第6話 イカが好きなあいつ

 二匹目のバラムツはまったく釣れない。潮の流れまで止まったように静かだった。

 ぼんやりと海を眺めていると、沖の方から一隻の漁船がゆっくりと近づいてきた。

 親戚の漁師だ。操縦席から身を乗り出してきて、笑いながら声をかけてくる。


「良二の釣り船が珍しく出てると思ったらミナトか! 貸してもらったのか?」

「この船、良二おじさんにもらったんだ!」

「あいつ、その船買って結局三回くらいしか釣りしなかったんじゃないのか」


 ひとしきり話したあと、漁師が船の甲板から何かを放ってきた。


「釣りしてるなら、これやるよ」


 混獲された、売り物にならない魚だ。深海イカが十匹ほどと、傷のついたトロボッチを何匹か。どちらもこの辺じゃ見慣れた海の恵みだ。


 もらったイカは種類こそ分からないが、いかにも深海性という見た目をしている。こういったイカはアンモニアが身に含まれていて、不味くて食べられたもんじゃない。

 でも釣りの餌にすると魚がよく食いつく。たまに母親経由でこの漁師から貰っていた。


 ハナに試しに深海イカをあげてみたが、すぐに吐き出してしまう。

 不味そうに顔をしかめて、俺の水筒を引っ掻いてきたので、コップに水を入れて飲ませてやった。

 必死に口を洗っているハナの姿に、思わず笑ってしまった。


 すると、怒ったハナが俺に飛びかかってくる。猫タックルだ。

 ハナは大柄で筋肉質、体重も重い。まともにぶつかられると、倒れそうになる。

 謝って許してもらった後に、お詫びとしてさっき貰ったトロボッチを食べさせてやった。


 ちなみにトロボッチっていうのは、ハナの大好物の魚だ。

 関東や東北の人にとっては、メヒカリという名前のほうが通りがいいかもしれない。


 トロボッチは深海に住んでいて、底引き網で取れる。

 底引き網ってのは、海の底をごっそりさらう漁法だ。

 さっきの深海イカみたいに、市場じゃ値がつかないような生き物まで一緒に取れてしまう。しかも、船に揚げた時には、大抵の魚は死んでいる。

 残酷で非効率的に思えるが、駿河湾の恵みを受け取るにはこの方法しかない。あまりに深すぎて、一本釣り漁なんてできないからだ。


 バラムツはもう釣れそうにない。餌ももらったことだし、気分を変えてイナダでも狙ってみよう。

 ハナが吐き出した深海イカを針先につけ、浅いところに垂らす。


 仕掛けを投げ直してしばらく待つと、強い引きがあった。

 合わせてみても感覚はない。竿をあげてみると、イカが噛みちぎられている。餌を取られたか。


 新しいイカを釣り針につけようと、バケツから取り出した。その時だった。


「キシャー!」

「どうした、ハナ?」


 突然、ハナが海に向かって威嚇し始めた。俺もつられて、その視線の先を追った。

 すると、何かの頭が水面から突き出ていた。船のすぐ近くだ。距離にして、一メートルほど。

 目と鼻だけが水面に出ており、波の下の姿はよく見えない。

 なんだこれ。イルカ?

 いや、違う。もっとザラザラとした質感で、どこかヘビの頭のようにも見える。


 じっとこちらを見ている。正確には、俺の持っている深海イカを見ているようだ。

 怖さよりも興味が先に立った。気づいたら声を出していた。


「イカ欲しいの?」

「キュイ……キュイィィ…」


 返事なのだろうか、その生き物の口から高音が響いた。まるでイルカの声のようだ。

 こんな音を出せるということは、肺呼吸の生き物なのだろう。


 ためしに持っていたイカを投げてみると、そいつはためらいもなく食べた。

 その様子が妙に人懐っこくて、つい面白くなって何度も投げてしまった。

 よく見ると、波間の下に首のような細長い影が伸びていた。

 イルカと比べると頭がスリムで、首がずっと長い。

 歯は鋭く、ガラスのように脆そうだ。小魚を餌にしているんだろう。サメのような捕食者なら、もっと太く丈夫な歯をしているはずだ。


 ……というか、首、長くないか?

