第5話 再会
アーサーは早朝から出発の準備をしていた。
都市ゴドラに魔王ザギオンを探しに行くためだ。
ゴドラまでおよそ五百キロ。休憩なしで全力で走れば三日で着く計算。
「ザギオンに会うのが楽しみだな」
再会を思い浮かべながら、武具の手入れ、水袋の確認、保存食の補充と、一つ一つ丁寧に済ませていく。心はすでに、遠い都市の彼へと飛んでいた。
すべての準備が整うと、アーサーは宿屋を出た。外はまだ薄明かりに包まれ、夜と朝の狭間。ひんやりとした空気が頬を撫でる。
「よーし!足腰強化のために全力で走っていくぞ!」
そう言うと、人が走る速さとは思えない速度で、街の外へと駆け抜けていった。土煙を巻き上げ、森の獣すら追いつけないほどのスピード。その背中には「会いたい」というただ一つの想いが燃えていた。
――――
──都市ゴドラ
その頃、ゼノもまた動き出していた。
原初の闇のこと、勇者ルシエルのこと、魔王ザギオンのこと……そして今の世界情勢。あらゆる情報を集め、頭の中で整理していく。
酒場での情報収集で、ゼノがまず一番驚いたのは、この時代にも勇者と魔王が存在しているという事実だった。
人族と魔族の戦いは壮絶を極め、ゼド山脈中央――東部から西部へ抜ける巨大ダンジョンを舞台に、熾烈な攻防が続いているという。
数で劣る魔人族は容赦のない攻撃と大魔法を駆使して人族を削る。だが勇者の存在は圧倒的で、一歩ずつ確実に魔大陸へと歩を進めていた。
「やはり“勇者”は、時代が変わっても化け物か……」
ゼノは盃を傾けながら、苦々しくも懐かしさを覚える。
そしてもう一つ、噂のような情報もあった。――謎の勢力が、西から魔大陸を徐々に侵食しているというのだ。
「これは間違いなく『原初の闇』……」
数人の冒険者が影のような存在と戦闘し、辛くも退却。その目撃談が注目され、噂は少しずつ広がっていった。
「陰キャを隠して、この数日いろいろな人間に話しかけた甲斐があったな」
ゼノは自嘲しつつも、酒を一口。だが内心は燃えていた。
「現代の魔王や勇者、ガーディアン、邪龍……確かに興味はある。だが――俺の心を最も掻き乱すのは、やはり原初の闇!」
声を荒げぬように抑えながらも、拳は震えていた。今の自分では勝てぬと分かっている。だが、心はすでに戦場を望んでいる。
そのとき、隣の席から会話が耳に飛び込んできた。
「ガレリアのFランク冒険者が、ミノタウルスの胴を真っ二つに切り裂いたって話、知ってるか?」
「ああ、聞いたよ。でも本当なのか?ミノタウロスは第五階層の住人だろ」
「そこなんだよ!第五階層のモンスターが第一階層に出るなんて……何か異常が起こってるのかもしれないな」
ゼノは興味を示さず、鼻で笑った。
「くだらん。そんな小さな異変、今の俺には関係ない」
そう心で切り捨て、盃を再び口に運んだ。
――――
一方その頃、アーサーはすでに都市ゴドラの目前まで到達していた。胸の奥で強烈に反応する、あの魔力の気配。
「やっぱり……間違ってなかった!」
さらに脚に力を込め、最後の距離を駆け抜ける。ようやくゴドラの城門を越えた瞬間、アーサーは息を整えながら呟いた。
「魔力感知、発動……」
意識が都市全体へ広がり、無数の灯のような魔力の気配が視界に浮かぶ。だが、その中でも一際濃く、深い闇を孕んだ存在が、確かにそこにいた。
「……近いな」
地図も案内も必要ない。ただその魔力を辿ればいい。アーサーは人混みを抜け、細い路地を曲がり、やがて一軒の酒場の前に立った。
「この中にザギオンがいるはずだ……!」
胸を打ち破らんばかりの鼓動を抑え、扉を押し開ける。
中は朝だというのに活気に溢れていた。パンをかじる者、酒を煽る者、声を張り上げ談笑する者。雑多な喧騒が渦巻く中で、アーサーはゆっくりと視線を巡らせる。
そして――見つけた。店の隅、静かに盃を傾ける一人の男を。
「!!みつけたぞ!!ザギオン!!」
その声は、店内のざわめきを一瞬で凍らせ、視線が一斉に集まる。
アーサーは確信をもって、ゆっくりと歩を進める。
一方その男――ザギオンは、唐突に名を呼ばれた苛立ちを覚えつつも、耳にした言葉に眉をひそめた。
(……今、ザギオンと呼んだか?)
