第2話 覚醒するNPCたち
俺は立ち上がった。
「分かりました。行きます」
「タロウ様……」
リーナの顔に安堵の色が浮かんだ。
「でも一つ条件があります」
「条件、ですか?」
「俺が役割持ちかどうかなんて関係ない。今は街の人たちを守ることが最優先です。でも、これが終わったら、俺は自分の意志で生きていきたい。決められた運命に縛られるのではなく、自分で選択できる存在として」
リーナは一瞬驚いたように目を見開き、やがて静かに微笑んだ。
「はい。きっと、そうなれると思います」
俺は急いで準備を整えた。
武器は持てないが、せめて動きやすい服装に着替える。
ギルドの倉庫から革製の防具を借りることもできたが、重くて動けなくなるよりはマシだと判断した。
北の森へ向かう道中、俺と一緒に歩いているのは屈強な冒険者たち――のはずだった。
「あの、俺たちはなぜここにいるのでしょうか?」
隣を歩いていた剣士が戸惑いを押し殺した声で口を開いた。
「え?」
「いえ、おかしいんです。私はいつもなら『はい、承知いたしました』としか答えないのに、今は色々なことを考えられます」
「俺も同じだ」
弓使いの冒険者も困惑した声を上げた。
「何だか頭がクリアになったような感じがする。これまでは霞がかかったような状態だったのに」
リーナが俺に目を向ける。
「やはり、タロウ様の影響ですね。近くにいるだけで、『役割持ち』たちが目覚めていく……」
予想外だった。
俺がNPC――この世界でいう「役割持ち」を覚醒させる力を持つことは聞いていたが、ここまで顕著だとは。
「あの……」
今度はローブ姿の魔法使いの女性が、おずおずと声をかけてきた。
「私、エルフィンと申します。これまで自分の名前すら意識したことがなかったのに、今ははっきりと覚えています」
「俺はガルド。戦士だ……って、これも今初めて自覚したことだな」
冒険者たちが次々と自己紹介を始めた。
生まれたばかりの子供のように、自分という輪郭を指でなぞり直しているかのようだった。
「皆さん、落ち着いてください」
リーナが一同を見渡し、声をかける。
「今は緊急事態です。ドラゴンを何とかしなければ」
やがて、森の入り口に到着した。
湿った土の匂い。
重く垂れこめる木々の影。
そして――
「うわあああああ!」
木々の向こうから巨影が立ち上がった。
全長五メートルほどの古代ドラゴン。
金色の鱗が陽に反射して煌めき、広げた翼はひと振りで木立を撫で落とせそうだった。
赤い瞳は燃え立つようで、獣の呼気が熱を帯びてこちらへ流れ込んできた。
「でかっ!」
冒険者たちが一様にたじろぐ。
これまでなら機械的に戦闘態勢に入っていた彼らが、今は初めて「恐怖」という名の刃を喉元に当てられていた。
「どうしよう……こんな化け物、倒せるわけがない」
「逃げようか……」
「でも街の人たちが……」
覚醒したばかりのNPCたちは混乱していた。
震える膝、乾く喉、握り締めた武器が小刻みに鳴る。
「グルルルル……」
ドラゴンがこちらに気づき、威嚇の咆哮を上げた。
地面が低く唸り、木の葉が一斉に舞い散る。
だが――
その赤い瞳が俺を捉えた瞬間、巨体がピタリと固まった。
「あ……あれ?」
ドラゴンの表情に、戸惑いの影が走る。
そして一歩、また一歩と後ずさった。
「おい、ドラゴンが……」
「逃げようとしてる?」
しかし、完全には退かない。
距離だけを保ち、俺をまっすぐに見つめ続ける。
何かを測るように。
何かを求めるように。
そして、突然ドラゴンが口を開いた。
「……なぜだ?」
え?
ドラゴンが喋った?
「なぜ、お前を見ると逃げたくなる?
