第2話 絶望の教室、あるいは悪趣味なゲームの始まり


 俺が教室に足を踏み入れると、それまであった喧騒が、嘘のように静まり返った。

 値踏みするような、あるいは敵意を剥き出しにした視線が、突き刺さる。


「あぁ? なんだテメェ、ガンつけてんのか?」


 教室の中央、机に足を投げ出した虹色の髪の男が、低い声で凄んできた。

 敵意と自己顕示欲の塊。

 分かりやすい人間だ。


 俺は男を一瞥し、そのまま視線を教室の黒板へと移した。

 そこに貼られた一枚の紙。座席表だ。

 

 ヤンキー風の男の名前は虹堕らるきだ焚良たくらというらしかった。

 それから、さっきのあのモノレールの女の名前を確認する。


 窓際の一番後ろ……剣持けんもち葉香ようかか……。

 俺の視線の先、刀のように鋭い雰囲気を持つ剣持は、我関せずと窓の外を眺めている。


 それから、あっちのギャルぽいやつは……瀬焼せやけ早紀さき

 雷ピアスのやつは……嘘迅らいじん詰鹿つめろく

 

 心配そうにこちらを見ている優等生ぽい美少女が……二枝ふたえだ奈絵なえか。


 なるほど、問題児の見本市、だな。

 で、俺もその仲間というわけだ。

 

 俺は無言のまま、指定された一番後ろの窓際の席――剣持 葉香の隣の席へと、静かに向かった。


「おい、無視してんじゃねえぞコラァ!」


 焚良が立ち上がろうとした、その時だった。

 気の抜けたチャイムの音が、教室に響き渡る。

 間が悪い男だ。


 ガラリと、乱暴に教室の扉が開く。

 入ってきたのは、白衣を着崩した、眠そうな目をした女の教師だった。


「はいはい、席つけー。……ああ、私が担任だ。名前はまあ、どうでもいい。どうせすぐに辞めるか、お前たちが辞めるかだ」


 なんだそれ……。自己紹介もなしとは……。

 

 淀んだ空気の中、教師は気怠そうに説明を始めた。

 この学園は全寮制であること。

 卒業まで敷地外に出ることは許されないこと。

 そして、学園内の全ての価値は、ZIGAポイント――通称ZIPと呼ばれる電子マネーで決まること。


「食事も、備品も、娯楽も、全てZIPで購入してもらう。金は無価値だ。……というわけで、君たちの当面の生活は、このZIPにかかっている。そして、君たちFクラスに今月支給されるポイントは……」


 教師が手元の端末を操作すると、教室のモニターに数字が映し出された。


 Fクラス: 100,000 ZIP


「――は?」


 誰かの、間の抜けた声が漏れた。


「じゅ、10万!? マジかよ!」


 次の瞬間、教室は歓喜に包まれた。

 1ポイント=1円換算だと教師が補足すると、興奮は頂点に達する。


「うおおお! これで一ヶ月豪遊できるぜ!」

「マジ!? 新作コスメとか買えんじゃん! ちょーアガる!」


 焚良と早紀が、子供のようにはしゃいでいた。

 奈絵も「よかったぁ……」と、心底安堵したように胸を撫で下ろしている。

 誰もが、自分たちもエリートの一員として迎えられたのだと、勘違いしていた。


 そんな浮かれた空気の中、教師が「ちなみに」と前置きして、モニターの表示を切り替えた。


 Aクラス: 1,000,000 ZIP


 教室から、音が消えた。

 焚良の口が、ぽかんと開いている。

 早紀の笑顔が、凍りついている。


「……は?」「ゼロが、一個多くないか……?」


 誰かの呟きが、やけに大きく響いた。

 Aクラスは、自分たちの十倍。

 その絶対的な事実が、先程までの歓喜を、一瞬でどす黒い嫉妬と絶望へと塗り替えていく。


 なるほど。最初に飴を与えて浮かび上がらせ、その後で突き落とす。人間の嫉妬と絶望を煽る、実に悪趣味なやり方だ。

 この女教師、性格悪いな。

 そしてこのポイント差……これがこの学園における、絶対的な『身分』の差か。


 俺だけが、冷静にその意図を分析していた。


 絶望に沈む生徒たちを満足そうに見回し、担任教師は、さらに追い打ちをかけるように告げた。

 

「そんな君たちに、朗報だ。一週間後、最初の特別試験を実施する」

 

 ざわめく教室。


「試験名は、『虚偽の宮殿ライアー・パレス』。君たちのような、まだZIGAをまともに使えない新入生向けの、頭を使ったゲームだ。詳細は後ほど伝える」

 

 教師はそこで言葉を区切り、悪魔のように微笑んだ。


「そして、この試験で最下位になったクラスへのペナルティだが……。試験後、総合一位のクラスが、最下位クラスの中から好きな生徒を『一人』、『退学』させることができる」


 ――退学。

 その言葉は、爆弾のように教室で炸裂した。


「ふざけるな!」「誰かが辞めさせられるってことかよ!」


 恐怖とパニックが、教室を支配する。

 理不尽なルールに、誰もが怒りと混乱を隠せない。


 その喧騒の中、俺は静かに思考を始めていた。


 退学は避けなければならない。そのためには、最下位にならなければいい。それだけだ。

 だが……。

 

 俺は、騒がしいクラスメイトたちを、一人ずつ冷静に見回す。


 ……なるほど。駒は最悪。状況も最悪。

 だが……。


 ……ルールには、必ず抜け穴がある。


 

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