第16話 アーク・セクターの影 ― もう一人の覚醒者 ―

 翌日、セリアに呼び出されたのは、中央ギルドの地下深くにある「封印階層」だった。

 入室許可には三重の認証が必要で、同行を許されたのは俺だけ。タツヤとミナは上階で待機している。

「ここは何だ?」

「公式には存在しない実験区画です」

 セリアの声は抑えられていた。彼女の足取りは迷いがない。白い通路を抜け、最奥の扉の前で立ち止まる。

「これから見せるものは、あなたの“選択”に関わる。心の準備を」

 扉が開くと、冷たい空気が流れ込んできた。壁一面に制御装置が並び、中央には透明な拘束カプセル。中で、ひとりの青年が目を閉じて座っていた。

 銀髪、淡い灰色の肌。装着された端子が何本も胸に突き刺さり、微かな蒸気が上がっている。

「……人間、か?」

「コードネーム《ゼロ》。人工的に覚醒を誘導された実験体。あなたと同等の“覚醒者”です」

 セリアは目を伏せた。「——アーク・セクターの被検体、第一号」

 聞いたことのない名だ。俺の眉が動く。

「アーク・セクター?」

「中央ギルド直属の研究部門……表向きは存在しません。覚醒現象を“再現”し、兵器化する計画を進めています」

「つまり、俺みたいなのを造るってことか」

「正確には、“支配できる覚醒者”です」

 その言葉に、胸の奥で黒い魔石が震えた。ゼロがゆっくりと目を開く。瞳は色を持たない灰。だが、中心だけが薄く光っていた。

 視線が交わる。息を吸うだけで、空気が軋んだ。黒の波が自動的に反応する。

「……目を覚ましたか」

 セリアの端末が警告を鳴らす。カプセル内部の魔力値が急上昇。青年はゆっくりと立ち上がった。拘束具がひとつずつ外れる。

「ゼロ、制御コードを送信!」

「反応なし。遮断されています!」技術員が叫ぶ。

 カプセルのガラスが内側から割れた。衝撃波が走り、俺は咄嗟に腕で顔を庇う。セリアの髪が風で舞い上がる。

「神谷!」

「わかってる!」

 ゼロが歩み寄ってくる。無音の動き。手にしているのは、形を持たない白い刃。実体ではなく、魔力を凝縮したもの。

「……お前は、何者だ」

「“君”と同じ。だが、君は失敗作だ」

 淡々とした声に、血の気が引く。ゼロはさらに一歩近づき、瞳の奥が光を放つ。

「覚醒は選ばれし者の特権ではない。設計された“進化”だ」

 刹那、空気が変わった。ゼロの周囲に白い粒子が舞い、重力が歪む。床が軋み、空間が軋む音がした。黒と白——ふたつの力がぶつかり合う。俺の体内で黒の脈動が荒ぶる。

「やめろ、神谷! ここで戦えば——」セリアの叫びが遠くなる。

 しかし、ゼロの刃が振り下ろされた瞬間、俺は反射的に動いていた。黒の光が腕を包み、衝撃を受け止める。金属のような音が響き、白い光と黒い影が弾ける。

「面白い。君は“拒絶”ではなく、“受容”で立っている」

「力は借り物じゃない。俺の中にあるものだ」

「それは錯覚だ。やがて君も、私のようになる」

 ゼロの笑みが、痛いほど静かだった。次の瞬間、白い光が爆ぜる。目を閉じたはずなのに、視界が焼ける。空間が反転し、耳鳴りが遠のく。

 気づけば、ゼロの姿はもうなかった。床には焼け焦げた跡と、薄い結晶片。セリアが駆け寄る。

「……転送された。アーク・セクターが回収したわ」

「逃したのか」

「いいえ。——彼は最初から“見せに来た”のです」

「見せに?」

「あなたに。自分と同じものを」

 沈黙が落ちた。残留する白い粒子が、ゆっくりと黒に染まって消えていく。俺の掌に、ひとつだけ冷たい破片が残った。光のようで、影のような欠片。

「これが、あいつの……」

「残響です。——覚醒の“欠片”」

 セリアが端末を閉じ、低く言った。

「アーク・セクターは、神谷レイジを“観測対象”から“回収対象”に変更するでしょう」

「つまり、俺は……敵になる」

「いずれは、そうなるでしょう」

 その声に迷いはなかった。だが、瞳の奥に一瞬だけ、痛みがあった。

 俺は欠片を握りしめ、ゆっくり息を吐いた。黒の鼓動が静かに波打つ。

「なら、来るなら来い。三度目の覚醒は、誰のためでもない」

 セリアは微かに頷き、扉のロックを解除した。

 封印階層の照明が落ち、最後の光が影を長く伸ばす。

 その先に、見えない戦いの輪郭が、確かにあった。

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