八百万の輪廻

@je3m8xK1

第一話 誰にともなく 

 神さまは万能なんかじゃない。それは、私が身をもって知っている。

 日本には昔から神さまがたくさんいて、人々はそれを『八百万の神様』と呼んだ。どんなものにも魂が宿っていると考え、あらゆるものに対して感謝をし、人智を超えた現象に畏敬の念を抱いてきた。

 そんなおとぎ話のような世界は、幾多の春を慈しみ、数多の夏を駆け抜けて、幾千もの秋を舞い踊り、数ある冬を名残惜しんできた。そうして私たちは再び、両手に余るほどの春を迎えた。

 

 もう、だめかもしれない。ずっとずっと、私の胸の中には諦めが降り積もってゆく。遠くに見える山並みにも、もうその姿は残っていないというのに。

 光が差す。うずくまっていた私の肩に、太陽神さまの慈悲が降り注ぐ。

「どうしたのですか?」

 相も変わらずまぶしい。私は思わず正座してしまう。

「そんなにかしこまらないでください。あなたも、志を同じくするかけがえのない同胞ではありませんか。どうぞ、楽にしてください。」

 ありがたいお言葉を頂戴して、思わず背筋が伸びる。

「いえ、私なんて…」

 再びうつむいてしまう。今の私じゃ、この御方に顔向けできない。

「顔を上げてください。私でよければ、少しお話しませんか?」

 その慈しむような微笑みが、なぜか私を惹きつけて離さない。

「私、今朝は寝坊しかけたんです。」

 何のことか、正直ピンとこなかった。

「この間もうっかり腕輪を落としてしまって、姉さまに叱られたばかりなんです。」

 怒られたというのに、その瞳には希望が満ちている。

「私もこの職に就いて数年経ちましたが、まだまだ慣れないことばかりです。」

 さらに笑みを深くして、私の瞳をまっすぐ見つめてくる。

「だから、何も心配しなくていいんです。私なんて、ただのポンコツなんですから。」

「そ、そんな、ポンコツだなんて…。そんなことないです。私は、いつもあなたさまを心からお慕いしているんです。」

 その頬が、ほんのりと薄桃色に染まる。

「あなたの素敵な所は、そうやって掛け値なしで誰かを褒めることができるという所なんですよ。」

「そ、そんな…そんなことないです。こんなこと、誰だってできますし…」

「ふふっ。そうやって照れる所も、かわいらしくて素敵ですよ。」

「た、太陽神さま…」

 思わず頬に手をやる。うう、顔真っ赤だ。

「すみません。私ばっかり話してしまいましたね。」

「いえ、そんなことないです。あ、私は、その…」

 そうつぶやいて、言葉が途切れてしまう。

「ゆっくりで大丈夫ですよ。実は私、沈黙も好きなんです。」

 またも軽やかに笑うその横顔は、いつ見ても晴れ晴れとしている。

「あ、申し訳ありません。あ、その、私にはこんな大役、正直荷が重いなって言いますか…その、私のせいで誰かが不幸になってしまうのは、それこそ、本末転倒と言いますか…」

 そう言葉を紡いでから、再び黙り込んでしまう。

「ふふっ。あなたはやっぱり優しい心の持ち主です。私は今まで多くの笑顔を見てきましたが、どの笑顔も素敵で、かけがえのない奇跡の下に生まれた人たちが、そんな風にこの世界から祝福されているのを見ると、思わず微笑んでしまうんです。」

 その翼が、心地よい春の日差しを受けてきらめいている。

「誰かの笑顔を守り、幸せのバトンをつないでいく、そんな素敵な詔。あなたが悲しむ姿を、私は見たくありません。どうか自分のことを、不甲斐ない存在だと思わないでほしいです。」

 どこからか、小鳥たちが大勢やってきた。思わず手を伸ばす。

「ふふっ。この子たちも、私たちと同じなんです。誰かのために笑い、悲しみ、怒り、仲直りできたら、また一緒に笑い合える。そんな一瞬一瞬を、私と、私たちと共に、紡いでいただけませんか?」

 さらにまぶしさを増したその姿に、思わず気圧されてしまう。でも、太陽神さまの言葉はいつも温かく心に響いて、いつの間にか私の中の残雪を溶かしてくれる。そんな尊い人のために、私も何かできるかな。

 わずかな希望が、つくしのように顔を出す。

「あ、あの、私なんかじゃ、その、大したことはできませんけど、その、できるだけ、頑張ってみます…」

 わたあめみたいな雲が、目の前を通り過ぎてゆく。

「ふふっ、その意気です。ですが、頑張りすぎも禁物ですよ。ちゃんと自分を労わってあげないと、いつかしんどくなってしまいます。甘えたくなったら、いつでも私を呼んでくださいね。」

 そう言うと、太陽神さまはなでる仕草を見せた。

「どうです?今なら特別大サービスですよ。」

 うう、かわいい…。溶けちゃいそう…。で、でも、私はもういい大人だし、なでなでなんてそんな…。しかも、あの憧れの太陽神さまにしてもらうなんて恐れ多い。で、でも…。

 穏やかな微笑みが、私の留飲を一気に下げる。ええい、この際やけだ。

「す、すみません…。よければ、その、なでなで、お、お願いしたいです…」

 まぶしすぎるその微笑みにつられてしまい、私のガードは甘々になる。

「はい、かしこまりました。では、遠慮なくどうぞ♪」

 少し遠慮がちに、頭を差し出す。

「ふふっ♪いつも頑張ってて、えらい、えらい♪」

 あう、はわわわ…。いい匂い…。それに、この懐の深さ…。私の、お母さん?

 その温かい手が私の髪をくすぐる度に、降り積もった雪もいつしか溶けてゆく。儚く、それでいて穏やかに。

 


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