第13話 律樹
似てる似てるとは思っていたが、髪の色まで同じになるとアスターはまさに律樹と生き写しだった。
俺はアスターと目があった瞬間、自分の顔が真っ赤になるのを感じた。握っていた彼の手首からぱっと手を放す。アスターの目が訝し気に俺を見た。
律樹に見られている。
理性では違うと分かっているのに、俺の脳は完全に目の前にいるのがアスターではなく、律樹だと誤認してしまっていた。
全身の毛穴から興奮で汗が噴き出る。手が震えた。こんなに近くに律樹を感じて、彼の顔以外の情報が全く失われてしまった。肌に毛穴一つない。目がきらきらすぎる。
右肩上がりに高鳴り続ける鼓動に耐えかね、俺は「じゃ、じゃあそろそろ次の授業始まるから。俺、トイレ行ってくる」と意味不明の言い訳をしてアスターの傍を離れた。
廊下に出ると、外の空気がわずかに肌の表面温度を下げてくれた。
とにかく落ち着こう。静かな場所に行きたい。俺は一人になれる場所を探して爆速で歩いた。外廊下の角を曲がろうとした時だった。向こうからやってくる人に気づかず、額が思い切り誰かの胸にあたる。痛い。額を押さえ、謝りながら後ろによろめいた。
「大丈夫?」
聞き覚えのある声だ。見ると、ぶつかったのはフィン王子だった。次の授業で使うのだろう、数冊の教科書を抱えてこっちを見ている。秋用のニットベストが良く似合っていた。
彼の顔を見ていると、俺は段々気持ちが落ち着いてくるのを感じた。水で口直しをした気分というか、別の種類の美貌を見たことで、生で見る律樹の顔面による衝撃が薄れたのかもしれない。
「これ、売店で買ったものだけど」
よっぽど様子がおかしかったのだろう。心配した王子は俺をベンチに座らせて飲み物を買ってきてくれた。アイスティーだ。お礼を言って受け取りながら、王子に授業をサボらせたうえ、パシらせてしまった、と罪悪感を覚える。ベンチの傍には金木犀が植えられており、甘い匂いがした。
「二人で話すの、久しぶりだね。君、あれ以来話しかけてくれなかったから」
あれ以来とは、逆さトカゲの胆汁の解毒薬を作って以来だ。恩知らずな俺は用がないからとわざわざ彼に話しかけなかったのだ。
「ごめん……」
「別に。ただ、君と仲良くなれたと思ってたから残念だっただけだよ」
良心が痛む。俺はアイスティーで顔を隠しながら蚊の鳴くような声でもう一度謝った。王子は快活に笑った。
「いいんだ。意地悪言ってごめん」
「本当に申し訳ない……、俺にできること、ある? なんでもするけど……」
「うーん……」
王子は膝を組んで考えたが、特に思いつかないようだった。一国の王子である彼に、俺みたいなやつが解決できる悩みはないんだろう。
「じゃあ、たまにこうして話してほしい」
「そんなことで良いのか? 王子、血液型なに? 将来輸血が必要になったら言ってくれよ。絶対協力するから」
「あはは、ユケツって何?」
異世界には輸血がないのか。ますます役に立てない。俺の自己肯定感が地面にめり込んでいく。俺というやつは、アスターという個人を無視して律樹と同一視したうえ、恩人である王子になにもできないとは……。情緒がぶれぶれだ。一体なんのために異世界に来たんだ? 大勢の命が自分にかかっているという自覚はないのか。
「でも本当に、私はただ君と話してみたかったんだ。前期試験の時から……」
王子はそう言うと、授業に行かなくちゃいけないからと言って立ち上がった。彼に授業があるということは、同級生である俺にも当然ある。彼とはクラスが違うのでここで別れた。
教室後方の扉から遅れて授業に参加すると、教師は他校の手前叱責はしなかったが代わりにアスターの視線が刃のように刺さった。うっ、金髪アイドル律樹の顔、ビジュが大爆発してる。アスターの火傷した手はすっかり治って大丈夫そうだ。良かった。
ペアの子に教えてもらった教科書のページを開き、俺は呪文のように「あれはアスター、あれはアスター」と心で唱えた。あれはアスターであって、律樹じゃない。
