第4話 規格外

 春の麗らかな日差しの元、スポーツテストが実施された。

 2クラスずつが合同で体育を受ける為、あまり他人に興味のない七希にとっては誰が誰やら、ますます同級生がモブく見えていた。

 ひどい話である。

 彼ら彼女らもれっきとした光陵館学園の生徒、つまりエリートの卵なのだ。


 しかし小等部からのエリート意識の強い生徒たちも、七希にはまず成績の面でガツンとやられているので及び腰になっている。

 むやみに噛みつける程度の相手ではないのだ。

 というか、普通に美しくてトキめいていたりもする。みんな複雑なのだ。


 ついでにいうとそんな小等部の星である四楓院みやびは今日の合同スポーツテストでは同じクラスだったのだが、彼女はなぜか体調不良のため欠席していた。

 なぜなのか。それは誰にも分からない。


 「ななちゃん、その白磁のように滑らかで真っ白なお足を惜しげも無く披露するためにも、ブルマ履いたらいいんじゃない?」


 当たり前だが七希はハーフパンツである。

 由紀もハーフパンツだが。

 もちろん女子用のものだが、七希もそのあたりの潔さは持ち合わせていた。

 今更でもあるし。

 だがブルマは無い、いつの時代の産物だ? 可笑しそうに笑っている幼馴染にジト目を向ける。


 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」

 「さー、いえっさー!!」

 「待て! いきなりハーフパンツを脱ぎだすな」

 「大丈夫、この下はブルマだよ!」


 幼馴染の潔さに脱帽する七希である。

 頭を押さえて、手で待ったをかける。


 「私が悪かった、由紀は人にやらせて高みの見物をする人間じゃない、謝罪する。だからやめてくれ」

 「しょーがないなー」


 当たり前と言えば当たり前なのだが、この二人本当に仲が良い。

 そんな二人をクラスメイト達は遠巻きに羨望の目を持って見つめていた。

 さすがにいつも二人一緒に居る訳ではないが、かと言って七希一人だと用事が無い限り誰も話しかけられないのである。オーラが違うし、本人の怜悧な空気も近寄り難さに拍車をかけている。


 逆に由紀は周りに積極的に話しかける方なので、早々にクラスメイトとも打ち解けていた。

 そして皆、七希とも話したくて話したくて仕方ないのである。

 敵対心を持っている者が多いのは事実だが、興味を抱いている人間も少なくないのだ。


 「こんなに注目を浴びてるのに、ななちゃんはサービス精神が足りないなぁ」

 「するつもりは微塵もないからな」

 「勿体ない! そのお人形さんのようなお顔! でもちょっと視線鋭すぎるけど……それに太陽の下に出たことも無いような染み一つ無い柔肌! ……よくおじさんと取っ組み合ってた割に。そして高校生には目に毒な、よく育ったエロい胸! 尻! 更に思春期男子を惑わす艶やかなその黒髪ロング! ええい、けしからん!」


