第5話 リュカ親方とゴンディ大司教補
ミカの仕事は早くて正確だった。マザランの人の才能を見抜く目は確かだった。ノーデは1週間で認めざるを得なかった。
訂正が必要な目録カードを前にミカは言った。
「私で宜しければ訂正作業をいたしますが」
ノーデはそっぽを向いたまま返事した。
「訂正部分はゴシック体で書け。あとで確認する」
マザランは時たま現れ、勝手に昼寝をした。盥に垂らしたテレピン油が夏の風に漂う中、ノーデとミカは黙々と作業をこなした。
10月、図書室の蔵書がポン・ヌフを渡る日が来た。
荷担ぎ人夫の頭領リュカは部下を集め、隊を組んだ。
「我ら天使隊、出発ッ! 猊下のお宝だ、慎重に行け」
彼らは荷車上の樽に書物を納め、ノーデ総指揮でパレ・ロワイヤル西側の通りを北上した。その先にテュブフ館はあった。
リュカはミカと共に先頭を行きながら歌った。
「俺たちゃお先に天国へ。これから書物の王国へ。後に残るは空の棚。ノーデ殿が寂しがる」
シテ島の図書室から本が無くなっていく中、ノーデはふとミカのことを考えた。
「リュカ親方に女とバレてないだろうな。私が気を揉む必要はないのだが」
杞憂だった。ミカはテュブフ館西翼2階の図書室にノーデの指定通りに本を配置させた。
天使隊の働きぶりに気を良くしたマザランは「今後も使ってやれ」と念を押した。
ノーデはミカと天使隊を率いてパリのあらゆる印刷所兼書店と古書店倉庫を訪れた。店からごっそり本が消えさえした。資金はマザランがいくらでも用意した。本が積まれた図書室の下は厩舎で、冬の寒さはいくらか柔らかい。
ミカエルの名と仕事と居場所を得て、マリーは15年ぶりの安らぎを得ていた。
「ノーデは私を追い出さなかった。言葉がぶっきらぼうても、彼の信頼を感じる。私が死体でも気にしない稀有な人。頑固で照れ屋だけど」
15年間、至る所で人を驚かせ、怖がられたことを思うと、奇跡のようだった。
「神よ、図書館がずっと続きますよう、お守りください」
パリ大司教補のポール・ド・ゴンディがノーデに唾を吐いたのは、それからすぐだった。
ゴンディはノートルダム寺院所属の聖職者だが、軽薄かつ無軌道な言動の持ち主で、マザランに嫌われていた。
その日、テュブフ館を訪れたゴンディは枢機卿に体よくあしらわれて、正面玄関を出た。そこにノーデがミカと天使隊に本を担がせて戻った。ゴンディはここぞと罵倒した。
「枢機卿の腰巾着め、何が司書だ。古代ローマの奴隷と変わらん! ガリアの川辺の田舎者め!」
反撃したのはミカだった。
「これはこれはノルマンディの磯ギンチャクめ。海の中でも赤いのに陸に上がっても真っ赤とは。枝から落ちて腐った林檎だ!」
ゴンディの故郷のノルマンディと彼の丸い顔を、ミカの文句がずぶずぶと貫いた。ノーデは驚き、天使隊からヒューと口笛が鳴った。
ゴンディはミカに詰め寄った。ミカは胸を張り、一歩も引かない。
「我がゴンディ家は元はイタリアの貴族! 身の程知らずの青二才め!」
「そちらは身の丈たらずの糞二才。お尻は糞虫だらけで真っ黒け、馬小屋より豚小屋がぴったり。乗るなら雌豚がちょうどよい。讃える文句がどこにもない。亡き詩人、ロンサール殿さえ骨を折る。得意技は偽善でござる、大司教補は地獄行き!」
リュカ親方と天使隊は手拍子を添え、ゴンディはますます赤くなった。彼は「娼婦の子供め、天罰が落ちるぞ、天罰天罰!」と喚いて馬車で去った。
ノーデはあきれて無言でミカの肩を叩いた。玄関脇の窓からマザランが手招きしていた。
「ミカ、無謀か勇敢かは問わぬ。ゴンディは放っておけば良いのだ。なぜ相手にした」
「猊下、ノーデを侮辱するやからは許せません」
猊下はノーデを振り返った。
「だそうだよ、ガブリエル。ミカ、ゴンディへの汚い口撃に感謝する。ノーデも儂も立場上リスクの高い技だからの。幼いルイ14世陛下のお耳を汚すとまずいのだよ、ふっふっふ」
枢機卿はわざとスキップを踏んだ。その向こうから、ノーデがチラリとミカに視線を投げた。照れくささを隠しきれずにいた。ミカは初めて微笑を返した。
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