 海面下を数メートルも続いている。体はまったく見えない。


 イカを投げながら、夢中でスマホのシャッターを切りまくった。

 風が止み、波が静かになった瞬間、海の下の巨体が少しだけ見えた。

 こいつ……もしかして、めちゃくちゃデカくないか?


 これはヤバい。記録しなきゃ。

 アクションカムを起動し、撮り始めた。


「新人YouTuberのミナトです! 今は駿河湾の上です。変な生き物を見つけました!」

「キシャー! ガルルルル!」

「ちょっと、ハナうるさいぞ」


 イカを投げて、謎の生き物に餌をやりながら、その姿を撮影する。

 ハナは俺の前に立ち、海へ向かって威嚇し続けていたが、俺が楽しそうにしているのを見て、やがて不貞腐れたように隅で丸くなった。


「ハナ、俺を守ってくれてたんだな。ありがとう」


 ハナは返事もせず、プイッと顔を背けた。

 動画を五分ほど撮り続けていると、もらったイカが底をついた。

 仕方なく、ハナの昼飯用に確保していたトロボッチを餌にすることにする。

 バケツからトロボッチを取ろうとすると、ハナが俺の腕に抱きついて妨害してきた。静観していた彼女だが、自分の大好物を海に投げられるのは許せないらしい。


「ちょっとハナ、あとで餌あげるから」


 ハナの抗議を無視してトロボッチを投げる。

 同時に海中にアクションカムを沈め、海面の下を撮影した。

 カメラには、謎の生き物の全体が映ってるはずだ。


 次のトロボッチを投げようとバケツの中に手を伸ばすと、もう空っぽになっていた。

 ハナがこちらに背を向け、口をもぐもぐ動かして何かを食べている。強奪されたようだ、やられた。


「キュイ……キュイィィ…」

「ごめんね、もうあげられるものがないんだ」


 その生き物はしばらく俺に向かって鳴き声をあげていたが、餌がなくなったことを悟ったのか、静かに潜ってどこかに消えてしまった。

 いったいなんだったんだろう。駿河湾に住むUMAなのかもしれない。


 謎の生き物がいなくなった駿河湾は、いつものように富士山を映していた。普段と変わらない、美しい海だ。

 手の中のアクションカムだけが、さっきの出来事が現実だったと告げている。


 これはかなりいい絵が撮れたんじゃないか。

 最後に挨拶をして撮影を終える。


「どうも、駿河湾系YouTuberミナトの動画でした! チャンネル登録よろしくね!」


 エンジンをかけ、漁港へと進む。

 港に戻ると、漁協の前に何人かの漁師たちが腰を下ろしていた。さっきの生き物について尋ねてみたが、見たことがある者はいなかった。

 あんな人懐っこい生き物なら、目撃者がいてもおかしくないんだけどな。

 とりあえず、見かけたら教えてもらえるように依頼しておいた。


 港を後にし、家に帰ると真っ先にアクションカムを取り出した。

 ノートパソコンに映像を移して、再生する。

 長い首の先には太い胴が繋がっており、そこからオールのような足が四本伸びている。

 首長竜――プレシオサウルスに近い姿をしていた。

 海の上からでも分かったが、かなりでかい。十メートルは軽くありそうだ。


 とりあえず、動画をYouTubeにノーカットでアップロードした。

 ……この動画バズるかもしれないな。正直、アンモナイトより何百倍も面白い生き物だと思う。

 



 ◾️湊くんの変な生き物紹介コーナー◾️

 エラスモサウルス

 約8,000万年前の白亜紀後期に生息していた首長竜の一種で、海生爬虫類に分類される。体長はおよそ14メートルに達し、そのうち半分以上を首が占めていた。


 首の骨(頸椎)は70個以上あり、既知の動物の中で最も長い首を持っていたとされる。

 かつては「白鳥のように首を持ち上げて海面に顔を出していた」と考えられていたが、現在ではそのような動きは困難であったとされ、水中で体全体を傾けて、水面から頭だけを出した状態で呼吸していたと推測されている。


 陸上活動能力は乏しく、主に外洋で生活していた。白亜紀末のユカタン半島隕石衝突に伴う環境変化によって絶滅した。


 日本各地でも首長竜類の化石が発見されており、特に東北地方ではエラスモサウルス類に近縁とされる小型種フタバスズキリュウが見つかっている。

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