第6話 前期試験
怒涛の看護生活を経て、アスターは俺にやや気を許してくれたようだった。
翌日から唐突に「ライル」と呼び始めたので、俺はちゃんと自己紹介を聞いていたんだな、と感動した。
看病中の決意通り、俺はここ最近、売店で買った軽食を持ってライルと図書館で休憩時間を過ごしていた。館内は飲食禁止なので、外のベンチで食べ終わってから本を読んだり、勉強したりしている。前は教室でクラスメイト達とフィン王子のかっこよさについて永遠に語る会を開いていたので、かなり自習時間が増えた。結果、授業の理解度も良くなった気がする。大学まで通ってきてなにを今さらという感じだが、自己学習って大事だ。
昼食をちゃんと摂るようになって体力がついたからか、アスターもかなり健康になってきた。穏やかな日々。まだまだクラスで浮いているアスターだが、情緒も体調も安定しているし、このまま穏やかに卒業できれば魔王にはならないのでは? というか、俺個人の考えとしてはアスターが前髪を適切な長さに切り、スタイリングをきちんとして猫背を治したら一瞬にしてクラスの人気者になれる。あとはどのタイミングでイメージチェンジの打診をするかだ、と油断しきっていた時だった。
入学から一か月半のタイミングで、前期試験がやってきたのである。
俺は頭を抱えた。そうだった、資料にも書いてあった。絶対に回避しなければならないターニングポイント、前期試験!
魔王ルートでのアスターは、この前期試験でフィン王子と剣術の実技を一対一で行う。模擬試合だ。毎年その時点での成績上位者二名が選ばれる。この試験で、アスターは完全アウェイ、四面楚歌の状況で王子にボロ負けし屈辱を味わうのだった。
どうすればこのルートを回避できるか、必死に考えた。一番簡単なのはアスターが成績上位にならないよう邪魔をすることだが、数回勉強を中断させピクニックや星座観察に誘い出し、その穴埋めをするように睡眠時間を削って勉強するアスターを見て断念した。
ならもう俺が成績一位になるしかない、と剣術を猛特訓したが、一日二日でどうにかなるものでもない。手にマメが出来ただけだった。
王子側をどうこうするというのは、彼には護衛がついているので普通に無理だ。
全ての策が徒労に終わっていくうち、あっというまに前期試験が明日に迫ってしまった。
真っ青になって眠れないでいる俺を、アスターが隣のベッドからじっと見つめてくる。
「ライル、試験が不安で寝れないのか?」
「うん……」
まさか、このままだと明日お前は人気者の王子相手に剣術でボロ負けして思わず闇堕ちしたくなるくらいの赤っ恥をかくから頼むから休んでくれと言えるわけもない。そもそも、孤児院出身で奨学生として学院に通っているアスターにとって試験を休むなんてとてもできないだろう。
「一緒に勉強しただろ。大丈夫だ」
励ましてくれているらしい。つい最近まであんなに俺を不審者みたいに見ていたのに、アスター、優しいやつ。俺は感動したが、一瞬で精神が不安側に戻っていった。
「でも、剣術が……、ああ、俺がもっと剣術が上手ければ……、死ぬ気で練習しておくんだった」
後悔してもし足りない。どうにかして明日の前期試験を乗り越えなければならないのに、打開策が見つからず頭がパンクしそうだった。ここにきて急に、俺なんかの肩に律樹や、アスターボーイズのメンバー、あの日アリーナにいた人たちの命がかかっているのだということを実感し、あまりの重さに押しつぶされそうになる。大人なのに本気で泣きそうだった。
「失敗したらどうしよう。絶対に失敗できないのに……」
もういっそ、アスターの学費はアシュフォード家が負担するから明日の試験は休んでくれと土下座しようか?
