第33話 帰還

 漆黒の転移門が開き、アキトとセレネは魔界の中心、リリアンの巨大な宮殿の謁見の間に降り立った。宮殿は、他の悪魔たちの魔力が渦巻く重厚な空間だった。


 ゾルグとリリアンは、玉座の間で静かに二人を待っていた。


「セレネ、よく戻ったわね」リリアンの声は、感情のこもらないままの調子で娘を出迎えた。


「そして、アキトよ。見違えたな」ゾルグの声は威圧的であった。


 セレネはすぐに跪いた。「ゾルグ様、お母さま、お許しください。サタナイルの持っていた『知識の断片』はアキトの儀式に使ってしまいました」


 あらあら、とリリアンはいじわるそうな笑みを浮かべた。「それじゃあ、失敗したってことなのかしら」


「いえ、その代わり、アキトはゾルグ様の願いを達成するための最高の道具となりました」


 ゾルグは玉座から降り、ゆっくりとアキトに近づいた。


「最高の道具、か」ゾルグはアキトの左手の甲の黒い紋様を見つめた。


 アキトは一切の畏怖を見せず、冷徹な視線でゾルグを見返した。「ゾルグ。僕は、あなたの望む力を手に入れました。あなたの力になれる」


 ゾルグはアキトの問いに、満足そうに口角を上げた。「フフフ……。よろしい、アキト。以前の貴様は、憎悪に囚われた脆い器だったが、今は違う。その冷めた理性と安定した力……まさに『知性ある道具』だ」


 ゾルグはアキトの肩に手を置いた。アキトは動じない。


「形はどうあれ、貴様が『知識の断片』を回収できたこともわかっている」ゾルグはイシュタールとグレイから断片が奪われずに済んだ経緯を把握していた。「よくやった、セレネ」


 ゾルグは、アキトの力を利用して、魔界の均衡を崩す次の計画を画策していた。


「アキト、次の指令だ。まずは、人間の世界で、貴様を蔑んだ者たちから『闇の供物』を集めさせる。アキトの復讐の対象は、まさにわたしが欲する供物だ」


 アキトは、不敵な笑みを浮かべるゾルグに対して、冷ややかな視線を向けていた。


 この男は、ぼくより強いのだろうか。


 *


 一方、ミカエラが最後に力を振り絞って転移した先は、魔界の深部にある、巨大な岩盤に囲まれた静かな空間だった。


 そこは、悪魔の瘴気から隔離された、微かに神聖な空気が漂う場所――かつて人間界との戦争中に、天使たちが築いた『聖域の残骸(ホーリー・レムナント)』だった。


 ミカエラは、転移の反動と魔界の瘴気による侵食で、銀色の鎧は砕け、深手を負っていた。彼女は、辛うじて意識を保ち、石造りの祭壇のようなものにもたれかかった。


「……アキト……」


 ミカエラの身体は限界だった。しかし、この聖域の残骸が持つ微かな神聖な力が、彼女の命を辛うじて繋ぎ止めている。


 彼女の傍には、聖域を管理していたと思われる一体の天使の石像が立っていた。その石像の掌には、古びた純白の書物が置かれていた。


「わたしは、諦めません。必ず、アキトを悪魔の契約から解放してみせます」


 ミカエラは、その書物に手を伸ばした。それは、人間界との交流が深かった古代の天使が、悪魔の魔術と魂の構造を研究し、悪魔に対抗するための知識を記した、『失われた聖典』だった。


 ミカエラは、アキトの力を打ち破るため、そして彼を救うため、悪魔の知識を利用するという天使としての禁忌を犯す覚悟を決めた。

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