第13話 嫉妬のイシュタールと情報戦の幕開け
アキトは、ミカエラの救済を拒否し、悪魔の道具として生きる道を選んだ。その選択は、ゾルグにとって最高の成果だった。
リリアンの拠点、塔の深部にある豪華な一室で、アキトはリリアンの配下の魔族から手当を受けていた。骨折した腕は魔力で急速に治癒され、肉体的な痛みは引いていくが、心に刻まれた恐怖と葛藤は消えない。
(僕は、正しい選択をしたのか? ミカエラさんは、僕を救おうとしてくれたのに……)
一瞬、天使の光に触れたことで、アキトは自分が深く魔界に堕ちていることを自覚した。しかし、彼の理性は、光を拒絶した。ミカエラと共に帰れば、再び弱い自分に戻ってしまう。ゾルグに利用されている今の「強さ」こそが、彼が復讐を果たす唯一の手段だったと信じていた。
ゾルグが部屋に入ってきた。彼はアキトを見下ろし、道具への指示のように冷たく言った。 「貴様の選択は正しかった。天使の救済とは、貴様が無力で愚かな人間であることを強要する偽善だ。貴様は自らの意思で力を選び、生きた。その事実に誇りを持て」
ゾルグは、アキトの胸に宿る復讐の炎が、ミカエラの光によって一時的に弱まったことを理解していた。彼はその炎を再び煽る。
「グスタフの敗北は、魔王の使い魔候補たちに動揺を与えた。次は『嫉妬のイシュタール』を叩く。奴は魔王の核の一つ、『知恵の断片』を隠し持っている可能性が高い」
「魔王の核……」アキトはかすれた声で繰り返した。彼の復讐は、いつの間にか魔界の権力争いの中心に組み込まれていた。
リリアンが優雅に部屋に入ってきた。彼女はアキトに、紅茶のような液体が入った不気味な杯を手渡した。「飲みなさい、アキト。あなたの次の任務は、力任せではない。わたくしとの連携が全てよ」
リリアンは、次の標的について説明した。「嫉妬のイシュタールは、肉体的な力はグスタフに劣るけれど、情報収集と魔術に長けた悪魔よ。彼女は、他の候補者を出し抜くために、偽の情報をばらまき、相互不信を煽ることを得意とする」
ゾルグが続けた。「奴は、『偽りの図書館』と呼ばれる場所を拠点にしている。そこは、イシュタールが収集した情報と、彼女の魔術による幻影と罠で満ちている。プレ・エモーションは、物理的な殺意を読むことは得意だが、情報や幻術には対応できない」
リリアンは微笑んだ。「そこで、わたくしの出番よ。わたくしの情報網が掴んだところによると、イシュタールは近々、魔界の古参の情報屋と接触する。あなたの任務は、その接触現場に潜入し、イシュタールの持つ『知恵の断片』の所在、そして核の強奪に必要な情報を掴むこと」
リリアンは、部屋の隅に立っていた、銀色の髪を持つ細身の少女に目配せをした。 「そしてアキト。今回は、あなた一人の任務ではないわ。こちらは、わたくしの娘、セレネ。彼女は幻影の解除と短距離の転移魔術に長けている。あなたの『目』が幻術に惑わされた時の『護衛』として、同行させるわ」
セレネは感情の見えない瞳でアキトを一瞥しただけで、無言で頷いた。彼女はアキトを道具として見ている、典型的な悪魔の視線だった。
アキトの訓練は、暗殺から潜入と欺瞞へと切り替わった。
ゾルグはアキトに、魔力のナイフだけでなく、自身の魔力を体内に留め、外部に漏らさない術を教え込んだ。「貴様は人間だ。魔力の痕跡を消せれば、他の魔族から見て、ただの『無害なゴミ』に映る。それが貴様の最大の武器だ」
一方、リリアンの訓練は、情報と心理に関わるものだった。「イシュタールは、他人の感情の揺らぎを餌にする。彼女の幻術は、あなたの『恐怖』や『後悔』を視覚化するでしょう。あなた自身の弱さに直面したとき、それを『復讐へのエネルギー』に変えなさい」
アキトは、訓練の中で、自分をいじめた人間たちの顔、ミカエラの悲しい瞳、そしてグスタフに殺されかけた恐怖が、幻影として現れるのを見た。彼はそれを無視するのではなく、逆にその幻影を憎悪の燃料として受け入れる術を学んでいった。
ゾルグの冷徹な支配と、リリアンの計算された優しさが、アキトをますます効率的な道具へと変えていく。
数日後。アキトは、魔力の痕跡を完全に消し、新たな潜入装備を身に着けていた。セレネは、アキトの影のように控えめに立っている。
リリアンは最後の情報を伝えた。「接触現場は、魔界の裏路地にある『黒煙の酒場』。イシュタールは、一見穏やかな女性の姿で現れるわ。核の情報は、彼女が持つ『呪われた巻き物』にある」
「向かえ、アキト。セレネ」ゾルグが命じた。「貴様は今、『道具』であり『目』だ。セレネは貴様の『盾』だ。情報を掴み、核を奪え。失敗は、死を意味する」
アキトは深く頷いた。彼の胸には、もはや葛藤はない。あるのは、復讐という目的を遂行するための、冷たい決意だけだった。彼は、無言の護衛役であるセレネと共に、魔界の闇の中へ、情報戦という新たな戦場へと身を投じた。
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