結局、俺がアスターの顔に慣れるより色変え薬の効果が切れる方が早かった。
黒髪に戻ったアスターを見て、実家のような安心感を覚える。俺は感極まって彼に抱きつき「そのままのお前が最高だよ。もう二度と金髪にならないように気を付けよう」と言った。アスターは眉を顰め、納得していない顔をしつつも「うん」と頷いた。
俺が一人で大騒ぎしている間に、交流会の時間はどんどん過ぎて行った。
気づけばもうダンスパーティー前日で、生徒たちはパートナーを見つけられた者とそうでない者に明暗分かれていた。男女がだいたい同数なのにあぶれるやつが出てくるのは、下手な相手で妥協できない女の子側の高潔さが原因だった。
「もうパートナー決まった?」
俺が授業でペアだった子に聞くと、彼女は「友達と行くの。本当は誘いたい人がいたんだけど、断られちゃったから」と言った。
「断られた? そんなやついるんだ。うちの男たちなんて、君に声をかけてもらったら犬みたいについて行くと思ってた」
「ふふ、でも、彼は違うわ。どう見たって特別だもの」
彼女は笑って、こっそりと目配せで相手が誰かを教えてくれた。アスター! お前、女の子の誘いを断ったのかよ。ペアだったから知ってるが、この子も相当魅力的だ。素直そうだし、可愛いし、なにより真面目だし、優しい。下心見え見えで勉強を教えてもらいに行ったやつらに、丁寧に教えてやっていた姿を何度も見かけた。
まさか、フローレンスと踊りたいのか?
俺は部屋に戻ると、慌ててペンダントを確認した。やっぱり! 石が黒く濁り始めている。まずい。ダンスを断られたら真っ黒になるかもしれない。俺は夕食の後、アスターをテラスに連れ出した。椅子の上で胡坐をかき、アスターの顔をまっすぐ見る。なんてかっこいい顔なんだ。
「アスター、お前もしかして誰かダンスに誘いたい子がいるか? たとえば、授業でペアになった子とか……」
「あの子は王子と踊る。みんな知ってる」
アスターはあっさりと言った。注意深く観察するが、特に傷ついている様子は見受けられない。傷ついているというよりは、不満そうだ。俺に対して。彼は開いていたレシピノートを閉じて、俺に聞き返した。
「ライルは誰かと踊るの」
「俺? 俺は踊らないよ。リズム感ないもん」
ライブ中の手拍子すら周りに合わせてやっと叩いていた。誰かに誘われでもしたらまた別だが、今のところ声はかかっていなかった。
アスターは無言で俺を見つめた。黒い目の中に星が輝いている。テラスから見える夜空の星全部を集めたみたいな目だ。こんなきれいな目で見られて恋に落ちないなんて、フローレンスは見る目がない。
アスターはしばらくの間、自分の顔に夢中になる俺を見ていた。やっと納得したのか「分かった」と言ってまたレシピノートを開く。何が分かったんだ? 俺はとりあえずアスターのメンタルケアに努めることにした。これからダンスパーティーで踊る王子とフローレンス嬢を見て傷つくだろうから、予防だ。
「アスター、もし好きな子が自分以外と踊ってても傷つくなよ。お前はいい男なんだから、新しい恋がすぐ見つかるし、どんな子だってお前を好きになるに決まってるんだから」
「うん。大丈夫。誰とも踊らないって言ってたから」
「え⁉」
混乱で大きな声が出る。誰とも踊らない? 一体誰の話なんだ。フローレンスのことが好きなんじゃなかったのか? 俺は困惑し、もう本人に聞くしかないとストレートに「好きな子って誰?」と聞いたがアスターはレシピノートを見たまま答えなかった。
謎が解けないまま迎えた当日。俺たちは踊りもしないくせにめかしこんでいた。夕食は大広間でのビュッフェスタイルで、ドレスコードがあったのだ。
俺はアシュフォード家から持ってきた服を、アスターは先輩に貸してもらったという服を着ている。アスターにドレススーツを貸した先輩はさっそく寮で「あいつが着てんの、俺の服」と言って羨ましがられていた。
