第13話 競売の日

 競売前日までにノーデとミカの部屋は医学書で埋まった。天使隊は「この部屋に本棚ごと持ってこれりゃあ最高なのに」と冗談をとばしたが、ノーデの眉間は険しかった。


 競売は3日続き、愛書家と書店業者と古書店の主が詰めかけた。反マザラン派の市民が中庭でマザランを罵っていた。競売請負人は第一書架の哲学書から始めた。


 ノーデとミカは目録が読み上げられ、本が競り落とされるのを見ていた。大金が動いた時は「マザランに死を!」「マザランに罰を!」の声が上がった。明らかに扇動者が入り込んでいた。


 最終日までに書架から次々と本が持ち出された。目的の本を手に入れ、すぐに去る者。顛末を見届けようと動かない者。天使隊のような人夫を連れた貴族はさっそく外の馬車に運ばせていた。


 最終日も大詰めとなり、請負人がタイトルをあげた。

「医学書は僅かだ。イングランド、ウィリアム・ハーヴェイ著『動物における血液と心臓の運動に関する解剖学的研究』1冊のみ。3リーヴルから始める」


ミカがすかさず叫んだ。

「3リーヴル!」

他から声が上がった。

「5リーブルだ」

ミカは10リーヴルまで上げた。そこで値は付いた。彼女は本を受取り、ノーデに渡した。

「もっと買いましょうか」

「いや、42行聖書のために取っておきなさい」


 残るは神学書の一部とプロテスタント関係書になった。その時、ジャック・ガルヌが2人の前を横切った。獰猛な眼をしていた。


 参加者たちは残りの本は捨て値と踏んでいた。冬の陽はそろそろ落ち始め、請負人らもさっさと終わらせたい。


 グーテンベルク聖書の番が来た。意外にも人気があった。ノーデはミカの手並みを見ていた。

「30リーヴルからだ」

請負人の付けた値に、ミカは「価値が分かってない」とつぶやいた。彼女は叫んだ。

「60リーヴル!」


あちこちから声が上がる。

「70だ」

「77でどうだ」

「80リーヴルで手を打て!」

ミカは100と手を挙げた。ノーデは稀覯本収集の依頼人、あるいは他の図書館司書がいると判断した。ミカの手持ちは250リーヴルだ。


「猊下が気前よくミカに現金支給していれば5倍はあったはずだ」


 聖書の値はとうとう200を超えた。ミカは230リーヴルで勝負に出た。次の瞬間、隣から250の声が上がる。請負人は「皆さん、これ以上はございませんか」と終了のサインを出した。


 ミカは胸から十字架を出した。

「250にこれを付けて! この品はマザラン枢機卿が所有していたもの! 彼にかける懸賞金ならこれほど相応しいものはない!」


 どよめきが起きた。誰かが「カエサルものはカエサルに。マザランのものはマザランに!」と後押しをした。それは少し離れた場所にいたノーデの声だった。ゲラゲラと笑い声がして、請負人はさっさと次の目録を開いた。


 ミカは42行聖書を受け取った。それを自室に置きに行き、戻ってくると、図書室は阿鼻叫喚に包まれていた。


 ノーデが窓から身を乗り出して叫んでいた。

「止めろ、止めてくれ! 本を燃やすのだけは止めるんだ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る