 由紀が周りに解説するように大声を出すものだから、さすがの七希も若干バツが悪くなって腕で身体を隠す様に抱きしめた。

 この時、くしくも七希は寄せて上げてしまっていた事には気づかなかった。

 注目していた男子生徒は思わず前かがみに、女生徒もあまりの曲線美に憧れの目を向けていた。


 そして男性教諭鍋島32歳独身も、前かがみになっていた。

 懲戒免職も時間の問題かもしれない。

 その様子を七希に代わって伺っていた由紀は、おや、調子に乗り過ぎたかと反省した。


 「ごめんね、ななちゃん、てへぺろ!」


 行き過ぎれば反省するし、憎めない少女である。

 七希はため息を吐いた。


 「いいから、さっさとテスト回るぞ」

 「はぁい、二人ペアだよね? あたしで良いのかな?」

 「そうしてくれると私は助かる」

 「友達いないもんねぇ、ななちゃん……頼めば誰でも一緒してくれそうだけど」

 「特に不自由に思っていないから問題ない」

 「何でも出来ちゃうのも考え物だよ?」


 そうして仲睦まじく二人がテストを回り始めた様子を眺めていた一部の生徒が、面白くなさそうに毒づいていた。


 「あれが本条七希さん? みやび様の方がはるかに品もあって、お美しいわよ」

 「ですわね。成績の方だって、怪しいものですわ」

 「そうそう、それにこのスポーツテストで、呆気なく化けの皮が剥がれるのでは?」

 「まったくです。みやび様はスポーツも万能ですものね!」


 小等部からの一団は、やはり彗星の如く現れた七希が気に入らないのだ。

 だからこそ、小等部の象徴ともいうべき四楓院みやびを担ぎ出そうとする。

 そのみやびは、そんな周りに応えようと昨日挑戦状を叩き付け、そして今日風邪を引いて欠席している。

 健気なお嬢さんなのである。



 ◇■◇■◇



 早速、スポーツテストが始まった。

 それぞれの位置に教師や委員が分かれて記録を取っており、空いている場所に好きに回れるようになっている。

 広々としたグラウンドと隣接した体育館で行われているので、先に外か内か決めて回った方が効率がいい。

 七希たちは先に体育館から回ることにした。


 最初は、握力測定。

 右86、左84。

 納得いかぬ、と首を傾げる七希に気付かず、周りの人間は目が点になっていた。


 「……お前、握力は?」

 「俺は右47、左46だ」

 「そういえば、俺、昨日早めに登校してたんだが、7組の桐生が本条さんに片手で吊り上げられてる所見ちまった、夢かと思ったんだが……」

 「そ、そりゃお前、夢だろ」

 「は、はは……そうだよな」


 男子たちは顔を見合わせた。


 次に来たのは、上体起こし。

 54回。

 鈍ったか? と体操着をめくって自らの腹を確認しようとした七希をやんわり由紀が注意する。

 周辺では注目していた男子生徒が前かがみになっていた。


 「お、おま……見たか!?」

 「ああ、やべえ! とにかくやべえ!」

 「俺はあの腹を見るために今日学園に来たと言っても過言じゃねえ!」


 男子たちは生唾を飲み込んだ。

 男子たちにとって、敵対心とかはどうでも良くなってきていた。


 次に、長座体前屈。

 76㎝。

 まあ、こんなものか。

 他を回れば良いものを、なぜか七希の後ろに行列ができていた。


 「柔らかいな……」

 「ああ、柔らかいな……胸が足にくっついてぐにゃっと……」

 「馬鹿、ちげーよ、ふにっとだろ?」


 とにかく空いている所に人が別れないから、スポーツテストは大混雑していた。


 4種目目には、反復横跳び。

 74点。

 やはり胸が邪魔か、正直揺れて自分でも気が散る。七希が自分の胸を確認するように触っているのを由紀が手を抓って注意する。

 なお、周辺では以下略――


 「お、おい……女の子が胸を揉みしだいている所を、俺は映像の中でしか見たことがなかった……」

 「ああ、泣けよ。泣いていい。今日、ここにいる俺たちは世界一の幸せ者さ」


 突然泣き出した男子の集団を、女子が気持ち悪そうに見ていた。


 次にやってきたのは屋内最後の、20Mシャトルラン。

 125回で満点の為、強制終了。

 ちなみに125回で満点なのは男子であって、その中を一緒に走っていた七希は肩で息する男子生徒の間を涼しい顔で走り抜けていた。

 そのすれ違い様に流れる七希の甘やかな髪の匂いを嗅いで、男たちは悶絶していた。


 「俺は、俺はもうダメだ……ここから先は、お前たちが見届けてくれ……ぐふ」

 「武田ああ!」

 「ちくしょおおっ、幸せそうに逝きやがってぇ!」


 本当に、男とは度し難い生き物だった。


 ところ変わって運動場で、50M走。

 6,2秒。

 明らかに遅いと不満げな七希を苦笑しながら宥める由紀。これ以上は女子の記録じゃないよと諭す。

 男性教諭32歳独身、鍋島が世界を目指さないかと詰め寄って来たが、目がいやらしいと由紀に一蹴される。


 「お、おい! 遂に鍋島が本条さんに手を出し始めたぞ!」

 「だが大丈夫だ! 本条さんには藤間さんが付いている! 守られている!」

 「待てよ? 本条さんはもうすぐ16歳……」

 「何? どういうことだ?」

