異世界妖狐奇譚~偉大なる妖狐様は異世界でも好き勝手なさるようです~

くうる

第1話「妖狐様、異世界の大地に立つ」

「誰か! 誰かいませんか!」


 やや傾きかけた初夏の太陽の下、その光が疎らに透る人気の無い林道に若い女性の声が響き渡る。だが、それから暫し経ってもそれに応える声は無く、聞こえて来るのは木々のざわめきと何かしらの鳥らしき鳴き声、そして後方から迫る脅威から逃れようと走り続ける自身の足音だけだった。


 とはいえ、それはその声の主である少女……則ち新米冒険者であるサラにとって期待に沿う結果ではなかった事は確かだが、既に同様の試行を言葉を少しずつ変えながら何度か行っていた彼女にとっては半ば予想通りの結果でもあった。故に、サラも今更その期待外れな結果にも必要以上には落胆する事も無かったが、この様な状況に陥った原因である過去の自身の行動に対しては、流石に若干の後悔を覚え始めていた。


 というのも、つい数時間程前に冒険者組合に登録される為の試験に合格し、晴れて正式に冒険者となったサラは組合から支給された初心者向けの比較的に軽装な物とはいえ、それらしい装備を生まれて初めて身に着けたという事でつい気が大きくなってしまっていた事もあり、これまでならば発揮していなかった正義感を行使した結果が現在の苦境となれば、その頃の自分に対して少なからず言いたい事がある事は否めなかったのである。


 則ち、街外れでたむろっていた、以前の自分であれば見て見ぬふりをしていたであろうゴロツキに対し、冒険者としての役目を果たそうと勇気を出したサラは口頭で注意を試みたのであったが、当然ながらその手の輩がそれを素直に聞き入れる筈も無く、仲間を呼ばれて追い掛けられた結果、こうして人気の無い林にまで追い詰められてしまったのであった。


 とはいえ、サラは別にその行為自体を「余計な事をしてしまった」と考えた訳ではなく、あくまでも調子に乗って自身の実力にそぐわない行為をしてしまった事や、そのゴロツキの仲間が近くに居る事に気付かなかった自らの不覚に悔いを覚えただけである為、自身は正しい行為をした筈であると半ば自棄になって胸を張ると、それがまた無駄になるかもしれないとは思いつつも再度深く息を吸い込む。


「誰か! 助けて下さい! 盗賊に追われているんです!」


 そして、またしても言葉を少し変えながらも再度そう大声で助けを呼んでみるが、ただでさえその様な叫び声を何度も上げて来ている上に、それを全速力という訳ではないものの走りながら続けて来た事を考えれば当然の事ながら、遂に喉や胸の痛みを感じたサラはふと咳込みながらその足を止めてしまう。


 とはいえ、その痛みもまだ深刻という程のものではなかった上に、そうして足を止めていた時間も決して長くはなかったのだが、その痛みという現実的な感覚はサラに対し、身の危険に瀕して分泌された脳内物質の影響かこれまでは何処か現実離れしている様に感じられていた現状への認識を、より差し迫った危機であると改めさせた。


「……良かった。まだ追いついて来てはいないみたい」


 そして、その危機感故に慌てて背後を振り返ってみたサラであったが、幸いにもまだその視界には追っ手の姿は確認出来なかった為に安堵の表情と共に溜め息を吐くと、その為に開いた口からは思わずその考えまでがそのまま誰にともなく零れ落ちる。


 しかし、そうして口にした事実は現状のサラにとって喜ばしい事なのは確かではあったが、別に眼前の危機を脱したという訳ではない為、手放しに喜んで良い事かと言えばそうではない、と考えたサラは安堵から緩んだ表情を引き締め直すと、再度前を向いて走り出すのであった。



 一方、そうして黄昏が近付いた空の下で林道をひた走るサラの直線距離にして数百メートル程後方では、明らかに悪い人相を隠そうともしない、十人程の若年から中年程度の男達がその後を追っている……にしては随分と余裕のある速度でサラと同じ方向へと歩を進めていた。


