リライト『神に遭う路地』(『上野恭介は呪われている』より)

キヤ

第1話 センセイのセンセー

 俺はタオルで汗を拭くフリをしながら、こらえきれない欠伸をごまかしていた。駅の構内から見た都会の景色は白く飛び、一歩外に出ると夏の日差しが寝不足の目を容赦なく突き刺した。こんなことなら意地を張らず、相棒の上野からもらったサングラスを持って来るんだった。サングラスというより色付き眼鏡に近いそれは、上野が「神田先輩が掛けるとインテリヤクザみたいですね!」と喜んだため、家に置いてきてしまっていた。


「マサ……」


 前を歩いていたセンセイが立ち止まり、俺はギクリと肩を震わせた。欠伸をしていたのはもちろんだが、寝不足の原因があのクソ忌々しい騒音なだけあって、センセイには絶対に知られたくなかった。


「帰ったら飲めるよう飲み物を注文しとくけど、何がいい?」


 ご馳走してやる、と言い、センセイはタオルハンカチで首元を拭って振り向いた。高く結い上げられたポニーテールが勢いよく揺れる。俺が胸をなでおろしたのもつかの間、普段は長い髪の毛で隠れたセンセイのうなじに後れ毛が張り付き、その上を玉のような汗が流れた。俺は新たな動揺を隠しながら、


「いちご味のかき氷……練乳抜きで……」


 と答えた。センセイは「おっけー」と俺の“かき氷飲み物発言”を指摘する事なくスマートフォンを取り出した。


 高校最後の夏休みが始まってから一週間、はらいい屋見習いの俺は師匠であるセンセイの元で修行を積んでいた。座学や基礎鍛錬が中心だが、今日みたいに依頼が入った日はセンセイに同行して現場を経験している。依頼を完了し、俺たちは最寄り駅から事務所へと帰るところだった。


「――えっ、ないの? じゃあ千晴ちはるが作れよ、おろし金でさ! いける、いける! 味は練乳なしのいちごとブルーハワイな!」


 どうやら事務所の下にある喫茶店ではなく、センセイは事務員の秋葉あきば先輩に電話をしたようだ。喫茶店のメニューにかき氷がないらしく、センセイは先輩に難題を押し付けていた。嬉々とした様子から見て、秋葉先輩を怒らせているんじゃないだろうか。

 念のため喫茶店にあるコーラフロートとメロンソーダの注文を先輩に頼むと、センセイは電話を切って歩き出した。俺もセンセイのキャリーバッグを引いて隣に並ぶ。この暑さのせいか地元より人でにぎわう駅前は閑散としており、タクシーも出払っていた。

 センセイが口を開いた。


「……で、除霊に手こずっているみたいだな」


 電話の時よりも声のトーンが下がり、俺は言い逃れ出来ないことを悟った。素直に白状する。


「はい。まだです」


 修行の間、俺は事務所近くのホテルに滞在していた。センセイの事務所にはシャワールームとミニキッチン、仮眠室も設けられていたが、俺は未成年者である事を理由に宿泊を許可してもらえなかった。不測の事態が起きた時に俺が対処出来ないからではなく、一人で心細い思いをさせたくないのだそうだ。もし泊まるなら秋葉先輩も一緒だと脅され、俺はすぐに観念した。先輩とお泊りなんて、考えただけでも緊張してしまう。


 去年よりも修行が一週間延長され、俺はその分の費用がかさむのを気にしていた。センセイは「それぐらい儲けているから平気、平気」と請け負ったが、ちょうどその時、近所のホテルから事務所に除霊の依頼が入った。夜中になると客室で奇妙な音が聞こえるそうだ。センセイが調べたところ、営業の妨げにはなるが悪影響はないらしく、修行の一環として俺が除霊を任されることになった。


「私が除霊しようか? 別に出来なかったからと言って、落第というわけではないんだからな」


「いえ……もう少し頑張らせてください」


 修行の一日目、俺はチェックインを済ませてホテルの部屋をざっと探った。幽霊の姿はなかったが、その時は夜中になれば現れる類の奴だと気に留めていなかった。それが夜の十二時を過ぎると、突然、割れるような大きな歌声が響き渡ったのだ。依頼内容は『奇妙な音』だけだったから、霊感のある人間にしか歌声として聞こえないのだろう。音は調子が外れ、聞き覚えのありそうな歌詞も、不快なメロディに邪魔されて頭に入ってこない。俺は耳をふさぎながら室内をくまなく探したが、正体は見つからず、気配さえも感じ取れなかった。部屋から出ると音が聞こえなくなったので、物理的な原因ではないことは確かだ。


 負けじと俺も大声で祓を唱えたら、フロントから「隣室から苦情が出ている」と連絡が入ってしまった。部屋やホテルには怪異の原因となりそうな土地の因縁や事件もない。清めた酒をスプレーして回るわけにもいかず、俺は枕で耳をふさぎながら必死に除霊方法を探していた。


「毎晩、下手クソなライブに付き合わされているんです。負けたまま引き下がれません」


 歌声は空が明るみ出すまで絶え間なく続く。安眠を妨害された恨みは、自分の手で晴らしたかった。

 センセイは俺の目を睨みつけるように見つめた後、笑った。


「わかった。だけど、私はお爺さんとお婆さんから大事な孫をお預かりしている身だ。無理だと判断したら、殴ってでも除霊しに行くからな!」


 矛盾した言動で脅され、俺は神妙に頷いた。


「肝に銘じときますっ……」



 ◇



 事務所に到着すると、応接テーブルにはガラス製の器に盛られたかき氷が置いてあった。コーラフロートとメロンソーダも並んでいる。駅から事務所まで徒歩で三〇分ほどあったが、いったいどうやって用意したのだろうか。


