第26話 ねこキャン!
俺は亮太と山梨県の
標高が高く、空気は少し冷たくて気持ちいい。
この本栖湖ではブラウントラウト釣りが有名だ。湖畔には「ブラウントラウト」と書かれた看板が並んでいて、釣具店のショーケースにもその写真が貼られている。
ブラウントラウトとはヨーロッパ原産の外来魚で、スポーツフィッシングの対象として日本に持ち込まれた。
つまり、富士山の麓にある湖でありながら、ヨーロッパの魚を狙えるという少し不思議な場所だ。冷たい湧き水と深い湖底が、この魚にとって都合がよかったらしい。
外来種のブラックバスが大嫌いな俺が、なぜこの魚を許しているかというと…。
「ブラウントラウト美味いらしいんだよなぁ…」
「ニャッ!」
そう、この魚はブラックバスと比べて美味いのだ。だから許している。……わけではない。
実は富士五湖というのは在来種の魚がほとんどおらず漁業ができなかった湖なのだ。これは富士山が定期的に溶岩を供給して生き物を皆殺しにしていたことが理由だ。
もともと富士五湖ってのは古代の巨大な湖、琵琶湖とも比較できるほどのそれを溶岩が埋め立てた残骸が各地に残っているだけだったりする。地学的に見ると、湖の生態系は何度もリセットされてきた特殊な環境と言える。
だから、この湖では「外来種=絶対悪」という単純な構図に当てはまらない。
「ブラウントラウト♪」
「ニャッ♪」
まだ見ぬ味を見ながらテントを立てる俺をハナが『手伝って』くれる。具体的には敷いたグランドシートをぐちゃぐちゃにしたり、テントの支柱を隠したりという手伝いだ。
久々のキャンプにテンションが上がってるらしい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
今回の富士山キャンプは外国人向けのコンテンツになる予定だ。俺のキャンプの予告動画にはさまざまなコメントがついた。
「またスピノサウルスを登場させてください」「危険生物と戦っている姿が見たいです」
外国人の視聴者は日本をなんだと思っているんだ。魔境かなにかなのか?
最近はメガロドンが地球の裏側でも目撃され、もう古代生物を日本だけで独占しているわけではないが、それでも古代生物が出現しまくるイメージが強いらしい。
まぁ確かに、俺のチャンネルがそういうイメージを助長してる自覚はある。
そうそう古代生物なんていてたまるか……。
そう呟いた俺の手にハナが擦り寄ってくる。呼ばれたと勘違いしたんだろうか。かわいい。
そういえば、沼津で開催された古生物学会で奇妙なことを言われたな。
ハナはベンガルヤマネコにそっくりだと言うのだ。もしかしたらベンガルヤマネコとイエネコのハーフ「ベンガル」なのかもしれないらしい。
確かに泳ぐのがとても得意だし体が大きいしムキムキだし、そうなのかもしれない。ただ血統書があるわけでもないし、本人(本猫?)に確認する術もない。
俺の作業を眺めるのに飽きたのか、ハナは本栖湖に潜って魚を捕まえ始めた。これから釣りをすると言うのに魚が逃げる……非常に邪魔だ。
しばらくすると、50cmはある巨大なブラウントラウトを咥えて帰ってきた。
なんで素潜りでこんなでかい魚取って来れるんだ……。
特徴的な斑点からしてブラウントラウトだろう。ここまでの大物は珍しい。
地面に置いて俺の足をテシテシ叩いている。早く料理しろということだろう。
俺にも段取りというのがあるんだが……。
昼飯を食べたばかりだというのに、仕方がないので炭を用意して料理の準備を始めた。
木炭の火起こしは少し面倒だ。ガスバーナーを使って火をつけてもなかなか火がつかない。こういうときに限って風が弱く、酸素が回らない。
ハナは俺の頭の上に登り、火起こし作業を眺めていたが、飽きたのか、すぐにまた釣り場を荒らす作業に戻った。
遊漁権は買ってるけど、ネコを使った漁法って違反になるんだろうか……。
多分、法律の想定外だろうな。まぁいいや。見なかったことにしよう。
あまり猫には人間が使う調味料を食べさせないほうがいいらしい。なのでアルミホイルを使って蒸したものを食べさせることにした。魚の身を三枚に下ろして骨を取り、味つけなしで包んで焚き火の端に置く。
できた料理はクーラーボックスで冷やす。ハナは熱いものだと猫舌で怒るからだ。
水遊びから戻ってきたハナにその料理を食べさせ始めたところで、亮太が話しかけてきた。
「本栖湖って竜伝説があるらしいぜ」
そう言いながら近くの小高い山を指差した。富士山が噴火した時に竜がこの近くの住民を山の上にまで避難させたのだという。観光案内板にイラスト付きで描かれていたらしい。
日本各地によくあるような話だけど、荘厳な富士山を眺めながら聞くと趣がある。
非現実的な妄想だけど、竜とかが撮れたら動画映えするんだろうなぁ。
スピノサウルスも現れたし、なんか面白い恐竜が現れないだろうか。
きっと富士山に映えると思うんだよなぁ。
「ニャッ!」
そんなことを話していると足元に愛猫がやってきた。
