第11話  3―4 恋敵、認める

 それは、今から数分前のこと。黒き悪魔の蹴撃が、今まさに俺の顔面を捉えようとしていた、その時だった。


『俺の……夢……それは――』


 フマンが何気なく放ったその一言が、止まっていた俺の思考に再びエンジンをかける。その途端、朧気だった視界は一気に明瞭になり、意識は感覚を伴って現実に回帰する。


「――ナッ⁉」


 そして気がついた時には、再び俺は『黒い世界』に入り、敵の蹴りを正面から防御していた。


「てめぇはほんと運がねぇ……いや、センスがねぇよ」

「ド、ドウシテ⁉ アナタハモウ少シデ結婚シ――」

「――てめぇのくっだらねぇ夢に、俺を付き合わせんじゃねぇ!」


 十字に組んだ両腕を開放し、フマンの足を弾き飛ばす。同時に素早く立ち上がった俺は、体制が崩れたやつの懐に飛び込み、その顔面を拳でもって粉砕した。


 ――そしてそのフマンは姿を消し、いつの間にか見えなくなっていた立浪の姿が見えた俺は、こうして跳び蹴りと共に参上したわけだ。


「へっ、何寝てんだよ阿保んだら。まさかこんなドブスな化け物なんかに篭絡されてたんじゃねぇだろうな?」


 大の字に寝そべる隙だらけの男を見下ろし、にやけながらそう言ってみる。


「……まさか、あなた如きに借りを作るなんて思いませんでしたよ」


 すると彼は、どこかばつが悪そうに視線をそらしながらも、少し安堵した様子で俺を押しのけ、立ち上がった。


 その様子からして、こいつも俺と同じように、何かしらの精神的干渉を受けてのぼせていたようだ。


『ここで貸しを作れたのはでかいぞ……フマンに出し抜かれて今にも殺されそうだったってことをかおりさんに言えば、俺の株は必然的に上がる。それに加えて、俺がこの窮地を脱するキーマンだったことを話せば、最高のアピールになるじゃねぇか!』


 なお、自分もぎりぎりまで危なかったことは絶対に話さないものとする。


「ギギギ……ドイツモコイツモォ!」


 と、あまり恋路のことばかり考えてはいられない。


「ユルサナイ……絶対ニ結婚スル!」


 ここにいる二人の男からフラれたフマンは、その怒りによって自らの身体を膨張させていく。そして人としての体裁を捨てたのか、魔物や怪獣のような醜き形状の存在へと変化した。


 全身は筋骨隆々で激しい凹凸を描き、特に両足は大木のように太く強靭に発達している。筋肉のこぶがひしめき合うその様子は、極めて不気味に見えた。


 だが最も趣味が悪いのは、それぞれのこぶに浮かび上がるいくつもの人面だった。


「男の顔ばっかりだな……今まで自分をフってきた男のこと、一人残さず覚えてるってことか」

「本当に……つくづく可愛くない性格ですね。かおりさんとは大違いです」

「黙レェ! オ前ラモコノ一部ニシテヤルゥ!」


 大地を唸らす重低音の叫びが轟き、その怪獣は地響きと共に向かってくる。ただその動きは極めて鈍重だ。


「仁科さん、ひとまず休戦といきましょう。今はかおりさんと合流することだけを考えるんです」

「指示してくんな悪趣味野郎。んなこと、俺はずっと考えてんだよ!」


 怪獣の振り下ろした鉄槌を回避し、俺と立浪はそれぞれ左右から回り込む。そして打撃を打ち込みながら周囲を回転し続け、一撃離脱の形で戦闘を展開した。


「ガッ! コノッ! 大人シクシ、グアァ!」


 二人の動きについていけず、ただ一方的に殴られるフマン。だがこれは至極当然の結果だ。


 元々、こいつの強みは人間と同じ形をしていることにあった。人型だからこそ体現できた格闘術の数々と、俊敏で的確な攻撃が、こいつにとっての武器だったはず。


 だが今のこいつは、あまりにも肉体が肥大化しすぎたせいで動きが鈍り、持っていた強みを完全に打ち消してしまっている。


 純粋な戦闘能力で押し切られてしまったからこそ、この花畑の空間を作り出して搦手に持ち込んだのだろうが、それが破られた以上、もはやこいつには打つ手がないようだ。


「グゾォ! グゾグゾグゾグゾグゾグゾォォォォォ!」


 息は上がり、身の丈に合わない肉体はただの荷物になる。完全に勝負はついた。


「一時の感情に身を任せすぎなんだよ! 男からモテる女ってのはなぁ、冷静な考えができる教養のある女なんだ! 大方穴モテしかしてこなかったてめぇに、俺たちがなびくわけねぇだろうが!」