「へへ、こっちは余裕で歩いてるとはいえ、まだ姿が見えねえとはあのガキ逃げ足だけは一丁前だな」


「まあ、曲がりなりにも冒険者の試験に合格した奴ではあるからな。それなりの身体能力位はあるんだろうよ」


 そのまるで散歩の様な歩行の最中、男達の一人が下卑た笑みを浮かべながら周囲の男達に向けて感心する様にそう口にすると、間を置かず別の男がそれに答える。


 しかし、一応はサラの能力を認める様なそれらの言葉とは裏腹に、やはりその言葉にも追っている相手が既にその姿が見えない程に遠ざかっているとは思えない程の余裕が感じられ、それはがやがやと相槌を打つ者から未だ黙したまま歩き続ける者に到るまで、その場の全員の表情に於いても同様だった。


「まあ、そのご立派な逃げ足も無駄な能力になっちまうんだけどよ。なんたって、この林道の奥は行き止まりなんだからなあ!」


 そして、無論その余裕を他の誰かに示す為にそうしたという訳ではないのだが、先の言葉に応じて更に他の男がそう、雰囲気を盛り上げる様にその余裕の理由を口にすると、その男も含めた場の全員がさぞ可笑しそうに大声で笑い散らすのであった。



「……嘘、でしょ。いや、あいつらが必死で追い掛けて来ない時点で薄々とは気付いていたけれど、本当に行き止まりになってるなんて……」


 一方、その様な男達の会話の内容などは無論知る由も無いものの、その余裕な態度とは対照的に必死で彼我の距離を遠ざけていたサラであったが、そうして走り続けた果てに辿り着いた小さな広場の入り口にてその瞳に映った光景には、愕然とした表情でそう誰にともなく言いながら遂にその足を止めてしまう。


 というのも、自身でも口にした通りに盗賊達の余裕のある態度から既に薄々とはその可能性に気付いていたとはいえ、本来であれば思わず見惚れてしまいそうな程の巨大な樹が中心に生えているその広場の周囲には、自身がたった今やって来た方向以外には人間が進めそうな道は存在せず、それは則ち自身の逃げ道も同様である事を意味していたのである。


 尤も、その広場の周囲は高低様々な木々や茂みによって塞がれているとはいえ、厳密に言えば完全に足を踏み入れる余地が無いという訳ではなく、自らの腰にある冒険者協会から支給された剣を用いれば、徐々にではあるが道を切り開いて進む事も出来ない事は無さそうではある上に、その茂みの中に身を隠すだけであればそれすら不要である様にはサラの目にも見えていたのだが、それが得策ではない事も考慮するまでもなく既に理解していた。


 というのも、此方は単独であるのに対し相手はその十倍を超える数を揃えている以上、仮に身を隠したとしてもいずれは見付かってしまう事は避けられない為、そうして碌に走る事も出来ない環境へと足を踏み入れる事は、現時点で捕まっていない以上少なくとも走力という一点では勝っている、より厳密にはそう信じている自身が持つ、万に一つの勝機すら放棄する事になってしまう……という様な事を、サラはその理性が現在の絶望的な状況を理解している中でもどうにかして考えていたのであった。


「その、誰か! 誰か居ませんか!? 盗賊に追われているんです! 助けてください!!」


 尤も、では複数の盗賊を相手に自らの手で道を切り開けるか、と言えばそれは実戦はおろか訓練ですら剣を振った事も無い自身にとっては、周囲の茂みを利用して盗賊達から隠れ通す事以上に困難である事は明白である。そう考えたサラはそれらよりは希望のある……とはいえやはりその可能性は低いと言わざるを得ない最後の手段、則ち駆け足での敵中突破を試みる前に、最後の希望を込めて再度そう、これまででも最も切実な叫び声を上げる。


 しかし、当人もこの場所を行き止まりであると判断した以上は至極当然の事であり、それ故に当人も薄々と……と言うよりは高い確度で予想していた様に、やはり暫し経っても周囲の茂みや木の陰から劇的な援軍や救世主が現れたりする気配は無かった。