アスターと俺は中庭で待ち合わせしていた。なんとか着込んだ服を整えながら彼を探すと、池のほとり、柳の下にいるのが見えた。中庭の入口から声をかけようとした俺より先に、アスターに誰かが近づいた。
菫色のリボンと柔らかそうな金色の長い髪。フローレンスだ。
「フィンさま」
彼女はそう言って柳の下にいる人物に声をかけた。フィン? 柳で顔が隠れてはいるが、すっかりアスターだと思った。声をかける前で良かった、と見ているとフローレンスが「まあ!」と驚きに声をあげた。やはり俺の思った通り、そこにいるのはアスターだったのだ。俺は彼らに向かって歩き始めた。その足がふと止まる。
「ごめんなさい、見間違えてしまったみたい」
「別に」
アスターは不愛想に言った。人見知りを発動しているようだ。二人はまだ俺に気づいていない。柳の下で話す二人は、以前昼に見た王子とフローレンスの絵とはまた別の絵画に見えた。夜の匂いのする一枚の絵。
「あの……、もし良かったら座ってもいい?」
アスターは彼女の質問に答えなかった。
フローレンスがアスターからやや離れたところに腰を下ろす。彼女のドレスの裾が地面に着いた。緩く巻いた長い髪が背中で波のように流れている。
「あなたとはずっとペアだったのに、あまり話さなかったわね」
「……」
「でもそれが気楽だったわ……」
風が吹いて柳が揺れる。俺の立っている場所からは二人が良く見えた。声もはっきりと聞こえる。
「フィンさまのお心が分からないの。お優しいけれど、私を見ているようで私を見ていないひと」
風で顔にかかった髪を、白く華奢な指先が耳にかけた。
「あの方と結婚して、私幸せになれるかしら……」
違和感の正体に気づいた。
アスターを見上げるたびに覚えた既視感。あれは解毒薬を作りながら接したフィン王子を見上げるときの角度とよく似ているのだ。体の大きさや、距離感の取り方。
小さな体で王子の婚約者という重責を担っているフローレンスにとって、自分に興味のない婚約者とよく似た、でも違う人間であるアスターはどう映っただろう。
まるで選ぶことのないもう一つの人生のようだったのではないか。そしてそれは、彼女にとって抗いがたいほど魅力的なのでは?
邪魔するべきだ。彼らが恋に落ちてはいけない。
幸い、アスターは今別の子が気になっているのだ。このままその子と幸せになって、フローレンスとは違う道を生きてもらう。それが皆にとって一番いい道だ。
なのに足が動かなかった。靴の裏が地面に縫い付けられたように体がびくともしない。
「律樹……」
この世界に来てからずっと、律樹を救うためにアスターと関わってきた。律樹の命を助けて、彼の仲間と、あの日アリーナにいた俺以外のすべての人間を生き返らせて、またスポットライトの下に、ドームに立てる日を迎えさせるために、アスターの運命を変えてきた。
その高慢さに、今更気づいてしまった。
アスターにはアスターの人生があるのに。フローレンスに恋をしたのはアスターが選んだ未来のはずだったのに、俺が邪魔をした。その先に悲劇があるからといって、彼が魔王になれば俺も、律樹も、この世界の人も不幸になるからといって、アスターの人生を天秤にかけて捻じ曲げた。
アスター。俺は心の中で彼の名前を呼んだ。揺れる柳の葉の下で、彼の黒い目がフローレンスを見ている。
フローレンスは俺とは違う。彼女はアスターのことをちゃんと見ている。
俺は楽な道を選んだ。アスターと彼女が結ばれるよう尽力する道もあったはずなのに、彼らの恋が始まらないことを望んだ。
自分が恥ずかしい。
俺は二人に背を向けて中庭を出た。図書室に逃げ込んで、涙目で膝を抱えているうちに賑やかな夜が終わっていった。
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