「私のアドバイス通り、おろし金で作れたか!」


 まるで自分の手柄のようにセンセイはかき氷を喜んだ。ミニキッチンには水切りマットの上におろし金が伏せてある。「オカ部の最終兵器」の異名を持つだけに、秋葉先輩なら不可能を可能にできるのかもしれない。

 先輩は事務机でパソコンンのキーボードをたたいていた。


「試してみましたが、製氷機の氷では小さくて持っていられず無理でした。ご自分で検証してみますか?」


 まだ氷が残っていますよ、と画面から目を上げずに言い放つ。淡々とした口調は、挑発とも提案にも取れた。

 秋葉先輩は俺の1つ上の先輩で、医学部に通う大学一年生だ。俺が所属するオカルト同好会部の前部長で、今年の四月から事務員としてアルバイトをしている。夏休みの修行を始めて一週間が経つが、俺はまだ先輩がいる状況に慣れていなかった。

 秋葉先輩のドライな対応に驚く俺の横で、センセイがテーブルを指さした。


「じゃあ、それは?」


「下で古いかき氷機をお借りしました。昔はかき氷も出していた、とスミレさんが話していましたので――」


 シロップと氷は近所の小型スーパーで調達できたという。


「――次このような事があったら、俺の給与に無理難題手当を追加しますから」


「ん~、じゃあ、次は金払ってでもやってもらいたい無理難題を吹っ掛けるよ」


 センセイは満足げに笑うと、荷物を置きに奥の部屋へと引っ込んだ。先輩はタイピングの手を止めて、俺に穏やかな笑みを向けた。


「やあ、雅弘まさひろ、暑い中疲れただろう? 溶けないうちに食べるといい」


「あ……ありがとうございます、秋葉先輩……」


 手を洗っておいで、と言われ、俺は幼稚園児の気分になりながら洗面所へ向かった。センセイの不満げな声が聞こえる。


「私のときと態度違くない!?」


「先輩として望ましい態度で後輩に接するのが、俺の信条でして」


 手と顔を洗い終えて戻ってくると、先輩は再び真顔でセンセイと会話を交わしていた。後輩に気を遣って笑顔なのと、センセイに遠慮無く真顔なのと、どちらが秋葉先輩にとって良い事なのか俺には判断がつかなかった。


 ソファに座って、いちごシロップがたっぷりかかったかき氷にスプーンを入れていると、先輩が「そうだ、綾香あやかさん」とセンセイに声をかけた。


「先ほど大塚さんから、こちらへと寄ると電話がありましたよ」


「げえ~! マジかよ! あのオッサンが来るとロクな事ねぇんだよなぁ~」


 センセイは愚痴をこぼしながらブルーハワイの山を切り崩した。センセイのかき氷は、そうめん用の大鉢に盛られた特大サイズで、スプーンはカレー用を使っている。秋葉先輩が「お茶菓子でも買ってきましょうか?」と問うと、センセイはスプーンを振った。


「外は暑いからいいよ。センセーにはあれを出して、ジンギスカン羊羹」


「えっ、綾香さんが一本食べを断念された羊羹ですか?」


 センセイの食欲を削ぐなんて、よほどの味なのだろう。センセイは悪びれた様子もなくスプーンを置くと、メロンソーダのアイスを沈めた。


「うん。まだひと箱残っていただろ?」


 下調べの段階から弟子に厄介な仕事を押し付けるような人間には十分だ、とセンセイは息まいた。秋葉先輩が肩をすくめる。


「まだ根に持っていらっしゃるんですか?」


「当ったり前だろ? 千晴もセンセーのせいでひどい目にあったんだから、もっと怒れ」


 去年の秋、センセイは仕事先の村で卒業旅行中の秋葉先輩と出会った。怪しい土着信仰を行う村で、センセイは先輩の力を借りて依頼を完了したそうだ。他人に話すと祟る類の出来事だったらしく、俺も詳しいことは教えてもらえなかった。


 秋葉先輩はしばらく考えた後、


「大塚さんには、怒りよりも興味を覚えますね」


 と言った。


 秋葉先輩は頬と背中に大怪我を負い、おまけに遠くからでも寒気を覚えるほどの穢れを受けた。あの時の寒気は現在の酷暑を忘れるほど強く、思い出しただけでエアコンとかき氷で冷めた体に悪寒が走った。もしも大塚さんに責任の一端があるのなら、先輩は怒っていいだろう。怒りよりも興味のほうが強いなんて、やっぱり変わっている。


 俺はかき氷を食べる手を止めて訊いた。


「大塚さんって、センセイの師匠っすよね?」


「ああ。そういやマサは、会った事が無かったね! 千晴も……対面するのは初めてか」


 秋葉先輩は「はい」と頷いた。


「綾香さんは、いつ大塚さんの弟子になられたのですか?」


「高一の時。まだ反抗期を引きずってて、最悪に尖っていたよ」


 俺がセンセイの弟子になったのは小学四年生の時だ。センセイはすでに祓い屋として仕事をしており、霊に付きまとわれていた俺に倒し方を教えてくれた。センセイと出会うまで、俺は霊が視える事を異常だと自分に言い聞かせ、必死で無視しようとしていた。


「その頃から、祓い屋になろうと思っていたんですか?」


 俺は強くて堂々とした姿しか見たことがなかったが、センセイにも悩んでいた時期があったのだろうか。


「いいや。当時は祓い屋なんて職業があることも知らなかったよ。思えばあれが、私の人生における大きなターニングポイントだったのかもしれないね――」


 そう言ってセンセイは、懐かしそうに笑みを浮かべながら思い出を語り始めた。

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