 それどころか、逆に背後からは徐々に盗賊達が近付いて来る様な気配が感じられた為、いや厳密には未だその声等が届いた訳ではなく、単に差し迫った状況や焦燥感からか漠然とその様に感じられただけなのだが、何れにせよ仕方が無いという事で、成功の可能性は低くとも他に手段は無い以上、何とか敵中の突破を試みようと腹を括ったサラが来た方向へと向き直った時だった。


「良かろう」


 と、何処からか女性のものらしき声が聞こえたかと思った刹那、自身の後方……つまりたった今自らが背を向けた、広場の中心にある巨木の方向から何かが落下した様な音が聞こえた為、サラは突然の出来事にひどく驚きながらも咄嗟にその方向へと向き直る。


「えっ!?」


 しかし、その声と音の発生源を確認する事で一先ずは落ち着こう、という考えで、いや厳密に言えば冷静な思考など出来る状態ではなかったサラは半ば無意識にそうしただけであり、「考え」と呼べる程の高尚なものは持ち合わせてはいなかったのだが、何れにせよその様な目的でそちらに目を遣ったにもかかわらず、その目に入った精神を落ち着かせるどころか寧ろその驚愕を助長する光景に、サラは思わずその驚愕具合を存分に表現する声を上げてしまう。


 というのも、先述の様に周囲には道が無い事は確かであるにもかかわらず、その声の主が何処から現れたのかという事も無論その原因の一端ではあったのだが、それ以上にサラを驚かせたのはその相手の姿そのものであった。則ち、その視線の先に佇んでいたのは未だ年端もいかぬ……という程ではないものの、精々が12~13歳程の外見をした少女だったのである。


 だが、その驚愕の要因が概ねその辺りである事は確かであるものの、それから暫しの間サラの口から言葉が出なかったのはその驚愕だけが理由ではなかった。その頭上で存在感を放つ人間のそれとは異なる大きな耳や真っ白な長い髪に、自身のそれとは明らかに様式の異なる衣服といった見慣れない姿、そして何よりもその身に纏っている神秘的な雰囲気に、サラは現在の危機的な状況も忘れて思わず見惚れてしまっていたのであった。


「……って、貴方どうしてこんな所に? じゃなくて、何処から現れたかは知らないけど此処は危険よ! 今此処に危ない奴らが近付いて来てるから、急いで此処から離れて!」


 とはいえ、その様な場合ではないという事を一番理解しているのは無論その危機に直面している当の本人である為、我に返ったサラは一度は状況的に当然の疑問を口に出すも、直ぐに自身だけが危機に陥るならば兎も角、眼前の少女を巻き込む事などは出来ないという事でそれを脇に退けると、その少女に対し一刻も早くこの場から離れる様にと懇願に近い忠告をする。


「これは異な事を申すのう。お主があれ程喧しく喚いていたのは助けを求める為ではなかったのか?」


 が、そのサラの、思わず見知らぬ少女に向けて大声を出してしまう程の焦燥ぶりとは裏腹に、その強い口調での忠告を受けた張本人である少女はにやりとした笑みを浮かべると、その外見やサラの口から語られた状況を耳にした後とはとても思えない程に落ち着いた……どころか何処か揶揄う様な余裕のある口調でそう尋ね返す。


「それは……確かにそうだけど、貴方みたいな女の子にそんな危ない事をさせる訳にはいかないでしょう!」


 その少女の幼い外見に似合わぬ口調、及び人を食った様な態度が心底意外だった事もそうだが、何よりも先程耳にした気がしていた「良かろう」という言葉が空耳ではなかった、則ちその少女が本当に自身への助けとしてこの場に現れたつもりである事への更なる驚きもあり、その質問に対して少々言葉を詰まらせるサラであったが、その態度は兎も角、少女の万人から見ても愛らしいと断言しても良い外見を改めて意識する事で我に返ると、助けを求めていたのは事実とはいえ幼さの残る少女にその様な真似はさせられない旨を力強く答える。


「ほう? では訊くが、お主の望み通り妾の様な美少女……ではなく屈強な大男がこの場に現れていたとして、そやつにならばお主は素直に助けを求めていたのか? 仮にそやつが体格に優れるだけでなく剣の腕にも長けていたとしても、複数の武装した男達が相手では流石に分が悪いと思うのじゃが、大男であれば自身の為に危険な目に遭わせても良いと申すのか?」