金髪、同じくらいの年頃、腰には剣。そしてその瞳に宿る光は――忘れようもないものだった。
「もしかして……忘れたんじゃないだろうな?俺の事」
アーサーは真っ直ぐに言い放つ。
「俺はお前との約束を果たすために、地獄から帰ってきたんだ!」
「ま、まさか……ルシエル……なのか?」
ゼノ――かつての魔王ザギオンは驚愕に目を見開いた。
「そうだ!ルシエルだ!今はアーサーと名乗っているけどな!」
その言葉に、ザギオンの目が潤んだ。椅子を蹴るように立ち上がり、彼はアーサーに抱きついた。
「見つけてくれて感謝する……ルシ――いや、アーサー!」
アーサーも力強く抱き返す。この世が誕生して数千年。勇者と魔王が抱き合い祝福し合う光景など、これが最初で最後だろう。
やがて二人は席に着き、酒を組み交わす。
ゼノは照れくさそうに笑い、言った。
「俺はザギオン改め、今はゼノと名乗っている。さすがに“魔王ザギオン”の名は刺激が強すぎるらしい」
「それは間違いないな」
アーサーは笑う。
「一世代前の魔王だ。その名は、今も人々の心に深く刻まれているはずだ」
そして二人は、十六年という時を超えて、互いの歩んできた日々を語り合った。地獄での苦闘、再会への想い、未来への決意。夜が明けるまで、彼らの語らいは続いた。
――――
「なあ、ゼノ、俺はクランを作ろうと思っている」
アーサーは真剣な眼差しで切り出した。
「お前が言っていたように、強い仲間を集めるためだ。……俺とゼノだけでは原初の闇には届かない!だから、この大陸に存在する“最強”と呼ばれる者たちを仲間にしようと考えている」
言葉の端に決意はこもっていたが、その表情は徐々に翳っていく。
「……でも、どこにその仲間がいるのか、全くわからないんだよなぁ」
声がかすかに沈む。自分で言い出しておきながら、答えの見えない不安が胸を締めつけた。
その様子を見ていたゼノは、杯を軽く揺らし、口の端を吊り上げた。
「フッ、主の顔が曇るとは珍しいな」
そして興味深げに目を細めると、重々しく言葉を継いだ。
「……我が情報を探している時、とある妙な話を耳にしたことがある」
アーサーは顔を上げた。
「妙な話?」
ゼノは目を閉じ、記憶を手繰るようにゆっくりと語り出した。
「都市ゴドラから東におよそ七百キロ。そこには都市イーリスがある。さらにイーリスから少し離れた森の中に――どんな怪我や病気も癒してしまう、不思議な治癒師が住んでいるという噂があるというのだ」
「どんな怪我や病気も……だって!?」
アーサーの目が見開かれる。
ゼノは頷き、さらに言葉を重ねた。
「幼い頃からその治癒師は、怪我や病気に苦しむ者たちへ毎日ヒールを施していたらしい。その噂は町から町へ広がり、やがて遠方からも癒しを求めて人が押し寄せ、大騒ぎになったという話だ」
「……そりゃすごいな。子どもの頃からずっと?」
アーサーは呟く。
ゼノは低く笑った。
「しかも続きがある。その少年は十年以上も毎日ヒールを使い続けた結果、自分でも気づかぬうちに“能力の覚醒”を迎えていたらしいのだ。それは、離れた場所の怪我人に、遠隔でヒールをかけるという神業だと聞く」
「え、えぇ!?ちょっと待て!ヒールって基本、傷口に直接魔力を流し込むもんだろ!?遠隔ヒールなんて……聞いたことすらないぞ!」
アーサーは椅子を蹴るように立ち上がり、大げさなほど身を乗り出した。
「我とて同じだ」
ゼノは真顔で応じた。
「元魔王の我ですら、ヒールの遠隔操作など一度も聞いたことがない。……あるいは、それこそ新たな魔法の形なのかもしれぬな」
アーサーの胸は高鳴っていた。
「そんな奴が本当に存在するなら……絶対に仲間にするしかない!」
彼は地図を広げ、指で距離を測る。
「都市イーリスなら……大体七百キロってところか。噂になるくらい有名なら、探すのは難しくなさそうだ」
「行くか?イーリスへ」
ゼノが問いかける。
「当たり前だろ!今すぐ出発する!そして、その治癒師を絶対に仲間にするんだ!」
アーサーは声を弾ませ、拳を握りしめた。
二人はすぐに旅支度を整え始める。その最中、ゼノがふと口を開いた。
「我は鍛錬のため、常に走って旅をしている。……主はどうしておる?」
アーサーはニッと笑った。
