一章三話 光を弔うヒカリビト。(3)
i.latte
一章 光を弔う ヒカリビト。 3話
しとしと と、曇り空に微かな雨。
勉学に励もうと意気込んだ初日から、雨。
なんだか天が「今日はお休みよ」と言っているような、そうでないような空気にちょっとばかりため息がこぼれる。
やるぞ!と心に入れた気合というやつは、今もそわそわしていて。
そのせいだろうか、足はゆらゆらと揺れ落ち着きがない。
かといって、別に落ち込んでいるわけでも腹を立てているわけでもない。
何とも表現できず、掴むに掴めない心で、クロアは雨降る空を呆けながら見つめる
「しけた面してるな」
そう、正に心が湿気たような気分だ。
と、クロアは一人で納得をした。
それはそうだろう。
色々と町の事や自分の事を学ぼうと決意した翌日から雨だ。
まるで、やっとの思いで起こせた火を突然の通り雨が消し去っていったような感覚だろう。
納得した身体は少しずつ落ち着きを取り戻し、変に入れ込んだ気合は空気が抜けたように消えていき、足全体に体重が乗る。
ふと身体に伝わる感覚に集中してみれば、自宅とは全く違う床の感触。
少しごわごわとしていて、どことなく優しさと温かさを感じる。わら と い草で出来た床は何だか寝っ転がりたくなるほど安心感のあるものだ。じいさんの適当な家とは全く違う。
「おっさんはなんで、家創れるようになろうと思ったの?」
クロアは、声の主に問いかける。
その声の主はピリカの父、チセだった。
雨風しのげて寝れればなんでもいいと言いたげなじいさんの家とは変わり(仮にも村長だろうが)幼馴染ピリカの住まいはとても立派で、一つ一つがとても丁寧な仕上がりになっていた。
この場所だけ文明が違うと言われても違和感がないほどに、繊細に組み立てられた木の柱と、細かく織り込まれた床(とこ)を眺めながらチセに問いかける
「家族を守りたかったから、かな」
「え、それだけ?」
「なんだ?もっと壮大な話かと思ったか?」
チセの言葉は、あまりにも普通で、ただ、カッコイイモノだった。
何故だろう。
祖父が居なくなってから、きょとんとすることが多い気がする。
知らない を 知りたくて、必死に手を伸ばして、やっとの思いで知れた時、それがあまりにも普通すぎる 事が多いのだ。
輝いて見えていたはずの それ が、届かないと思っていた それが、とても"あたりまえ"すぎるのだ。
それはきっと、届かない場所にあると思っているから輝いて見えるだけで。
それが「なんだそんなもんか」と 思えるのは、きっと自分自身が 元々"あたりまえに"持っているモノだったからなのだろう。
そんな当たり前すぎて、輝いている事すら忘れていた単純で純粋で愛情深いチセの想いに、クロアはそっか、と呟いた
「俺達は、お前たちが笑って、元気でいてくれたらそれでいいからな。そのためにも先ずは衣食住だ。」
俺はその中でも造るのがうまかっただけだよ、と笑いながら言うチセの顔は、娘のピリカにそっくりだった。
家族というのはこうして面影を継いでいくのだろう。
(オレは父親似かな母親似かな)なんて考えがふと頭をよぎる。
「まあでも、オレが家を創りたいって思ったのはこれのおかげでもあるな」
「これ、って?」
「畳だよ。」
たたみ、と、チセは人差し指で床をとんとんと叩く。
クロアが考え事をしているのが分かったのだろう。
流石父親だなと、上から目線の感心をしているクロアに対して、話を聞きなさいと言うようにチセはまた音を鳴らした。
その姿はまるで息子を諭す様で、クロアは真剣な顔でじっとチセを見つめる。
「畳の敷居と縁を踏むなって、よく聞くだろう。」
それはよく聞く話で、クロアも知っていた。
「じいさんもよく言ってた。その家に失礼だからするなって。」
なんでか知ってるか? とチセはクロアに問いただす。
その聴き方はある人にそっくりで。
クロアの視界に写るのは、確かにピリカの父であるチセなはずなのに、頭で交差するのはじいさんの姿。
あの人もよく同じ顔で同じように「なんでかわかるか?」と聞いてきたなあ と、思い出す。
何故踏んではいけないか。
クロアは記憶にある限りの踏んではいけないものを思い出す。
あれも、これも、そういえばあれも、...と、気付けば辿り着く答え
"そもそも物踏むのは良くは無くない?"