 が、それを聞いた少女はやはりそのサラの必死さとは裏腹にさぞ可笑しそうな、だが何処か人の悪い笑みを浮かべながら感心した様にそう言うと、「では訊くが」とわざわざ前置きしたにもかかわらず、その一つ目にサラが答える間も与えず続けざまに二つの質問を投げ掛ける。


「……それは、その……」


 その少女の鋭い指摘に、その様な事にまで思考を及ばせる様な余裕がある状況ではなかったとはいえ、痛い所を突かれたと感じたサラは思わず少女から目を逸らすと、図らずも他者を危険に晒す所であったという事実への、自身へのそれも含めた申し開きの余地を探すが直ぐには見付からず、俯いたままその言葉を詰まらせる。


「なんての。お主にその様な事を考える様な余裕が無かった事は明白であるし、起こらなかった事を仮定する事にも意味など無い。故に、お主がその事を気に病む必要も無い、という訳じゃな」


 だが、そうして自身の軽はずみな言動を真剣に悩むサラとは裏腹に、そうさせた本人はまたしてもその返答を待たずにあっさりと先の自身の言葉を撤回すると、その色々な意味で更に意外だった言葉に驚いて顔を上げたサラを諭す様にそう続ける。


 しかし、その自身の過ちを少なくとも形式上は赦す様な言葉に、ある程度は気が楽になった様には感じたサラであったが、その少女らしからぬ古めかしい、かつ自身よりも……現在の余裕の無いそれではなく普段の自身よりも余程大人びた口調や、たった今自分から責める様な事を口にした所からのその優しさへの急激な落差等、気にすべき所があまりにも多過ぎた結果、身に迫る危機によりただでさえ平静とは言えないその脳ではそれらの情報を処理し切れず、結果としてただ黙したまま再度少女の顔を見つめていた。


「そして何よりも、どうやらこの様な話をしている場合ではない様じゃぞ」


 とはいえ、その時間も決して長くは続かず、程無くして続けて口を開いた少女がそう告げながらサラの後方を顎で示すと、その瞬間にはその意図を理解出来ていた訳ではなかったが、自然とそれに従ったサラは自身の背後へと振り返る。そして、それは束の間の平穏な時間の終わりを意味していた。


 則ち、そうして背後を振り返った後、遂にこの広場まで続く一本道を歩く件の男達の姿を視界に捉えたサラは一瞬自身の全身の血の気が引いた様な感覚を味わった後、その道幅が男達によって完全に塞がれているという現実を理解すると、同時に今更ながらその胸中にはこの先の自分達に訪れるであろう未来への恐怖が湧いて来ていた。


 尤も、主観的な印象を措いて客観的に考えるのであれば、大変に業腹ではあるものの頭を下げて謝れば見逃して貰えるという可能性も無くはない筈ではあったが、別に当人達が行儀良く順番に話している訳ではなく、また周囲の環境音にも紛れている上に、そもそも未だ彼我の間には結構な距離がある為にその聴覚ではその内容をはっきりと捉えられている訳ではないものの、何となく聞き取れた単語の端々からもその可能性は限りなく低い事は間違いなさそうだった。


「おっと、冒険者様のお迎えだ」


「うん? 何か他に誰か居ねえか?」


「あれは……獣人の餓鬼のようだな」


「どっちも結構な上玉だ。高い値が付きそうだぜ」


「まあ、先に俺たちが楽しませて貰うから多少は値が落ちちまうかもしれねえけどな」


 そして、男達が近付いて来るにつれて男達の声がはっきりと聞こえ始め、その下卑た内容から自分達の碌でもない未来をより鮮明に想像してしまったサラは、その行動の正誤はさておくとしてその直接的な要因となった自身は兎も角、自らの助けを呼ぶ声に応じてくれただけの勇気ある少女をその様な目には遭わせられないと、明らかに勝ち目が無いと自身でも理解している戦いに身を投じようと決意を固める。


 が、その決意を実際の行動に移そうとした刹那、その決意に満ちた瞳はそこに映った光景により一瞬にして驚愕の表情へと変わり、その心身はその決意以上の硬度で硬直してしまう。