「一緒だよ!俺もいつも走ってる!やっぱり考えることが似てるな、俺たち」
互いに笑い合うと、二人は同時に声を張り上げた。
「「イーリスへ!」」
そして二人は大地を蹴り、風を裂く勢いで爆走していった。
――――
──都市イーリス
自然豊かな街並みは、緑と花々に彩られ、訪れる者の心を癒すようだった。人々の顔は明るく、笑顔に溢れている。まさに“癒しの街”と呼ぶにふさわしい。
アーサーとゼノはギルドに向かうかと思いきや、まずは酒場に立ち寄ることにした。情報を得るには、人の声が集まる場所が一番早い。
扉を押し開けると、酒場は都市そのもののように賑やかだった。冒険者、兵士、旅商人、さらにはエルフやドワーフまで入り乱れ、あちこちで談笑や口論が飛び交っている。
二人が席に腰を下ろすと、自然と耳に様々な会話が飛び込んできた。特に盛り上がっていたのは、勇者と魔王の戦いについてだ。
「いやあ、やっぱ勇者ガイアは化け物だよ!兵士やってる友人が震えながら語ってたんだが――たった一太刀で百人の魔族をまとめて蒸発させたらしい!」
「百人だと!?それくらいで驚いてたら笑われるぞ!俺が聞いた話じゃあ、夜空が真昼みたいに輝いたかと思ったら、天地を引き裂くような轟音と共に――山が二つ、丸ごと吹き飛んだそうだ!」
「な、なにぃ!?山が……二つだと……!?人間の技じゃねぇ!それはもう、神の所業じゃねぇか……!」
興奮する声が飛び交い、酒場はさらに騒がしくなる。戦場からは遠いこの街が安全である証拠なのか、人々は恐怖よりも好奇心で戦の噂を楽しんでいるようだった。
アーサーとゼノは無言で耳を傾けていたが、ふと後ろの席から気になる会話が漏れ聞こえた。
「なあ、信じられないかもしれないけど……俺は実際に体験したんだ」
そう切り出したのは、四人組の兵士の一人。
「数ヶ月前、俺は最前線で魔族と戦っていてな……力及ばず、右腕を斬り落とされたんだ。それでイーリスまで運ばれたんだよ」
「おいおい、それ本当かよ!?」
「本当だ。あの時は出血多量で、死にかけていた。だが……今の俺の右腕を見てみろ」
彼は袖を捲り上げ、右腕を皆に見せつけた。
「なっ……治っているだと!?」
「そうだ。完璧に治ってるんだ。確かに俺の右腕はなくなったはずなのに……治療院で目を覚ました時には、もう元通りだった」
「い、一体誰が治療したんだ?……まさか“奇跡の人”と呼ばれてる治癒師か?」
「だが、いくら奇跡といっても、失った腕を再生するなんて聞いたことがないぞ……」
「俺も色んな治癒師に聞いて回ったんだが、誰も詳しいことを話そうとしない。まるで何かを隠しているみたいに……」
その瞬間、ゼノが勢いよく席を立ち上がった。
「すまぬ!話は聞かせてもらった!主が言う“奇跡の人”……我はその者に会うためにここへ来たのだ。どうすれば会える!?」
突然の割り込みに兵士たちは驚いたが、その真剣な眼差しに気圧される。
アーサーはそんなゼノの姿を見て、思わず笑ってしまった。
「元魔王にしては、ずいぶん丁寧な態度だな」
「……こ、ここは礼を尽くす場面だろうが」
ゼノは小声で言い返す。
すると、四人のうちで一番背の高い兵士が、周囲を気にするように声を落としながら答えた。
「……奇跡の人なら、ここイーリスから南に二キロほど離れた森の中に住んでいると聞いたことがある」
「森の中……?」
アーサーは目を細め、地図を脳裏に思い浮かべた。小さな距離とはいえ、街から離れた森で暮らす理由は何か。それは、あまりに特異な力ゆえに人々から隔絶されているのか――それとも自ら望んで隠れているのか。
「……情報提供、感謝する」
ゼノは深々と頭を下げた。その声には、元魔王とは思えぬほどの真摯さが宿っていた。
兵士たちはぽかんと口を開け、互いに視線を交わす。
「……おい、今の人、やけに迫力があったな」
「いや、ただ者じゃねえ……あの眼光、背筋が凍ったぞ」
そんなざわめきが背中に残る中、アーサーとゼノは同時に席を立った。視線は交わさずとも、目的は同じ。迷いなど一切なかった。
南の森。奇跡の治癒師がいるという、その場所へ――。
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