第12話 夜が明けても

目を覚ますと、昨日の雨や雷が嘘のように止んでいて、窓の外には眩しいほどの青空が広がっていた。

まるで、あの夜の出来事まで夢だったみたいに思えてくる。


――でも。

手を伸ばしてみる。

そこに温もりはもう残っていないのに、確かに“あの瞬間”を覚えている。

隣にいてくれたこと、優しい声、触れた手の柔らかさ。

それを思い出しただけで、胸の奥がじんわり熱くなった。


「…っ!」

一気に覚醒して、慌ててベッドから飛び起きる。

考えちゃダメ。あれはただの偶然。

部下が上司を気遣った――それだけ。

そう言い聞かせるように頭を振った。


洗面所の鏡に映る自分の顔は、どこかぼんやりしていて。

頬にうっすら残る赤みが、まるで昨夜の余韻を語っているみたいで嫌になる。

冷たい水で顔を洗って、強制的に気持ちをリセットした。


メイクを丁寧に仕上げながら、いつもより少しだけ時間をかけた。

別に意識してるわけじゃない。

ただ、“仕事に戻る”ための準備をしているだけ。――そう自分に言い聞かせながら。


洗面所から出ると、ちょうど中野くんがスーツの上着に袖を通していた。

寝ぐせひとつなく、完璧に整えられた姿。

その真面目な横顔を見た瞬間、胸の奥がまた少しざわつく。


「おはよう」

声をかけると、彼は少し驚いたようにこちらを見て、

「おはようございます。昨日は……雷、すごかったですね」

と、穏やかに微笑んだ。


その一言だけで、昨夜の情景が一瞬で蘇る。

雷鳴、震えた肩、差し出した手。

恥ずかしさで顔が熱くなり、慌てて目を逸らした。


「うん……びっくりしたね」

やっとの思いでそう返すと、彼は少し困ったように笑いながら、

「宮瀬さん意外でした。あんなに雷怖がるなんて。」

と言った。


中野くんも昨日のことちゃんと覚えてたんだ、と

頭の中が真っ白になり、心臓がドクンと跳ねた。


「べ、別に……誰だって怖いときくらいあるよ」

強がって笑うと、彼は「そうですね」と静かに頷いた。


気まずい沈黙を破るように、私は早口で言った。

「もうすぐチェックアウトの時間だし、急ごう!」


慌ててキャリーケースを引きながら玄関に向かう。

その背中を追うように、中野くんの声が小さく聞こえた。


「…可愛かったですよ」


振り返ると、あの夜と同じ優しい笑顔。

心臓がまた跳ねて、何も言えなくなった。


――手の感触はもう残っていないのに、

胸の中には、まだ昨日の雷の音が響いているようだった。

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