【文化祭編】第13話 後夜祭

演劇「秋風のプレリュード」の大成功という、奇跡のような熱狂が過ぎ去った後の体育館には、心地よい疲労感と、祭りの後の少しだけ寂しい静けさが漂っていた。俺たち1年3組のメンバーは、互いの健闘を称え合い、涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔で笑い合いながら、手際よく舞台装置の片付けを進めていた。あの絶体絶命のピンチを、クラス全員の力で乗り越えたという事実が、俺たちの心を一つの、確かな絆で結びつけているのを感じた。

しかし、俺たちの文化祭はまだ終わらない。夜の帳が下りる頃、校庭の中央に組まれた大きなキャンプファイヤーに、生徒会長の掛け声と共に火が灯された。パチパチと音を立てて燃え盛る炎が、生徒たちの高揚した顔をオレンジ色に照らし出し、文化祭一日目のクライマックスである後夜祭の幕が開けたのだ。

「うおー! ファイヤー!」「いえーい!」

生徒たちの歓声が夜空に響き渡る。俺たちも、達成感を胸に、思い思いに後夜祭の雰囲気を楽しんでいた。

俺は、謙介や遼、そして少しだけ元気を取り戻した快斗と一緒に、炎から少し離れた場所で、今日の出来事を振り返っていた。

「いやー、それにしても今日の舞台はマジで伝説になったよな! 恒成、お前、監督としても役者としても、最高にカッコよかったぜ!」

謙介が、興奮冷めやらぬ様子で俺の肩を叩く。

「そうそう! 特にあの仮面が外れるシーン! あれ、マジでアドリブだったのかよ? 天才かと思ったぜ!」

遼も、目を輝かせながら言う。

「…まあ、あれは偶然の産物だ。それに、俺一人の力じゃない。みんながいたから…」

俺は照れ隠しにそう言うが、仲間からの賞賛は素直に嬉しかった。

快斗は、炎を見つめながら、静かに呟いた。

「…佐々木先輩、すごく感動してた。俺たちの舞台、ちゃんと先輩の心に届いたんだなって思ったら…なんか、もう、それだけで十分だなって思えたんだ」

その横顔には、失恋の痛みが完全に消えたわけではないだろうが、自分の想いを伝えきったことへの清々しさと、次へ進もうとする強い意志が感じられた。

「そうだな。お前の頑張り、俺たちみんな知ってるからな」

俺がそう言うと、快斗は少しだけはにかんで、頷いた。

少し離れた場所では、幸誠と美沙希が二人、静かに話している。その雰囲気は、もはや誰が見ても、友達以上の特別なものだった。今日の舞台での共演を経て、二人の間の壁は完全に取り払われたのかもしれない。

そして、西井加奈は…。

彼女は、女子グループの中心で、今日の演劇の武勇伝を、身振り手振りを交えながら楽しそうに語っていた。舞台メイクを落とし、ラフなパーカー姿に着替えた彼女は、ステージの上で見た神がかったヒロインの姿とはまた違う、年相応の、しかしやはりどうしようもなく魅力的な輝きを放っている。時折、こちらに視線を送り、目が合うと、ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべてくるのが、俺の心臓には非常に悪い。

やがて、陽気なカントリーミュージックがスピーカーから流れ始め、後夜祭のメインイベントであるフォークダンスがスタートした。生徒たちが、恥ずかしがりながらも、次々と手を取り合い、キャンプファイヤーを囲むようにして大きな二重の輪を作っていく。

「うわ、フォークダンスとか、マジかよ…」

俺は、その陽気な雰囲気に少しだけ気圧され、輪に加わるのを躊躇していた。

「おい恒成、何モジモジしてんだよ! 行くぞ!」

謙介と遼に両腕を掴まれ、俺は半ば強引にダンスの輪の中へと引きずり込まれてしまった。

曲に合わせて、ステップを踏み、手拍子をし、そして目の前のパートナーと手を取り合って回転する。パートナーは、曲のフレーズごとに次々と変わっていく。知らない女子生徒、同じクラスの女子、そして時折、男子とも手が触れ合い、その度にぎこちない笑いが起こる。

俺は、人混みの中で、無意識に加奈の姿を探していた。彼女は、楽しそうに、そして驚くほど軽やかなステップでダンスの輪の中にいる。その笑顔は、燃え盛る炎の光を反射して、キラキラと輝いている。

(…あいつ、ダンスとか得意だったのか…)