 というのも、まるでそうして一定の時間を掛けて決意を固めた事で漸く動こうとした自身を嘲笑うかの様に、いや別に実際にその様な意思があったのかは当然ながら不明なのだが、こうして実際に先を越されたサラとしてはついそんな事を考えてしまう程度には、直前までその後方に居た少女があまりにもあっさりとサラの前へと歩み出たのである。


「っ!?」


 しかし、いくらそれが予想外の出来事であるとはいえ、それが自身の意に沿うか否か以前に、そして当人がどの様なつもりでそうしたのであれ、自身が原因で未だ12歳かそこらであろう少女に危険な真似などさせられない。そう考えた事で直ぐに我に返ったサラは慌てて少女を言葉と物理的手段の双方で止めようとするが、一連の無理が祟ったのか踏み出そうとした足をもつらせて倒れ込むと、その衝撃もあってか声も上手く出せずに咳込んでしまう。


「丁度良い。そこで座って見ておるのじゃな」


 とはいえ、サラは別に完全に地面に伏す形になったという訳ではなく、そこに到るまでの経緯は兎も角とすれば足を崩して屈んでいる様な形ではあったのだが、それでも急に倒れ込んだ事には変わりは無い上に、未だにゴホゴホと咳込んでいる事も確かであるにもかかわらず、振り向いてその様子を見た少女はにやりとした笑みを浮かべてそう言い放つ。


「自身がどれ程幸運な人間であるか、をの」


 そして、そのあまりにも予想外な言動にサラが今度は別の理由で言葉を失っていると、その返事を待つ事も無く少女は再度盗賊達が向かって来ている方向へと向き直ってしまうが、その背中越しに少女が続けて口にした言葉が妙にはっきりとサラの耳へと届く。


 尤も、その言葉は決して大声で紡がれた訳ではなかったものの、林の中の環境音にも負けずにしっかりとその耳にまで届いていた事は確かではあったが、自身が現在世界で一番……とまでは言わずとも覿面に不幸な目に遭っていると自負しているサラにはその言葉の真意は分からず、引き続き言葉を失ったままその背中を眺めている事しか出来なかった。


「お? コイツもしかしてあの女の事を庇ってんのか?」


「ハハハ! 面白ぇ、姫を守る英雄気取りって訳か!」


「いや、俺はこういう状況も分からねえで正義ぶった奴が一番嫌いなんだよ! 姦す前にボコボコにしてやらねえと気が済まねえ!」


 しかし、そんな事をしている間にも当然ながら男達との距離は縮まっており、気付けば既にサラの耳にもはっきりと届く様になっていた声で口々に物騒な、或いは悪辣な言葉を吐きながら遂に広場への入り口の目前にまで近付いて来ていた。


 だが、その様に各々で好きな事を口にしたり下品な笑い声を上げたりしながらも、男達はしっかりと相手を逃がさぬ様に唯一の逃げ道を塞いでいる事も含め、明らかに眼前に危険が迫っている現状に強い焦燥感を覚えつつも、下手に刺激しない方が良いのかそれとも一刻も早く少女を庇うべきかと悩んでいるサラとは対照的に、両者の間に立つ少女は相変わらず人を食った様な笑みを浮かべたまま目前に迫る男達の動きをただ眺めていた。


「……いや」


 流石にその少女の物怖じしない態度が癇に障ったのか、それまでは悪辣な笑みを浮かべこそしていたものの騒がしい男達の中で唯一沈黙を保っていた一際大柄な男が遂に口を開きそう言うと、その瞬間に周囲の男達の談笑はピタリと止み、辺りは一瞬にして先程までの静寂を取り戻す。


「この獣人のガキは俺が一人で楽しませて貰う。こういう生意気なガキを躾けるのが俺の一番の楽しみなんでな。その代わりに、そっちの女はお前らで好きにしろ」


 その一幕のみからでも男がその集団の長である事は明白だった為、その様子を見たサラが「その男さえどうにかすれば、怯んだ男達の中を突破出来るかもしれない」と誤った推測をする中、手下の沈黙に満足したらしい男が低い声でそう自身の下劣な嗜好と意思を語りながら一歩前へと歩み出た後、顎でサラの方を指しながらそう手下達に告げると、一度は静けさを取り戻した林の中に男達の歓声が響き渡る。


