語の弾丸。意味など分からなくていい。相手に「こいつは俺たちとは違う、上の人間だ」と思わせることができれば、それで勝ちだ。

《……な、何が言いてえんだ!》

「端的に申し上げましょう」

亮太は言い切った。

「あなた方のボスは、この件を御存知ですか? 末端の暴走で、上層部が計画していた大きな取引が頓挫しかけている。もしこれが露見すれば、あなた方の立場はどうなりますか? トカゲの尻尾切り、という言葉をご存知でしょうか」

スピーカーの向こうで、誰かがゴクリと息を呑む音が聞こえた。図星だ。こいつらは、手柄を焦った現場の独断だ。

「提案があります」

亮太は、最後の切り札を切った。

「今すぐ攻撃を停止し、速やかに撤退してください。そうすれば、今回の件は『予測不能な偶発的トラブル』として、私が処理しましょう。あなた方のキャリアに傷はつかない。これは、あなた方にとって非常に有益な『損切り』の機会です。……どうされますか? このまま損失を拡大させますか?」

沈黙が、永遠のように感じられた。

船倉の赤い非常灯が、亮太の汗ばんだ顔を照らしている。背後では、ボルグが息を殺して成り行きを見守っていた。

やがて、スピーカーから、先ほどとは打って変わって狼狽した声が聞こえた。

《……わ、分かった! 引き上げる! だが、このことは絶対に……!》

「ご安心を。守秘義務は、我々の最も得意とするところですので」

通信が、一方的に切られた。

直後、船体を揺らしていた衝撃が止み、遠ざかっていく飛空艇のエンジン音が聞こえるだけになった。

「……行った、か」

ボルグが呆然と呟く。

ハッチから顔を覗かせたフレイも、信じられないといった表情で船倉の中を見つめていた。

静寂が戻る。

助かった。その事実が脳に届いた瞬間、亮太の膝から力が抜けた。彼はその場に崩れ落ち、無様にへたり込む。心臓が、今にも張り裂けそうに鳴っていた。

ボルグはゆっくりと亮太に歩み寄ると、その顔をじっと見つめた。その目には、もはや侮蔑の色はなかった。そこにあったのは、未知の生物に対するような、純粋な驚きと、ほんの少しの畏怖だった。

「……おい、サラリーマン」

ボルグが、低い声で尋ねた。

「貴様、一体何者だ?」

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