18 独白・上


 ……ノートに最後の丸がついて、私はそっとペンを置いた。

 机の上のプリントが一枚ずつ重ねられて、黒瀬くんの指が止まる。


「――よし。今回も間違いゼロだ、よくできたな」


 ……黒瀬くんが褒めてくれた。


「……えへへ、うれしい。ちゃんと復習しててよかった」


 黒瀬くんに優しく褒められると、胸の奥がふわっと緩む。

 一言だけなのに、吸ってる息まで甘くなるみたいな、ふわふわした感覚。


「俺に言われなくてもやるようになったのが偉いよ。で、今日はどうするんだ?」


 ……また褒められた。

 でも、「今日はどうする」って、なんのことだろう。


「え、えっと……?」


「勉強のお褒美に決まってるだろ。そのために頑張ったんじゃないのか?」


 ……あ。

 そうだった。

 最初に黒瀬くんが勉強を教えてくれた時、ご褒美を聞かれて……それで、あのときは……


「~~~~っ」


 ……そのときのことを思い出して、顔が熱くなります。

 私はきっと今、とても真っ赤な顔をしてるはずだ。


「うぅ……はい、そうです……。黒瀬くんからご褒美が欲しいんです……」


 ……たまらなく恥ずかしいのに、こんなことを言えてしまう。

 だって、恥ずかしいけど、それ以上に……素直に気持ちを伝えられるのって、幸せだ。

 黒瀬くんは私の大好きな人で、私の全部を受け入れてくれる。

 この前黒瀬くんが言ってくれた「言葉」を思い出すだけで、胸の中が満たされて温かくなる。


「だろうな」


 ……いじわる。

 そう、黒瀬くんはいつもいじわるです。

 いつだって簡単に私の心を見透かして、私の気持ちを分かった上でいじわるな言い方をしてくる。

 でも……そんなところも愛おしい。

 いじわるも優しくて、私のためで、嫌な気持ちになんて少しもならない。

 ……ただ、胸が苦しくて……ドキドキさせられちゃう……だけ。

 だから、私は口に出して言います。


「……いじわる」


 ……これが私にできるせめてもの抵抗です。

 黒瀬くんはそれに対して、にやにやと笑って応えます。

 ……その顔を見るだけで、また胸が締めつけられる。


「で、何が良いんだ? 今日は全問正解だったし、何でもいいよ」


 ……。

 また、顔が熱くなります。

 いや、最初からずっと熱いんだけど……。もっと、です。

 「なんでも」って黒瀬くんは言うけど……本当に何でも、なんでしょうか。

 ……黒瀬くんなら、私が本当に叶えてほしいご褒美を言っても、受け入れてくれるかもしれない。

 ……けど、それをここで言うのは、きっとずるいことです。

 だから私は、ちゃんと伝える勇気が出るまで、その言葉は我慢します。


「……あ、あの、今日は……。……添い寝したい、です」


 ……言っちゃった。

 ……あ。気がついたら、心の中まで敬語になっていました。

 黒瀬くんと出会ってから、なんでか時々敬語になっちゃいます。

 ……そして実は、黒瀬くんに敬語を使うの、ちょっとドキドキします。


「添い寝?」


 黒瀬くんが少し瞬きをします。

 最近私が大胆なことばかり言うから、驚かせちゃってるかな。

 でも、全然イヤそうじゃなくて……また、胸が締めつけられます。


「う、うん……この前はすぐに寝落ちしちゃったから……今日は、ちゃんと添い寝してみたいなって。ダメ、かな?」


 ……ずるい聞き方。

 「ダメかな」って言えば断りづらいのを知ってて、私はいつもこういう言い方をしちゃう。

 こうやって、自分の欲しいもののためには何でもするところは、昔から一切変わってなくて……それを思うと、自分のことがちょっとだけ嫌になります。

 でも、きっと黒瀬くんにはそんなこと関係ない。


「ダメなわけあるか、なんでもいいって言っただろ」


 黒瀬くんは即答してくれました。

 ……そう。黒瀬くんは嫌なことは突っぱねるし、嫌なことじゃなければ、言い方も重さも、何も関係なくどんなことだって受け入れてくれます。

 ……私は黒瀬くんのことが好きで、黒瀬くんを独り占めしたいからといって……学校で、黒瀬くんに許されないことをした。

 ……それすらも、黒瀬くんは「知ってた」と言って、私を許した。

 いや、許してくれたのかは、正確には分からないけれど。

 ……あのとき、この病室で再会して、黒瀬くんが私を膝の上に乗せてくれたとき。

 私の心が、どれだけ救われたのか。

 それだけは、きっと黒瀬くんにだって分からない。


「白石?」


「……っ」


 黒瀬くんの声で、はっとした。


「ご、ごめんなさい……ちょっと考え事しちゃって……」


 せっかく黒瀬くんといられて、ご褒美までもらえるところなのに……私は、なんてダメな子なんだろう。


「……まったく」


 ……呆れられるのも当然だよね。

 むしろ、優しすぎるくらいで……


「…………えっ?」


 ……あれ??

 私はいま、黒瀬くんに抱きしめられてます。

 ……どうして……?


「くろせ、くん……?」


 私の声に、黒瀬くんは私の頭を優しく撫でながら、


「……だってお前、泣いてるじゃん」


 ……はっきりと、そう言いました。


 …………あ、ほんとだ。

 黒瀬くんにそう言われた瞬間に、涙が溢れてきました。

 つらいことがあるわけじゃなくて……黒瀬くんのことが好きすぎて、色んな気持ちが溢れて限界だったんです。

 ……でも。さっき「泣いてる」と言われたときは、たぶん涙は出てなかったはずです。

 変に思われたくなくて、必死にこらえてたから。

 でも……黒瀬くんは、そんなのじゃ誤魔化せなかったみたいです。

 ……本当に、この人は。

 どこまで私の心を奪えば、気が済むのかな。


「…………だい、すき……」


☆★


「……落ち着いたか?」


 黒瀬くんの優しい抱擁から離れると名残惜しい気持ちが残ったけど……今度は、優しい声でそう聞いてくれました。

 泣きはらした私の顔はきっとまだぐちゃぐちゃで、大好きな人に見られるのはとても恥ずかしいです。


「…………うん。ごめんね、いきなり泣いちゃって……」


「別に、謝るようなことじゃないだろ。それに、好きな人の前で抑えるようなものでもない」


 黒瀬くんはいつもこんなことを言います。

 それが普通なんじゃなくて、黒瀬くんが特別なだけなのに。

 ……少なくとも私にとっては、ずっとそうです。


「……うん。ありがと、黒瀬くん」


 この前慰められたばかりなのに……また、しんみりさせちゃいました。

 でも、しあわせです。


「それで、ご褒美は添い寝だっけ?」


 …………。


 予想していなかった彼の言葉に……私は心臓の音が一段と大きくなる感じがしながら、彼の顔を見上げました。

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