 「結婚できる歳だ……それに比べて俺たちは……」

 「まさか、32歳独身、鍋島に!?」


 七希は何か悪寒を覚えたので、さっさとその場を離れた。

 女子生徒の氷点下の視線に、思春期男子は気づかない。


 次にやってきたのは、立ち幅跳び。

 385㎝。

 こんなものか、と頷く七希を遠巻きにして男子たちは「俺は見た、確かに揺れる瞬間を」と騒がしかった。


 「見たか?」

 「ふ、見逃すはずがないだろう?」

 「ああ、弾むんだな、胸って」

 「弾むさ、兄弟」


 七希の後を民族大移動みたいに付いて行く集団を、遂に女性教諭が蹴散らしに来た。


 腕をくるくる回しながら次は、ハンドボール投げにやってきた。

 58m。

 既に周りの人間は遠い目をしていた。


 「ところでお前ら、本条さんに勝ってる?」

 「無理だろ」

 「ああ、無理だって」

 「ですよね……」

 「女子とか男子とかの次元を超越して普通にすげえ……」


 本条七希、マジでやべえ……

 それがこの場に居た学生教諭含めた全員の感想だった。



 「ん?」



 七希がふと後ろを振り向くと、全員が何事も無かったかのようにいそいそとテストに取り組んでいた。




 ◇■◇■◇




 午前午後と休憩を挟んでの体力テストが終わった。

 本日最後に残っているのはHRのみとなっており、教室に戻って少し前倒しで終わったスポーツテストの束の間の休憩時間を学生たちは有難く享受していた。


 疲れ切った様子で身体を弛緩させて机に突っ伏していたり、テストの出来について楽しく話したりと思い思いに皆が過ごしながら、どこか気にした視線を飛ばしてくる。


 それはもちろん、涼しげに本を開いて読んでいる七希にだ。

 七希が読んでいる本は動物パニック娯楽小説であり、持ち込み禁止の代物である。

 別に七希は品行方正のお嬢様ではないので。


 「ななちゃん」

 「どうした」


 席替えをして目の前の席になった由紀が身体を後ろに向けてくる。

 七希の席は一番後ろの窓際と、これ以上ない程ありがたい主人公席になっていた。


 「相変わらずの無防備ぶりで、お姉さん、冷や冷やしたよ~」

 「姉は一姉だけで間に合っている」

 「まあ一華さん、下手したらななちゃんより気にしない人だからね……」


 全く女は面倒だ、制約が多すぎる。


 七希は顔には出さないようにして、この身体になってしまってからの何度目かのため息を心の中で吐いた。

 思えばあの頃から胸も育ったものだと自分の膨らんだ胸に視線を落とす。


 制服の上からでもはっきり分かる膨らみである。

 風呂場で騒いでいた頃は、あるのか? ないのか? という具合だったが、今は一目瞭然だろう。


 由紀に怒られるので、ちゃんと下着も付けている。

 下着の色は男の頃からよく黒を使っていたのでそのまま黒を選ぶことが多いが、男の黒のパンツと女の黒の下着は根本的に違っている事実には気づいていない。


 そのせいで桐生少年の脳内がお花畑になってしまったというのに。

 好むと好まざるとに関わらず、七希は周りを振り回していた。

 やれやれと七希は本を閉じて窓の外を眺めた。


 アンニュイな雰囲気を醸し出す七希に、さりげなく視線を飛ばしていたクラスメイトがため息をもらす。

 その気怠るげな姿さえ、ため息が漏れるほど絵になるのだ。

 出る杭は出過ぎて、もはや嫉妬の対象にもなり得ない。


 勉強も運動もガツンとやられてはどうしようもない。

 しかも綺麗過ぎて男子は虜だ。

 だというのに別に男子に媚びる事は一切ないので女子からも反感を買わない。


 逆に切って捨てる様が爽快だと一部では『お姉様』と呼ばれ始めてもいる。

 もちろん、同級生なのだが。


 「腹減った」

 「お空が綺麗ですわって、皆の中では変換されてるんだろうなぁ」


 呟いた七希に、罪だよねえ、と由紀がしみじみと首を振った。




 ◇■◇■◇




 次の日、登校してきた四楓院みやびに取り巻き達が我先にと群がった。


 「あら皆さん、ごきげんよう。心配をかけてしまいましたわね」


 気遣ってくれたクラスメイト達に、みやびは笑顔で声を掛けた。

 しかし皆の方はそれどころではない。

 休み明けだと言うのを忘れて、壁際に押し付けるようにみやびに群がった。


 「みやび様! みやび様は、50Mを5秒切って走れますよね!?」

 「は? いえ、あの……?」

 「ハンドボール投げ、80Mは越えますわよね!?」

 「へっ!?」

 「握力だって、みやび様なら100は余裕ですわ!」

 「ちょ、ちょっとお待ちになって、皆さん」


 そもそもそれは人間のはじき出す数字かと、みやびは言いたかった。

 壁際にぎゅうぎゅう押し付けられて圧迫死しそうになる。


 「ちょ、皆さん、くるし……っ!」

 「みやび様!」

 「みやび様ぁ!!」


 切なる声で迫ってくる小等部からのクラスメイト達。

 四楓院みやび、なかなか人望のあるお嬢様なのである。


 「な、なんなんですのおおおおおっ!!」


 こうして彼女の受難は続く。

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