辿り着いた答えはあまりにもあたりまえに感じていた事で、あたりまえの"理由"を思い付くことはできず。
思考はぐるぐると迷宮入りになりそうで、やっとの思いで絞り出した答えは わからない だった。
「畳の縁(へり)はな、先祖との縁(えん)そのものでもあるんだ」
それは昔、食物がまだ豊かでなかった時代の事。
愛する家族とこれからの家族の為に生きれればそれだけで幸せだった時があった。
寒くなれば食物は育たず、実り豊かであれば山の動物達が生きるために畑を荒らす。
時には天災、時には悪魔が、生命を奪い取っていくこともよくあった。
だから生命そのものがありがたいもので、子宝に恵まれればそれだけでいいのだとそう思っていた時があった。
でも実際は違ったのだ。
天からの恵が何度もある訳では無い。
子という宝を貰ったとしても、それを繋ぐ為の食が私たちには足りないのだ。
生命は儚く消えていく。
それは天の災いでも人の災いでも悪魔の暇潰しでもなく、ただ「その子」の運命であったのだろう。
生命を繋げるための食がない。
それはつまり「その子」には眠る事しか出来ないと同義であった。
赤子は乳を飲み育つ。けれど、赤子の為の乳を出す為には、母が子らの何倍もの食を取らなければならない。
そんな事、母には出来ない。
できるわけが無いのだ。
腹を空かせた子らの姿を見ながら、1人飯をたらふく食べる事など母は耐えられない。
「その子」はとても鳴いただろう。
腹を空かせ鳴いただろう。
母は「その子」を抱き締めることしか出来ない。ごめんね、ありがとう。
ごめんね。
そう言いながら、ぎゅっと抱きしめることしかできない。
やがて「その子」は、鳴けばもっと腹が空くことを知ったのか鳴かなくなった。
そうして静かに静かに眠ることが増えていった。
そうして、母は決断した。
眠ることが増え目を開けることもなくなった「その子」を、息絶える前に家の下に埋めたのだ。
畳をめくり 、 土を掘り、その子をいれ、また土をかぶせ、そうして埋めた。
「その子」の犠牲が「この家」を護ったのだと、子らに伝えながら。
その子が居たから、私たちが生きていけるのだと伝えながら。
「縁の下に、その子らは眠ってる。だから俺達はここを縁って呼んでるんだ」
だから、家を守るってのは生かしてくれた先祖の想いを無駄にしない為にもあるんだよ。
その言葉には何百年かけて繋がれた今と、チセのこれまで、そしてピリカへの想いが詰まっていたような気がして、クロアは言葉もでなかった。
いや、出なかったのではない。
この心を表現するほどの言葉をクロアには拾えなかったのだろう。
クロアはそっと縁に手を伸ばす。床下に眠るその子を感じるように。
縁の隙間から、先ほどまで無かった小さな光がふよ、ふよと浮いてくる。
それはとても小さな光。
けれど確かに、そこにある光。
顔のないはずの光は笑っているかのようにふよふよと上下に揺れる。
きっと何も恨んでいないのだろう。
苦しかったろうに、寒かったろうに、お腹もすいただろうに、楽しいことも、嬉しいことも、何も感じることのないまま生を終えたはずなのに、そんなの気にも留めず、ただただ、にこにことしている光に、クロアはそっと笑いかける。
光はとても驚いて、びくびくとした。
初めて、誰かに見つけてもらえたのだろう。
(自分が視えるの?)とおどおどとしながらクロアに近づく。
「・・・いるのか?そこに、その子が。」
クロアの様子を見ていたチセは今にも泣きそうな顔で口を開く。
クロアはそっと頷く。
本来であれば、大樹に迎えられるはずの光。
けれども、その子はずっと、そこに居た。
居続けてくれていたのだ。
「そうか、・・・還してやってくれ。もう、十分だ。十分、守ってくれた。」
クロアは光に手を伸ばす。
びくびくとしていた光は、チセとクロアを交互に見て、何かを悟ったのか、クロアの手を受け入れる。
指が、光に触れる。
途端、聞こえてくるのは優しい声。
(ごめんね、ごめんね)
と暖かな母の温もり。
泣きそうな顔の子供たち。
シーンは変わり、賑やかな足音。
大きくなった子供たちと、沢山の足音。
暖かな空気と、お腹が満たされる香り。
よぼよぼになった母が手を当てる。
(ほら、みて。ここにね、いるんだよ。)
賑やかな子供たち。
沢山のありがとうの声。
声はとてもぼやけていて、何を言っているかも殆どわからない。
それでも伝わる思いはとても暖かく、
(よかったね、よかったねえ。みんな幸せ。うれしいね。)
そんな言葉で溢れていく
ふと目をやると、光はとても嬉しそうで。
流れ伝わる記憶と心に、クロアは大粒の涙を流す。呆然と、ただ涙を流すことしかできない。
「なんて、言ってるんだ」
不安そうな顔で、問うチセ。
そんな不安を飛ばす様に、光は想いを伝えてくれる
それはとても清く、美しい心で、
「"みんな、おなかいっぱい?"って、聞いてくれてます」
しゃくりながら、伝える。
光の最後の想いを。
強面の大の大人が、ぼろぼろと涙を流す。
「おなかいっぱいだよ。 ありがとう。 本当に、ありがとう・・・!ありがとう、ございました・・・!」
チセに光は見えていない。
その光は、クロアにしか見えない、魂の光。ラマと呼ばれる光。
そう、視えていないはず。だけれでもチセは、光に向かい、頭を床に擦り付け、何度も叫ぶ。
初めて床から出てこれて、初めて家の中を見る事が出来て、初めて、言葉を理解したであろう光は、
(そっか、そっかあ。よかったあ)
と、言葉を残した。
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