第13話 真の惨劇
◆これがプロかぁ
コック隊は戦場に慣れた兵士のように、瞬く間に俺の部屋で高級食材の調理を始めた。ローストビーフがまな板の上で薄造りにされ、その上にはキャビアが金色のスプーンで盛られていく。
「くっ……!!」
悔しいが、ビジュアルだけでもヨダレがでそうだ。
薄いピンク色をしたあの肉は一体どんな味がするのだろうか?
結衣ちゃんに対して申し訳なく思う一方で、未知なる美食への期待値はグングンと上がっていく。
(た、食べたい!)
しかし、そんな期待はすぐに
リーダーのコックがフォアグラを焼くために、大型のプロパンガスコンロを設置し始めた時だ。
「火力を最大にしろ!最高の火入れで完成させるのだ」
リーダーが命令を下すと、コックたちは無言で火力を上げる。ところが、俺のオンボロアパートのガス管は、その業務用コンロの圧倒的な出力に耐え切れなかったらしい。
ボッ!! という不穏な音と共に、コンロの接続部から火柱が噴き上がった。
「ひいっ!」
「問題ありません、お嬢様!……すぐに消火器を!」
コック隊の一人が、どこからか取り出した消火器の安全ピンを抜き、火柱めがけて噴射した。しかし、彼らは消火器を扱うプロではない。消火フォームは火を消すと同時に、調理中のフォアグラやオマール海老が並んだ特設調理台全体を、モクモクと真っ白な泡で覆い尽くしてしまった。
「ギャアアアアア!!」
俺は思わず悲鳴を上げる。高級食材と消火フォームが混ざり、この世のものとは思えない異臭が立ち込めていく。
(臭い!臭い!おしっこの混じった海の匂いがする!)
最悪なことに、コック隊の慌てっぷりは止まらない。泡で滑った一人が、高圧洗浄機のように水蒸気を噴き上げる小型の業務用スチームコンベクションに激突した。
ガシャン!給水配管が接続部から外れるけたたましい音と共に、水道の圧力がそのままかかった金属製の給水ホースが勢いよく暴れ出し、高圧の水を部屋中に撒き散らし始めた。
「うわあああ!雨だ!アパートで雨が降っている!」
俺の八畳一間の部屋は一瞬にて、異臭が立ち込める水浸しの魔境と化した。
美谷さんは、そんな光景と肩を落とすコック隊を見て顔を真っ青にしている。
「こ、こんな、馬鹿な……美谷フーズのコック隊が、調理器具に負けるだなんて……」
彼女は震える声で顔を隠すように俯きながら、気まずそうに呟く。
「ご、ごめんね?」
コック達は無言で、浸水した床の上で土下座を始める。
そんな中、結衣ちゃんは部屋の隅でずんだ餅の入ったタッパーを抱きしめながら、誇らし気に微笑んでいた。
「これだけは死守しました!」
「よかったねえ」
そうして俺は、崩壊した部屋の中で呟く。
「……何処で生活すりゃあいいんだよ?」
◆新居はいずこに?
時刻は20時を過ぎたところだ。
上桑幸運は自身の名前とは真逆の
フローリングの床はちょっとした洪水後の如く、足の指先をすっぽりと覆っている。ベッドはぐっしょりと水分を吸い込み、室内からはアンモニアとトリュフが入り混じる混沌とした香りが充満していた。
ガララ!と、室町結衣が窓ガラスを開けて換気を図っているが焼け石に水だろう。
「ど、どうしよう?新しく部屋を……借りられるわけないか」
不動産はどこも閉まっているし、空いていたとしても今から入居できる部屋は無い。
となると、考えられるのはホテルか満喫。満喫は無理か。未成年者が深夜にいれば通報される。
ホテルは?電話で親から同意を貰えれば泊まれるはずだ。今までもそうしてきたし。
「取り敢えずもういいよ。今日はホテルに泊まるから」
上桑が力なくそう言うと、ピンチはチャンス!と言わんばかりに美谷がグイッと顔を寄せてきた。
「ダーリン、本当にごめんなさい!お部屋の方は私が責任を持って綺麗にしておくから。それでね、今日は、私の家に泊まりにこない?罪滅ぼしも兼ねて。ね!?」
美谷はしおらしい表情をしているが、目は爛々と輝き声は弾んでいる。あわよくば、ここで夜這いを仕掛けようという魂胆が透けて見えた。
「流石に怖いからいいや」
「なんでよ〜!?ホテルに荷物を運び込むとか意外と面倒なのよ」
「確かに面倒だけど、命には代えられないから」
華恋だけではない。美谷家には家長の美谷甚内がいる。それこそ、物理的に襲われる可能性は多分にあるだろう。前回はレスラーだったし、今度は忍者か何かが襲ってくるかもしれない。
取り敢えず学校に持っていくもの……学ランと教科書くらいか。いや、明日は体育があるから体操着も持っていかなきゃ。
そんな風に思考を整理している時だった。
「あ、あの先生。宜しければ結衣のお家に来ませんか?パパも喜ぶと思いますし」
「結衣ちゃんのお家に?」
「はい。何度か泊まられたこともありますし。何より直ぐそこですから。必要なお荷物も、その都度取りに帰りやすいかなって?」
確かに会長の御宅はここから徒歩5分も掛からない。会長は勿論のこと奥様との面識だって何度もある。ホテルに移動してから、忘れ物をしたなんて心配もないだろう。
「でも、いいのかな……?突然お伺いしても」
「勿論です!お部屋も余っていますし、パパもママも先生なら大歓迎ですよ」
「ならお邪魔しちゃおうかな」
「はい!直ぐにパパに連絡しますね」
そう言った結衣は満面の笑みを浮かべた。対する美谷は苦い顔をしながら、ガチガチ!と歯を鳴らしている。
(あ、これ。タダでは終わらないやつだ)
美谷の瞳に宿る濁った光を見ながら、上桑はお泊りの準備を進めた。
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