「ただし殺すなよ。大事な商品だからな」


 そして、盛り上がる手下達に向けて男がそう続けて口にすると、その相手側の都合を一切考えない言動からして男達がやはりどうしようもない悪人である事が、つまりは謝罪等の言葉による解決は望めない事が明白になった事により、いよいよ目前に迫る自分達の未来に恐怖したサラはまさに肝が冷える様な感覚を覚えていたが、その前に立つ少女は相も変わらず余裕のある表情を浮かべたままだった。


 どころか、両手を掌を軽く上げて「やれやれ」といったポーズを取っていた為、位置的に自身からは表情こそ見えないものの、少女を巻き込みたくないサラとしては無駄に挑発するのを頼むから止めてくれ、と思いながらも上手く力の入らない自らの足に焦りを感じていたが、やはり流石に挑発が過ぎたのか、その男は閉口したまま、だが明らかに心穏やかではない表情でゆっくりと少女の方へと歩み寄る。


「ふん。その余裕面がいつまでもつか楽しみだぜ。せいぜい良い声で鳴いてくれよ?」


「ま――」


 そして、相変わらず自らの下卑た趣味を恥じる事も無く話しながら少女の眼前にまで近付いた男がそう言いながら少女の顔へと右手を伸ばし、それを見たサラがそれを止めようと未だ言う事を聞かない足で強引に駆け出そうとした時だった。


 少女に近付いた男の姿がその様子を見ていた全員の視界から一瞬にして消え去り、突然の出来事に何が起きたのかを理解出来る筈も無い一同は当然ながら言葉を失う。それにより一瞬にして静寂が戻った後、辺りには駆け出そうとしたサラが踏み出した足が着地した音だけが僅かに響くが、当人も含め誰もその様な音に意識を向ける事は無かった。


 が、その時間が止まったかの様な静寂も長くは続かない。そうして場の全員が言葉と動きを失った刹那、サラから見て左方から突然の衝撃音が鳴り響くと、静寂を切り裂いたその轟音にそれを聞いた一同の視線が、まるで機械仕掛けでそうなったかの様に一斉にそちらへと注がれる。


 しかし、そうして目にする事になった光景、則ちそこにあった大木……と言っても広場の中心のそれ程に巨大という訳ではないものの、まあそう呼ぶに相応しい程度の大きさはある樹にぐったりともたれたまま、ピクリとも動かない男の姿もまた当人達の理解を超えるものであった為、引き続き言葉を失った一同の周囲には再度の静寂が訪れる。


 だがそれもまた長くは続かず、男が衝突した時点でその木は既に折れていたのか、程無くして軋む様な音と共に傾き始めると、やがて男の身体を下敷きにする形で地面へと倒れる。その瞬間、直感的に男の絶命を理解した一同は未だ目の前の現実を受け入れられていた訳ではないものの、自然とその視線を少女の方へと戻していた。


 いや、男が軽鎧を装備している関係で一見した時点では分かり辛いものの、自分達の目に映らない程の速度で樹に激突した時点で最早その内側の肉体は弾け飛んでいてもおかしくはない為、その事はもっと早く理解しておくべきという話ではあるのだが、言うまでもなくそんな事を考えられる様な余裕はサラにも男達にもある筈は無かった。


「ば、化け物ぉ!!」


 ともあれ、そうして視線を移した後、いつの間にかその前面にあった、その身の丈程もある大きさから先程までは存在していなかった事は明白である筈の尻尾が在るべき場所へと戻る所を目撃した時、直感的にそれが自分達の長を、いや組織の全体を見た時にどうかは兎も角、この場に居る集団の中ではその役目を負っていた男を殺した凶器である事を理解した男達は口々にそう叫ぶと、一斉に少女へと背を向けて我先にその場から逃げ出していく。


