第5話 天使の残照

 休日の朝。目が覚めた時には、部屋に柔らかい光が差し込んでいた。カーテンの隙間から朝陽が細く伸びて、床に淡い影を描く。時計を見るとまだ早い時間で、外からは鳥の声が小さく聞こえてくる。

 ベッドの端に目をやると、フユがまだ寝ていた。白いワンピースの裾が少し乱れて、背中から覗く羽根が静かに上下している。

 僕はそっと体を起こして、フユの顔を覗いた。その寝顔は穏やかで、いつも早口でまくし立てる彼女がこんなに静かなのは珍しい。

「……」

 白い肌と柔らかい髪、静かに閉じた目が、寝顔なのにどこか神聖で、息を呑むくらい綺麗で。羽根が朝陽に照らされて、透き通った白さがキラキラ輝く。微かに揺れるたびに光が散る。

 まるで宗教画に出てくる天使みたいに、静かで、穢れのない美しさがそこにあった。


 だんだん日が昇っていって、部屋全体が明るくなっていく。カーテンが風に揺れて、鳥の声が響く。フユの羽根が軽く震え、また光に映えた。

 よく見ると、羽根の端が少し乱れている。昨夜、窓から入ってきた時に風で崩れたのか、それとも寝てる間にそうなったのかわからない。でも、完璧に見えたフユの姿に混ざるそれがどうにも気になって、僕はそっと手を伸ばした。

 指先が羽根に触れると、柔らかい感触が伝わってきた。鳥の羽根とは全然違う、ふわっとした軽さで、触れると微かな震えを感じる。朝陽に照らされた羽根が、僕の指の動きに合わせて小さく揺れて、光の粒が部屋に散った。

 フユを起こさないように気をつけながら、乱れた部分を整えてみる。指でそっと撫でると、羽根が自然に元の形に戻っていく。不思議な感覚だった。天使の羽根を触るなんて想像もしてなかったけど、今こうやってフユの羽根を整えている自分がいるのだから。


「ん……アキ……?」

 フユの声が小さく聞こえた。目を開けた彼女が、ぼんやりした瞳でこっちを見てくる。寝起きの声は少し低くて、いつもよりゆっくりとしている。

 しばらくすると僕が羽根を触ってるのに気づいたみたいで、彼女の頬が一気に赤くなった。毛布をぎゅっと握って、体を縮こませる。羽根がピクッと震えて、光がキラキラ散った。

「ごめん、起こしちゃった。羽根がちょっと乱れてたから、整えてたんだけど……やめる?」

 そう聞くと、フユは首を振って、小さな声で応えた。

「ううん、アキならいいよ。触っても……いいけど」

 いつもならやかましく喋り続けるフユが、言葉を探すように押し黙っている。手を動かしながら、ちらっとフユの顔を見る。真っ赤で、目をぎゅっと閉じてる。口を固く結んで、息を詰めてるみたいだ。

「ごめん、嫌だったらやめるよ」

「……ちがう」

 小さな声で、フユがやっと呟く。手を止めると、フユは顔を毛布に半分隠した。

「嫌じゃないよ。ただ、わたし、羽根触られるの初めてで……天使ってさ、羽根の手入れってすっごく特別なことなんだ。きみにされると、なんか恥ずかしくて、頭ぐちゃぐちゃになっちゃうの」

 その言葉を聞いて、僕はようやく気付いた。フユが押し黙っていたのは、不満や痛みじゃなくて、照れだったのだ。天使にとって羽根の手入れがデリケートな行為だと知らなかったとはいえ、自分の行動が大胆すぎたことに気付いて、顔が急に熱くなった。

「ご、ごめん!  知らなくて……やめるよ、もう!」

「ううん、やめなくていいよ。わたし、嫌いじゃないから。ただ……まだ恥ずかしいだけ」

 フユの手が毛布から出てきて、僕の手をそっと握る。冷たい指先に温もりが伝わってきたのを感じる。僕はフユの手を握り返して、羽根を整えるのを続けた。柔らかい感触が指に残って、フユの羽根が微かに震えるたびに、光が部屋に散る。日差しが強くなって、窓から入る光がベッドを照らした。

 

 しばらくして、羽根がすっかり整うと、フユがやっと顔を上げた。頬はまだ赤くて、目は潤んでいる。

「アキ、きみってほんとずるいね。わたし、こんな気持ち初めてだよ。羽根、綺麗になった?」

「うん、めっちゃ綺麗だよ。ほら、見てみて」

 スマートフォンのインカメラを起動すると、フユは自分の羽根を見て目を輝かせる。

「わあ、ほんとだ!  きみ、天使の扱い上手いね。にひひ」

 さっきまで恥ずかしがってたのが嘘みたいに、フユが笑う。僕はほっとしながら、フユの肩に寄りかかる。

「フユが静かだと心配になるよ。でも、綺麗になってよかった」

「きみにしか触らせないからね。責任取って、これからもやってよ」

 フユの羽根がふわっと僕を包み、肩に触れる。羽根の感触がまだ手に残っていて、なんだかフユとの距離がまた少し近くなった気がする。この穏やかな朝が、ずっと続けばいいな。

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