ああ、なんで剣術なんだ。バレーボールとか卓球なら、俺にもまだ勝機があったかもしれないのに。
「ライル」
「わっ! びっくりした、アスター、いつの間に俺のベッドに……」
気づくとアスターが俺のベッドに乗っていた。壁側で唸っていたので、半分ほどスペースに空きがあったのだ。アスターの手が伸びてきて、俺の背中を控えめにとんとん、と叩いた。
「大丈夫、失敗しても、大したことじゃない」
「あ、アスター……」
じん、と胸が痺れる。俺は寝返りを打ってアスターの方へ体を向けた。背中を叩いていたアスターは戸惑ったようだが、少し考えてから今度は肩のあたりを優しく叩いてくれた。
「ありがとう。アスターも大変なのに……」
「別に。でも、ライルが成績をそんなに気にするなんて意外だった。勉強なんてやりたくないみたいだったから」
その通りだ。アスターは本当に人をよく見ているな。賢い。
下から見上げると、アスターの顔が良く見えた。律樹にそっくりな、でも律樹はしない顔。優しく俺を見ている。彼の顔を見ているうち、いつの間にか眠ってしまった。
午前中の座学の試験が終わり、ついに剣術の時間が来てしまった。資料に書いてあった通りに、教師から王子とアスターが呼ばれ、二人が前に出る。
アスターは貸し出し用の剣を持ち、左の手首を右手で温めるように掴んでいる。
円形に並んだクラスメイト達の中央に立ち、向かい合っている二人を見て、俺はぐっと拳を握った。
あまりにも些細で、意味があるのかは分からないが、絶対にアスターを四面楚歌の状態にだけはしないと心に決めたのだ。
周りは既に全員王子を応援するムードだが、関係ない。たとえ一人でも、俺がアスターを応援する。
自分が試合をするわけではないのに、胸が異様にドキドキしていた。指先が冷たい。つう、とこめかみに嫌な汗が伝う。
教師がルールの説明をしている中、俺は日本にいた頃のことを思い出していた。あの広いライブ会場で、周りがみんな律樹のファンだったにも関わらず、人目を気にして結局ただの一度も彼を思い切り応援できなかった自分を。
説明を終えた教師が笛を口にくわえる。片手が上がり、ピーっと音がした。剣と剣のぶつかる音。王子の素早い攻撃を、アスターが受け止めている。生徒たちがわっと盛り上がり、口々に王子を応援した。
覚悟を決めろ。
ぎゅっと強く目を閉じ、思い切り息を吸う。
俺は場違いに真剣な大声で、アスターの名前を呼んだ。
「アスター! がんばれ!」
少なくない視線が自分に向くのを感じる。その中に、王子とアスターの視線もあった。王子の剣を防いでいたアスターが、驚きに目を見開いてこちらを見ている。今度はしっかりと目を開け、彼を見ながらもう一度叫んだ。
「がんばれアスター! 応援してるよ! がんばれ!」
緊張に手がぶるぶると震える。だが絶対に退けない。俺は地面に踏ん張って、もうこれ以上は出せないくらい大きな声で何度もアスターの名前を呼んだ。
円の中心、アスターの剣を握る手にぐっと力が入る。
それまでまるで負けてもいいと言わんばかりに無気力だったアスターの剣に、にわかに精気が宿った。受け止めていた王子の剣をぐっと押し返し、剣を構え直す。
剣戟。二人が打ち合ってすぐ、俺たち観客はそれまで王子が手加減していたことに気づいた。あきらかに剣筋が違う。二人の実力は拮抗しているように見えた。いや、拮抗というよりも、わずかにアスターの方が……。
笛の音が響く。教師が片手をあげ二人を制止した。明らかに勝敗のついていない時点での試合中断に、生徒たちがざわめく。アスターが剣を下ろし、額の汗を肘の内側で拭った。
あっ! 顔が、アスターの綺麗な顔が!
俺は素早く周囲を確認し、誰かが彼の顔を見なかったか確かめた。見たやつがいれば、そいつを起点にクラス中にアスターの顔がどんなに優れているか知らしめようと思ったが、残念ながら俺以外ほとんどの人間がフィン王子に注目していた。王子は試合のあとなのに全く汗をかいていない。
王子はというと、俺以外で唯一アスターを見ていた。気づかわしげな視線だ。が、流石に王子相手に「アスターの顔って、本当に良くって……」と力説する気にはなれなかった。思わず肩を落とす。
試合は王子の判定勝ちだった。教師から結果を告げられ、王子の勝利にみんなが喜ぶ。
俺は素早くアスターの傍に移動し、彼に怪我がないか視線をさっとすべらせ確かめた。
「悔しいよな。でもあんまり気を落とすなよ。お前もよくやったよ。あのまま試合が続いてたら、絶対にアスターが勝ってた」
そう言いながら肩を叩く。アスターは胸で息をしながら、まだやや興奮の残った顔で頷いた。
借りていた剣を鞘に戻し、元の場所に置きに行ったアスターを見ながら、俺はこの状況に対してベストではないが、ベターな結果なのでは? と手ごたえを感じていた。資料に書いてあった通りに試合に負けはしたものの、ボロ負けとは言えない。声をかけた時の様子を見る限り、悔しさは感じているようだが屈辱に身を震わせている、と表現するほどではない気がする。
素早く校舎の影に入り、チェーンで胸元に下げていたペンダントを確認する。管理者から受け取った、ミッションの進み具合で色の変わるペンダントだ。良くなっていれば白く輝き、悪ければ黒く濁る、変化がなければ青いままという魔法の石。
取り出したペンダントは、ほんのわずかだが青い石が白く輝きを帯びていた。
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