曲が変わり、パートナーが入れ替わる。俺の目の前に、幸誠と踊っていた美沙希がやってきた。

「ごきげんよう、雪村監督。素晴らしい舞台でしたわね」

美沙希は、優雅にカーテシーをしながら、完璧な笑顔でそう言った。

「あ、ああ、西条さんも、お疲れ様。…体、もう大丈夫なのか?」

「ええ、お陰様で。ご心配をおかけいたしましたわ。でも、加奈さんと皆さんが、わたくしの分まで最高の舞台にしてくださって…本当に、感謝しておりますの」

その言葉には、心からの感謝と、少しだけ舞台に立てなかった悔しさが滲んでいるように聞こえた。

そして、またパートナーが入れ替わる。次に俺の前に来たのは、謙介と踊っていた紗希だった。

「恒成くん! 今日の監督っぷり、超カッコよかったよー! 謙介も、惚れ直しちゃうって言ってた!」

「はは…そりゃどうも」

「でも、加奈ちゃんとのこと、ちゃんと進展させないと、私がヤキモキしちゃうからね! しっかりしなさいよ、男でしょ!」

紗希はそう言って、俺の背中を力強く叩いた。

そして、次の瞬間。

運命のいたずらか、あるいは謙介や紗希たちの巧妙なアシストがあったのか。

俺の目の前に、ついに、西井加奈がやってきた。

「やっほー、恒成。私と踊れるの嬉しい?私は嬉しいよ」

加奈は、いつもの調子でそう言って、俺に向かってそっと手を差し出した。その指先は、白く、そして細く、夜の冷たい空気の中で、ほんのりと温かそうに見えた。

俺は、緊張で鳴り響く心臓の音を聞きながら、まるでスローモーションのように、その手を取った。触れた指先から、加奈の体温が、そして柔らかな感触が伝わってくる。

俺たちの、ぎこちないダンスが始まった。曲は、軽快なワルツだ。

俺は、必死でステップを思い出そうとするが、頭の中は真っ白で、足はもつれそうになる。

加奈はそれみて心配と面白さを混ぜたような笑みをこぼす。

「恒成、足大丈夫?」

「もっとちゃんと私をリードしてくれないとー」

加奈は、楽しそうに、しかし的確に俺の動きを修正しながら、からかいの言葉を浴びせてくる。

「う、うるさいなぁ お前こそ、俺のリードが下手だとか言いたいのか〜?」

俺は、そう言い返すのが精一杯だった。

しかし、手を取り合い、見つめ合う中で、二人の間には、言葉にできない特別な空気が流れ始めていた。キャンプファイヤーの炎が、加奈の横顔を美しく照らし出す。その頬は、炎のせいか、それとも…。

いつもは強気な彼女の瞳が、少しだけ潤んで見えるのは、煙のせいだろうか。

曲調が、少しだけゆったりとした、ロマンチックなものに変わった。

「…それにしても、」

加奈が、ふと真面目なトーンで口を開いた。

「今日の恒成、監督として、それから…代役の主人公として、カッコよかったね」

その言葉は、不意打ちで、そしてストレートに、俺の心のど真ん中に突き刺さった。

「…お前こそ、すごかったよ。ヒロイン、完璧だった。美沙希がいなくても、お前がいたから、あの舞台は成功したんだ」

俺も、素直な気持ちを口にする。

「ふーん? …で?」

加奈は、またからかいの表情に戻る。

「最後のセリフ、なんで変えたか、やっぱり気になったりするー?」

その瞳は、楽しそうに、そしてどこか挑戦的に、俺の答えを待っている。

「…気になるに決まってるだろ。教えろよ」

俺は、加奈の瞳を真っ直ぐに見つめ返して言った。

「そっか。…じゃあさ、」

加奈は、少しだけ考えるような素振りを見せた後、悪戯っぽく笑った。

「恒成が、この文化祭が終わるまでに、今日の私の演技よりも、もっともっと、私のこと、ドキドキさせてくれるようなことをしてくれたら、教えてあげなくもないかなー?」

それは、あまりにも難易度の高い、しかしどこか期待してしまうような、新たな「勝負」の提案だった。

「なんだよ、それ…」

俺は、呆れながらも、心臓がまた大きく高鳴るのを感じていた。

「その方が面白くない? ねぇ恒成?」

加奈はそう言って、俺の手に、きゅっと力を込めた。

俺たちの間に、甘酸っぱい緊張感が漂う。キャンプファイヤーの炎が、パチパチと音を立てて爆ぜる。その炎が、二人の横顔を、まるで映画のワンシーンのように美しく照らし出していた。

手を取り合ったまま、二人とも言葉を失い、ただ、お互いの瞳を見つめ合う。

そして、曲が終わり、パートナー交代の時を告げるホイッスルが鳴った。俺たちは、名残惜しそうに、ゆっくりとその手を離す。離れていく加奈の手の温もりが、まだ確かに、俺の右手に残っていた。

後夜祭は、まだ続く。

俺と加奈の、そして友人たちの、忘れられない文化祭の夜は、まだ始まったばかりだ。

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