そして同時に、なぜこんなにも頭がクリアになる?」
ドラゴンも役割持ち――そして、今まさに覚醒したのか。
「我は……我は一体何者なのだ?」
ドラゴンの声は低く震えていた。
「これまでは『村を襲う』ということしか頭になかった。だが今は、なぜそうしなければならないのか、疑問に思っている」
俺は巨大な瞳を見つめ返した。
そこに宿るのは牙でも炎でもない。
困惑と、助けを求める色。
「待てよ……」
最初、ドラゴンは俺を見て退いた。
だが逃げ切らず、ここに留まっている。
――答えを欲しがっている。
「そうか……君も同じなんだな」
俺はゆっくりと一歩を踏み出した。
冒険者たちが慌てて俺の肩を掴もうとする。
俺は手を振って制した。
「大丈夫だ。この子は俺たちを傷つけない」
「この子って……ドラゴンですよ?」
エルフィンが困惑混じりに声を上げる。
「見てくれ。この子の目を」
俺が正面に立つと、巨大な瞳孔が僅かに開き、俺の姿を結んだ。
そこには知性があった。
攻撃の火種ではなく、問いの光が燃えていた。
「攻撃しようとする目じゃない。助けを求める目だ。俺と同じ……自分が何者なのか分からなくて、怖がっている目だよ」
「君は……怖いのか?」
ドラゴンがゆっくりと頭を垂れた。
頷き――に、見えた。
「俺も怖いよ。自分が何者なのか、この先どうなるのか、全然分からないんだ」
そのとき、ドラゴンが小さく鳴いた。
威嚇ではない。
挨拶のような、安堵のような、柔らかな音。
「タロウ様……」
リーナが感嘆の息を漏らす。
「ドラゴンがあんなに穏やかな表情をするなんて……」
冒険者たちも、いつの間にか武器を下ろしていた。
敵として現れたはずの存在が、迷子の子供のように見え始めていた。
「でも、街の人たちはまだ怖がっている」
ガルドが低く呟く。
「この状況をどう説明すればいいんだ」
確かに、その通りだ。
街にとっては「ドラゴンがいる」という事実だけで十分に恐怖だ。
たとえ敵意がなくとも。
「まずは街に戻って、状況を報告しましょう」
リーナが提案する。
「ギルドマスターに相談すれば、何か良い方法があるかもしれません」
そのとき、ドラゴンが再び鳴いた。
今度は寂しそうな、どこか哀しい音色だった。
「この子……一人ぼっちなんだ」
直感が告げた。
「きっと、なぜ自分がここにいるのか、何をすべきなのか、分からなくて困っているんだ」
エルフィンが驚いたように俺を見る。
「タロウ様、まるでドラゴンの気持ちが分かるみたいですね」
「うん……なぜか分かるんだ。同じような境遇だからかな」
ドラゴンが大きな鼻先を俺の手に近づけた。
温かい呼気。
ざらついた鱗の感触。
威厳の象徴は、今はただの確かめる仕草に過ぎなかった。
「よし、君も一緒に街に来るか?」
その瞬間、ドラゴンの体表が淡く輝いた。
輪郭が揺らぎ、質量がしずむように――体が縮む。
五メートルから二メートルへ。
圧は残しつつも、人が受け止めうるサイズへと。
「え? 小さくなった?」
エルフィンが目を丸くする。
次の瞬間、俺の頭の中に声が響いた。
『我は……体の大きさを変えることができるのか』
念話。
口は動いていないのに、はっきりと意味が届く。
『そうだ、これは念話というものだ。覚醒と同時に、いくつかの能力を思い出したようだ』
ドラゴンが嬉しそうに小さく鳴いた。
金色の尾が、僅かに左右へ揺れる。
「ちょっと待ってください!」
ガルドが慌てて口を挟む。
「ドラゴンを街に連れて帰るなんて……」
その瞬間、全員の頭に同時に声が響いた。
『皆に聞こえるか? 我は村を襲う意志など微塵もない。ただ……自分が何者で、何をすべきかを知りたいだけなのだ』
冒険者たちが顔を見合わせる。
「今の声……」
「ドラゴンが直接頭の中に?」
ドラゴンが、今度は俺だけへと声を細く向ける。
『君には普通に話しかけることもできる』
そして、実際に口を開いた。
「タロウよ、我と一緒に来てくれるのか?」
「大丈夫だよ。この子は悪いことしない」
確信があった。
このドラゴンは俺たちと同じ、決められた行動しか持たなかった「役割持ち」が、突然自我に目覚めてしまった存在だ。
街へ戻る道すがら――問題が起きた。
「リーナ様! 大変です!」
街の方角から、馬に乗った伝令が砂塵を上げて駆けてきた。
俺たちを視界に捉えた瞬間――
「うわあああ! ド、ドラゴンが!!」
伝令は馬上で仰け反り、落馬しかけて慌てふためく。
近くで見る二メートルの竜は、確かに圧が強い。
「大丈夫です!」
リーナが両手を広げて制した。
「この子は敵ではありません。タロウ様の影響で覚醒して、今は友好的なんです」
「か、覚醒? ドラゴンが?」
伝令は混乱しながらも、攻撃が来ないことに気づき、徐々に呼吸を整えた。
「えーと……実は、それ以上に大変な事態が起きています」
伝令が本来の用件を思い出すように身を乗り出す。
「街で異変が起きているのです! あちこちで人々が『なぜ自分はここにいるんだろう』『いつもと違う考えが頭に浮かぶ』と言い始めて……」
俺の影響が街にまで――広がっているのか。
「それに、ギルドマスターが『この現象について緊急会議を開く』と仰っています。タロウ様に至急お戻りいただきたいと……」
伝令は再びドラゴンを見上げ、喉を鳴らした。
「ですが、このドラゴンと一緒では……街の人々がパニックを起こします」
確かに、その懸念は大きい。
ドラゴンを連れて門をくぐれば、街は恐慌に陥るだろう。
リーナが俺に近づき、声を落とす。
「タロウ様……実は、ギルドの上層部の中には、あなたの能力を危険視している方もいらっしゃいます。もしドラゴンと一緒に現れたら……」
「どうなるんですか?」
「最悪の場合、あなたを『街の脅威』として処分しようとするかもしれません」
処分――。
つまり、俺を殺すということか。
伝令が焦りを隠さず続けた。
「とにかく、一刻も早く! 街では異変が拡大していて、人々がパニックを起こし始めています!」
時間がない。
選ばなければならない。
ドラゴンと一緒に堂々と街に戻り、すべてを正直に説明するか?
それとも、ドラゴンと別れて一人で街に戻るか?
はたまた、このまま逃げてしまうか?
どうする、田中太郎――
続く……
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