「そろそろ決着をつけるぞ! 覚悟しろ!」


 立浪の右ストレートが、フマンの腸に突き刺さる。その激痛に悶え、垂れ下がったやつの頭にめがけて、俺が膝蹴りをもう一発。側頭部に命中したその一撃はフマンの脳みそを揺らし、これ以上ないほど大きな隙が生まれる。


「――――」


 引導を渡すべく、俺たち二人は同時に跳躍。そして共に足を振り上げ、落下の勢いを乗せた全身全霊のかかと落としが、フマンの後頭部を抉った。


「ガァ――――」


 衝撃に首が耐え切れず、頭が処断されたようにストンと落ちる。どうやらこれほどの膨張した肉体を持ちながら、首だけは人型の時と同じく細いマネキンのままだったようだ。


「――――」


 瞬間、花畑の空間が蜃気楼に包まれ、巨大な濃霧へと変わる。そして少しずつ霧が晴れていくと、俺たちが立っていたのは元の結婚式場だった。


「あれ? 戻ってこれた?」

「どうやらそのようですね。少なくともあの女のフマンとの戦いは、僕たちの勝利です。さぁ、早くかおりさんと合流して――」

「――遅かったわね」


 声が聞こえる。今度はフマンの声ではない。俺と立浪が惚れた、追い求めていた女の声だ。


「かおりさん! 無事だったか!」

「あなたに心配されるほどやわじゃないわよ。立浪さん、大丈夫でしたか?」

「えぇ、こっちは問題ありません。かおりさんこそ大丈夫ですか?」

「問題ありません。ありがとうございます」

「なら……よかった」


 張り詰めた緊張が解け、立浪の表情に緩みが生まれる。かおりさんもまた味方の無事を確認し、清々しい微笑みを向けていた。


 俺ではなくあいつに、あいつに向けていた。


「って、そういやあのタキシードは⁉ あいつはどこに――」

「――あぁ、あいつなら倒したわ」


 そう言って、かおりさんは当たり前とばかりにタキシードの頭を俺たちに差し出す。その頭は俺たち全員の視界に映った途端に、待っていたようにその形を砂に変えていった。


「どうやら自分から見て異性の存在を、自己の意識空間に誘い込むことで、人々を殺していたみたいですね。数十名の同時虐殺ができたからくりも解けました。任務は完了です」


 マイクに手を伸ばし、状況終了の報告を入れ始める。ねぎらいの言葉一つない辺り、まだまだ立浪との評価の差は歴然のようだ。


『となると、下手な成果のアピールはむしろ逆効果、か。ちっ、すげーことしたのによぉ』


 ここは戦略的に考えて、立浪への貸しはなかったことにするしかなさそうだ。


「変な密告は許しませんからね」


 暇な時間を潰すためか、立浪がそう話しかけてきた。


「何も話す気はねぇよ。だが次は必ずお前の赤っ恥を見つけて、かおりさんの評価を下げてやるからな。俺に足元救われたら終わりだと思え」

「別に今回はそんな赤っ恥はかいてないでしょ。それよりも仁科さんは、自分の魅力を磨くことを考えた方がいいんじゃないですか? かおりさんは、僕を心配してくれましたよ?」

「俺たちを心配してくれたんだ! 勘違いすんなボケ」

「ははっ、どうだか…………ありがとうございました」


 急なことで、俺はすぐに文句が出てこなかった。まさか立浪が軽くとはいえ頭を

下げるなんて、想像もしていなかったからだ。


「な、なんだよ」

「仁科さんがいなければ、俺は死んでいました。身体が動かないまま、ただ恥ずかしい啖呵だけフマンに切って、踏み潰されるところでした。だから、その……ありがとうございます」


 まっすぐ伸びた背骨。ズボンの縫い目に合わせて固まった両手。その謝罪にはほんの微かな照れと屈辱、そして純粋な感謝がこもっていた。


「っ……んまっ、まぁ何事も敵がいねぇと面白くなんねぇからな。一生恋愛できない不憫枠っていうことなら、俺の夢に関わらせてやってもいい」

「いえ、それは遠慮します。あなたこそ最後の最後でフラれる不憫枠です。あまり前に出すぎると不快なので、メリハリをきっちりつけて下さいね」


 ダメだ。やっぱりこいつは嫌いだ。ほんの少し、本当に少しだけ見直した数秒間を返して欲しい。それか人の人生を無駄にした賠償をして欲しい。数億円くらいの。


「さ、帰還しましょう」


 報告を終えたかおりさんが式場を出ていく。それにおいていかれないよう、俺たちは返事と共に早足でその背中を負った。


「あなたの『本当の夢』、叶うといいですね」

「え?」

「気にしないで下さい。望みが見えたので、口にしただけですよ」


 そう呟いた立浪の表情に含まれた、哀れみ。


 その意味を俺が知るのは、まだ先の話だ。

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