第12話 先輩
七月に入り、境港にも本格的な夏の気配が漂い始めていた。梅雨はまだ完全には明けていないものの、時折覗く日差しは力を増し、教室の窓から聞こえてくる蝉の声も日ごとに大きくなっている。もうすぐ夏休み。その事実に、クラス全体がどこか浮き足立っていた。
「なあ、夏休み、マジで海行こうぜ! 日程決めね?」
「いいね! 部活の合宿前に一回くらい遊びたいよな!」
休み時間には、そんな会話があちこちで交わされている。俺も謙介や遼たちと、夏休みの計画で盛り上がっていた。テストの結果はまだ返ってきていないが、今は目の前の楽しみに心を躍らせたい気分だった。
そんな浮かれた空気の中、今日のHRで少しだけ現実的な話題が持ち上がった。秋に行われる文化祭に向けて、そろそろ準備を始めなければならない、と。そして、各クラスから文化祭実行委員を数名選出することになったのだ。
「えー、じゃあ、ウチのクラスからは…誰かやりたい人いるかー?」
学級委員が尋ねるが、面倒事が苦手な奴が多いのか、なかなか手は挙がらない。
「じゃあ、推薦で…栗谷、どうだ?」
誰かが冗談半分に言った名前。まさか、と思ったが、意外にも快斗は「…別に、いいけど」とあっさり引き受けた。
「え、快斗が? 大丈夫かよ、そういうの苦手そうだぞ?」
遼が驚きの声を上げる。
「まあ、クラスの仕事だし…それに、少しはゲーム以外のこともしてみようかと…」
快斗は、いつものように少しぶっきらぼうに答えるが、その顔がほんのり赤いような気がしたのは、気のせいだろうか。
その日の放課後。第一回の文化祭実行委員会が開かれることになった。俺は委員ではないが、教室に忘れ物をしてしまい、取りに戻ったついでに、廊下から少しだけ委員会の様子を覗いてみた。
会議室には、各クラスから集まった生徒たちが緊張した面持ちで座っている。その中心で、テキパキと指示を出し、場を和ませながら進行しているのは、やはりこの人だった。
生徒会長の、
肩にかかるくらいの長さの青髪をポニーテールにし、明るい笑顔を振りまいている。入学式の時の、堂々としたスピーチ。そして、この学校の服装規定をほぼ自由にしたという「伝説」。まさに、太陽みたいな人だ。
俺がそんな風に感心していると、会議室の中に、見慣れた後ろ姿を見つけた。栗谷快斗だ。普段、猫背気味にゲームをしている姿とは全く違う。背筋をピンと伸ばし、しかし明らかにガチガチに緊張している様子で座っている。そして、その視線は…熱っぽいくらいに、美波先輩に注がれていた。
その時、美波先輩が快斗の存在に気づいたようだ。
「あ、1年3組の栗谷くん、だよね? 今回、実行委員引き受けてくれてありがとう! よろしくね! 何か分からないこととかあったら、遠慮なく私に聞いてくれていいからね!」
太陽みたいに眩しい、とびっきりの笑顔で話しかける。
快斗は、顔をみるみる真っ赤にしながら、椅子から飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がり、裏返った声で叫んだ。
「は、はいっ! よろしくお願いしますっ!」
その声は廊下にまで響き渡り、俺は思わず口元を押さえた。これは…。
(あいつ、美波先輩が好きなのか)
入学式の時に、先輩のスピーチに感動した、と熱っぽく語っていたのを思い出す。あの時からずっと、憧れていたのだろう。
教室に戻ると、遼も廊下で今のやり取りを目撃していたらしく、ニヤニヤしながら俺に話しかけてきた。
「おい恒成、見たかよ今の! 快斗の奴、分かりやすすぎだろ! 完全に佐々木先輩にガチ惚れじゃん!」
「…まあな。あれは隠せないだろ」
俺も苦笑するしかない。
「くぅー! 面白くなってきたなー! よーし、俺たちで快斗の恋を応援(?)してやるか!」
遼は楽しそうに拳を握る。…やめてやれよ、とは思ったが、少しだけ面白そうだと感じてしまった自分もいた。
それからというもの、快斗は文化祭実行委員の仕事で、美波先輩と接する機会が増えたようだ。俺たちの前では「実行委員の仕事、面倒くさい」「早く終わらせてゲームしたい」なんて言っているが、委員会の日はどこかそわそわしているし、先輩から連絡事項のプリントをもらった日は、それを異常に大事そうにクリアファイルにしまっていた。その分かりやすい変化に、俺たちは生暖かい視線を送るしかなかった。
そんな快斗の姿を見ていると、なんだか少しだけ、羨ましいような気もした。あんな風に、誰かを真っ直ぐに想えるというのは、すごいことだ。俺の、加奈に対するこのよく分からない気持ちとは全然違う…。
夏の始まりと共に、友人たちの間でも、新しい物語が動き出そうとしている。俺自身の物語は、一体どこへ向かうのだろうか。夏休みを前に、教室には期待と不安、そして淡い恋の気配が入り混じり、窓から吹き込む風は、もうすっかり夏の匂いがしていた。
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