光のダンス⑤――視聴者と作る魚の行動学――

夕方の光が、カフェの窓から斜めに差し込んでいた。

 ノートPCの画面には、共有中のスプレッドシート。

 視聴者が入力したデータが、行ごとに静かに増えていく。


 凪はマウスから手を離し、背もたれに体を預けた。


(……本当に、ここまで来たんだな)


 配信を始めた頃は、ただ魚を眺めながら話していただけだった。

 それが今では、仮説があり、検証があり、参加者がいる。


 通知音。


《編集ラフ、第一案できたよ》

 明香里からだった。


 リンクを開く。

 そこには「光のダンス:視聴者と作る魚の行動学」という仮タイトルと、

 配信構成の簡単な流れがまとめられていた。


 ――導入:視聴者データの共有

 ――中盤:光色別の行動差

 ――終盤:次回仮説の提示


 余計な演出はない。

 でも、どこか“見せる”工夫がある。


「……さすがだな」


 思わず呟いた、その直後。

 通話が繋がる。


『今の声、聞こえた』


「盗み聞きすんな」


『してないしてない。たまたま』


 くすっと笑う声。


「構成、かなりいい。視聴者が主役になってる」


『でしょ? そこは一番大事にした』


 一拍、間が空く。


 凪は、少し迷ってから切り出した。


「……なあ、今回の配信なんだけどさ」


『うん』


「一緒にやるって言っても、どういう形にする?その……通話繋ぐとか、画面に――」


 言葉が途中で止まる。


 少しの沈黙。


『あー、それね』


 明香里の声は、落ち着いていた。


『今回は、私は“出ない”よ』


「……え?」


『凪くんのチャンネルでしょ?

 それにこれは、視聴者参加の研究回だもん』


 当然みたいに、彼女は言う。


『私が前に出たら、“ただのコラボ”になっちゃう。そうなると、企画の芯がズレる』


 凪は、画面を見つめたまま黙った。


『だから今回は裏。

 構成と、データ整理と、編集と……ちょっ

 とした視点提供』


「……それで、いいのか?」


『うん』


 短く、はっきり。


『その方が、凪くんの“今”がちゃんと伝わるから』


「……ありがとう」


『何が?』


「俺の企画として、大切に扱ってくれてる気がしてさ」


 一瞬の沈黙。


『ふふ』


 柔らかい笑い声。


『何言ってんの。

 これは“私たち”の研究だけど――』


 少しだけ声のトーンが下がる。


『この水槽は、凪くんのものだよ』


 凪は、ゆっくり息を吐いた。


「じゃあ今回は……視聴者と俺でやる」


『うん。私はガラスの向こう側』


「水族館の照明係か?」


『そうそう。光は当てるけど、魚は驚かせない役』


 その表現が、やけにしっくりきた。


『……ちゃんと10万人いったらさ』


「?」


『その時は、隣に立つから』


 さらっと言われた一言。


 なのに、胸の奥が妙にざわつく。


「……気が早いな」


『早くないよ。

 凪くんなら、行く』


 根拠のない断言。

 でも、不思議と否定する気になれなかっ

 た。


 通話を切ったあと。

 凪はカフェを出て、夕暮れの街を歩く。


 頭の中には、次の配信。

 次の仮説。

 次のデータ。


 そして――

 ガラスの向こうで、同じ水槽を見ている誰かの気配。


 夜。

 部屋に戻り、水槽のライトを点ける。


 白、青、少しだけ赤。


 魚たちは、それぞれ違う動きを見せる。


(……大丈夫だ)


 これは、誰かに媚びるための配信じゃない。一緒に“見つける”ための場所だ。


 凪はカメラをセットし、配信画面を開く。


 タイトル欄に、文字を打ち込んだ。


《光のダンス:視聴者と作る魚の行動学》


 配信開始まで、あと三十分。


 水槽の中で、光が静かに揺れていた。


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