「その通り。愚か者にしてはご明察じゃが気付くのが遅かったのう。今更逃がして貰えるとでも思うておるのか?」


 その男達の反応に、少女は仮にも「化け物」などと呼ばれたにもかかわらず感心した様にそう呟くが、直ぐに一転してその行動の遅さを指摘すると、既にそう言っている間に男達は十メートル以上は遠ざかっていたにもかかわらず、余裕のある態度を崩さずにそう、当人達には聞こえないであろう質問を投げ掛ける。


 が、あまりの出来事に未だに我に返る事も無くその光景をぼうっと見ていたサラが無意識にその余裕のある態度への疑問を抱いたのも束の間、その答えが判明するまでには時間が掛からなかった。則ち、そう口にした少女が右腕を軽く伸ばしその掌を上に向けた途端、一目散に逃げていた男達の周囲に何処からともなく出現した青白い炎がその逃げ道を塞いだのである。


「うお、何だこれ!?」


「馬鹿野郎! 立ち止まるんじゃねえ!」


 すると、その炎によって突然逃げ道を塞がれた男達や、それが視界に入っていないが故に突然前の男達が止まったと考えた男達は口々にそう、最早思考というプロセスを経ていないであろう言葉を喚き散らすが、当然ながらそんな事でその状況が解決する筈も無かった。


「喰らえ! 妖火爆炎陣!」


 いや、その状況を作った張本人にはそうさせるつもりが無かったというべきか、その右掌を天に向けていた少女がそう大仰に叫ぶと共に拳を握った瞬間、その周囲の炎が変わらず叫び散らす男達へと向かって集まり、爆炎と共に彼等の姿と悲鳴を閃光の中に掻き消す。


 そして、やがて吹き抜けた風と共に立ち込めていた煙が晴れ、言われなければそこに男達が居た事さえ分からない程に何も残らない真っ白な焼け跡が顕わになると、その光景を生み出した張本人たる少女は一度満足げに頷いた後、「どうだ」と、もとい「どうじゃ」と言わんばかりの得意げな顔でサラの方へと振り返る。が、そこで未だ呆けたまま動かないサラの姿を見ると、そうして振り返った姿勢のまま「しまった」という風に頭を抱える。


 というのも、当人としては自身に無礼な……というレベルではない態度を取ったむかつく相手とその仲間を、かつ恐らくは別に死んでも構わない、どころか死んだ方が世の中の為になる様な男達を始末してすっきり満足という話ではあるのだが、いくら自身を助ける為という状況であり、かつ相手が盗賊であるとはいえ、目の前で十を超える人間の生命が失われるという状況を目の当たりにしたとなれば、視線の先の推定十代であろう若者にとっては酷な体験であるという事で、少女は漸く自身の行為が過剰であったかもしれないと考えたのであった。


「……凄い魔法」


 しかし、その様な少女の心配は杞憂であった様で、サラは呆けたままその様子を眺めていた事は確かではあったものの、程無くしてその口から零れたのはその直前の出来事への、もっと言えば少女が放った「妖火爆炎陣」に対する感嘆の言葉だった。


「……貴方は一体何者……なんですか?」


 そしてそこからまた暫しの沈黙の後、サラは続けてそう、当人からすれば当然の疑問を口にする。というのも、無論その強力な「魔法」の使い手であるという時点でも、それ程の使い手がこの様な場所に居たという意味で当然の疑問ではあるのだが、何よりもその幼さの残る外見を含めれば、その謎の度合いは一気に高まる事は少なくともサラの常識に於いてはより当然の事だった。


「ふん、物を知らぬ娘じゃな。今のは魔法などではない。妾の妖術じゃ。まあ、この外見に惑わされずに言葉遣いを改めた事に関しては一定の評価をしてやるがのう」


 ともあれ、そのサラの返答から自身の案じていた事が杞憂である事を察した少女はまた不敵な笑みを浮かべ、わざとらしい程に尊大な口調でサラの無知をあげつらう。だが、それはそれとして良い所はきちんと評価するという精神性の持ち主なのか、その思考の柔軟性についてはそう一定の評価を示すと、視線を一度サラから外し、その質問にどう答えるべきかを思案する為に自身の記憶を辿り始めるのであった。

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