ハナはズボンを引っ張って俺を蒸し料理に誘導する。
半分ほどブラウントラウトを食べたところで、満腹になったのか、残りを
塩胡椒とレモンで味付けして再度蒸し焼きにする。
ニジマスほどの脂はないが、旨みがしっかりある。トラウト系特有の臭いが全くないわけではないが、それも食欲をそそる。
「ブラウントラウトって美味いな……。」
旅行の主目的であるブラウントラウトが、猫の食い残しというのは少し虚しさを感じるが、その事実は置いておくことにした。
口の中に残った炭火の香りと富士山から吹き下ろす冷たい風が混ざり、不思議と気持ちは落ち着いていた。
バタバタして、ようやく釣竿を出すことができたのは夕方だ。湖面が赤く染まり、風が止み、気温だけがゆっくり下がっていく。この時間帯こそが勝負どき。
亮太のカメラを再び出して撮影を始める。
「ミナトです、これから雄大な富士山を背景に釣りをしていきます!」
「ニャッ!」
ハナは薪ストーブで濡れた体を乾かしていたが、俺が撮影を始めると慌てて駆け寄ってきた。なぜか、彼女はカメラに映りたがる習性がある。
まずはブラウントラウトについて解説する。
「日本の寒冷地では違法放流により、ブラックバス並の脅威になっています。でもここは管理されている閉鎖水系なんで大丈夫です」
富士山の稜線がオレンジ色の空を背にくっきりと浮かんでいる。湖面は風もなく、鏡みたいに光を反射して、ところどころに小さな波紋だけが広がっていた。昼間の観光客は帰り始め、岸辺はひんやりと静かだ。
俺は魚を食べる気満々なので、ルアーではなく魚が釣りやすい餌釣りを選んだ。餌はぶどう虫。
そっと竿を振り、仕掛けを湖の深みとの境目に落とす。浮きが静かに沈んで、湖面に夕焼け色の輪がいくつも波紋になって広がった。スマホのカメラにも、その輪と富士山のシルエットが綺麗に映る。
日が落ちるにつれて、冷たい空気が足元から登ってくる。こういう時間帯、ブラウントラウトは浅場に寄ってくることがある。虫も小魚も活性が上がるし、湖面近くまで浮いてくる個体もいる。
ハナは俺の椅子の上で丸くなりながら、たまに俺のほうをちらちらと見る。餌釣りの浮きが揺れるたびに、尻尾がピクリと反応している。
――コツ、と小さく浮きが沈んだ。
何かが当たった。引きはかなり小さい。ブラウントラウトはニジマスと比べると遊泳力は弱いが、それにしても弱い引きだな。小型か?あるいは草や枝にでも掛かったか。
慎重に寄せてみると、水面下で何かがうごめいた。
細長くもなく、丸くもない。まるで甲羅のような平たい影。夕焼けの光が反射して、不思議な光沢を帯びている。
ラインを巻きながら目を凝らすと、湖面のすぐ下でそれはゆっくりと姿を現した。
薄い甲羅のようなもの。たくさんの節足。尾の先だけが鋭く尖っている。
――魚じゃない。というか、俺の知ってる生き物のカテゴリに入らない。
岸に引き上げると、そいつは全長60センチはある。
甲冑みたいな殻に覆われ、前脚にはカニともクモともつかない鉤爪。湖底の泥で真っ黒に汚れて、体表がぬめっている。
俺は咄嗟にスマホのライトを当てた。影が長く伸びる。足をわずかに動かした気がした。
「うおっ、気持ち悪っ……」
「ニャ!?」
映像的には最高に面白いが、触るのはさすがに怖い。毒があるのかもわからないし、生々しい湿った音を立てて動こうとするのが余計に不気味だ。
とりあえず糸を切ってリリースする。
しかし、何回か糸を投げるが、釣れるのはまた同じような生き物ばかり。
ブラウントラウトどころか、本栖湖にはとんでもなく気持ち悪い何かが繁殖しているようだ。
ハナは興味津々で近づこうとするが、俺がすぐに抱き上げて制止した。
触らせるのは危険すぎる。鋭い尾の棘や甲殻の切れ目、何となく毒でも持ってそうな雰囲気がある。
こんな生物がいるなんて本栖湖はとんでもないところだな…。
まだもう一泊する予定だ。明日はブラウントラウトが釣れると嬉しいんだけど。
餌を要求してくるハナをそっと抱きしめた。
――
◾️ミナトくんの変な生き物紹介コーナー◾️
ウミサソリ(淡水に住むよく分からない種類)
ウミサソリは古生代に繁栄した節足動物の一群であり、多くの種は淡水域や汽水域にも生息していた。
化石に残りにくいため発見されていないが、日本にも生息していたと思われる。
これらの種は約4億6,700万年前のオルドビス紀後期から2億年の間、頂点捕食者として君臨した。体長は種によって異なり、小型なものは20センチメートルほど、大型種では2メートルを超える個体も存在した。
ペルム紀末に発生した地球史上最悪の大量絶滅によって最終的に完全に姿を消した。
(シベリアの火山の噴火で生物の95%が死滅したぞ!)
本栖湖は他の湖と湖底で繋がっているうえ、陸を歩けるのでどんどん拡散する。
生態系の頂点の座を取り戻せ!
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