第2話 兄印の愛情、妹を育てる

「リリアナ、おはよう」


 公爵家の広大な屋敷の一室。可愛らしい調度品で飾られた部屋の扉をそっと開けると、ベッドの上で小さな体がもぞもぞと動いた。

 プラチナブロンドの髪をくしゃくしゃにさせながら、眠たげな紫色の瞳がこちらを向く。


「……お兄様?」


 俺の最推し、リリアナ・フォン・ヴァイス。今はまだ、ゲームで描かれたような傲慢さのかけらもない、ただの愛らしい八歳の少女だ。


「よく眠れたかい?」


 できるだけ優しい声を心がけてベッドに近づくと、リリアナはこくりとうなずいた。

 ゲームのアシェルは病弱な設定で、リリアナとあまり関われなかった。だからこそ、俺がその役割を変えるんだ。


「今日はいい天気だから、朝食の前に少し庭を散歩しないか?」


 俺の誘いに、リリアナはぱちくりと目を瞬かせた。普段、兄から誘われることなどなかったのだろう。少し戸惑った後、彼女の顔にぱっと花が咲いたような笑顔が広がる。


「はい、お兄様!」


 その笑顔だけで、俺の決意はさらに固まった。こんな可愛い妹を、断罪の舞台になんて立たせてたまるか。


 それから俺の、リリアナの性格矯正、もとい、愛情を注いで育てる計画が始まった。

 まず心掛けたのは、徹底的に彼女の話を聞くことだ。公爵夫妻である両親は多忙で、リリアナは常に寂しさを抱えていた。俺は彼女が今日あったこと、嬉しかったこと、些細な不満、そのすべてに真摯に耳を傾けた。


 次に、前世の知識をフル活用した。

 この世界の菓子は、貴族向けのものでも甘いだけでレパートリーが多くない。俺は料理長に頼み込んで厨房を借り、カスタードクリームたっぷりのシュークリームや、ふわふわのシフォンケーキを作った。


「お兄様、これ、とっても美味しいですわ!」


 頬をクリームだらけにしながら喜ぶリリアナの姿は、まさに天使だった。


 また、夜にはベッドで物語を読み聞かせた。

 この世界にはない、前世の童話やファンタジーを、俺の記憶を頼りに語る。勇敢な王子様の話よりも、知恵と勇気で困難を乗り越える少女の話や、動物たちが活躍する物語を好んだのが、意外な発見だった。


 そんな日々を続けていくうちに、リリアナは目に見えて変わっていった。

 以前のどこか人を寄せ付けない雰囲気は消え、使用人たちにも笑顔で挨拶するようになった。我儘を言うこともなくなり、代わりに「お兄様は、どう思います?」と俺の意見を求めることが増えた。


 そして何より、彼女は完全な「お兄様っ子」になっていた。どこへ行くにも俺の後ろをついて回り、「お兄様、お兄様」と子犬のように懐いてくる。


 ある晴れた日の午後、俺たちが庭でお茶をしていると、リリアナが真剣な顔で俺を見つめてきた。


「お兄様は、私のことがお好きですか?」


 その問いに、俺は少し驚きながらも、迷わず微笑んで答えた。


「当たり前だろう。リリアナは、俺の世界で一番大切な、自慢の妹だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、リリアナの紫色の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 慌ててハンカチで拭ってやると、彼女は俺の胸に顔をうずめ、しゃくりあげながら言った。


「わたくしも……わたくしも、お兄様が大好きですわ……!」


 俺は彼女の小さな背中を優しく撫でながら、心の中でガッツポーズをした。

 よし、これなら大丈夫だ。リリアナはもう、嫉妬心からヒロインをいじめるような子じゃない。素直で、愛情深く、そして兄が大好きな、世界一可愛い妹に育ってくれた。


 断罪イベントの最大の火種は、これで消し去ることができたはずだ。最初の破滅フラグは見事に回避成功。

 俺のスローライフ計画は、順調な滑り出しを見せていた。

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