第七話:冒険者って、日雇い労働者なの? ギルドという名の職業安定所で、一回限りの仕事を斡旋してもらうシステムだし、日雇い労働者になるのか?
店の前から追い出され、俺たちは道端に座り込んでいた。
隣で、リオが呆然と何事かを呟いている。
「僕、小麦アレルギーなんだ……。父さんと母さんが作るパン、結局、一度も食べたことなかったな……」
リオは、ぽつりとそう呟いた後、何かを願うように、ぎゅっと拳を握りしめた。
「もし……もし、このアレルギーさえ治れば……父さんのパン屋、僕が継げるのにな……」
しかし、その拳はすぐに力なく開かれる。
「でも、今の僕に取り柄なんて、釣りが少しできることくらいで……。この村でできる仕事なんて、日雇い労働者くらいしか……ないんだ」
アレルギーというものに罹患した経験がない俺には、その辛さも、叶わぬ夢の重さもよくわからない。
ノーコメントを貫いた。
ただ、一つだけ気になる単語があった。日雇い労働者。
リオの言う「冒険者」のことだろうか。
世界を股にかける夢のある職業だと思っていたが。
「リオ、冒険者が日雇い労働者というのは、どういうことだ?」
俺がそう聞くと、リオは虚ろな目でこちらを見た。まるで、一足す一は二だと知らない人間を見るかのように、その黄色い瞳がまん丸になる。
「え……? 冒険者っていうのは、『ギルド』に行って依頼を受けて、それを達成したら依頼主からお金がもらえる仕事だよ。モンスター討伐とか、薬草採取とか……」
なるほど。
ギルドという名の職業安定所で、日雇いの仕事を斡旋してもらうシステムか。
確かに、日雇い労働者だ。
さっきまで「冒険者」という言葉の響きに感じていた、わずかな希望が音を立てて消えていく。
この村に日雇い労働者が多いのも、転生者から逃れてきた者たちの、これが最後のセーフティネットだからか。
……ということは。
ここにいる連中は、転生者の被害者であると同時に、その生態を最もよく知る、生きた情報源でもあるということだ。
首都『オワリノミヤコ』へ行く前に、ここで奴らの情報を収集する。実に合理的だ。
俺は妙に納得しながら、立ち上がった。
リオはまだ「働きたくないな……」「父さんたち、またすぐ新しい息子か娘をつくるのかな……」などとぶつぶつ呟いていたが、俺は彼の腕を無理やり掴んで立たせる。
「案内しろ。その『ギルド』とやらに行くぞ」
「…わかったよ」
リオは渋々、俺を案内し始めた。
服を着たことで、道行く人々の視線はもはや俺に集まらなくなっていた。ボロボロの服を着た、ただの貧乏な少年が二人。それが、今の俺たちの姿らしかった。
ギルドは、思ったよりも古びた木造の建物だった。
中に入ると、むわりと蒸れた空気が肌にまとわりつく。
酒の匂い、汗の匂い、そして長年洗い落とされていないであろう垢の匂い。
リオは思わず鼻をつまんだが、俺はこれを生命感溢れる匂いだと判断し、思い切り深呼吸して、盛大に咳き込んだ。
受付に行くと、一人の受付嬢が椅子に座っていた。目の下には、天界で会ったあの天使と同じ、深いくまがくっきりと刻まれている。時折、身体がふらついている。
俺は、この眠そうな彼女にきちんと話を聞いてもらうため、カウンターを叩き、腹の底から大声で叫んだ。
「ここで依頼を受けたいのだが!!!」
リオの肩がビクッと跳ね、酒場にいた冒険者たちの視線が一斉にこちらを向く。
受付嬢は完全に目を覚まし、クレーマー対応モードの完璧な笑顔を浮かべた。
「は、はい! お客様! どのようなご依頼を!」
「俺は無一文だ。すぐに金になる仕事がしたい。なるべく簡単で、高収入なやつがいい。あと、教師の依頼はないか?」
俺が立て続けに要求を述べると、リオが心配そうに「け、ケイ、ちょっと……!」と俺の袖を引いた。
俺はそんなリオの肩に手を置き、作戦を伝えるように低い声で囁いた。
「リオ。今から効率的に情報収集を行う。作戦開始だ」
「さ、作戦……?」
「そうだ。手分けして情報を探す。俺は受付嬢から依頼を受けると見せかけて、このギルドの内部事情や転生者の情報を引き出す。お前は――」
俺は、ギルドにいる他の冒険者たちを顎でしゃくった。
「――ここにいる冒険者、全員を担当しろ。頼んだぞ」
「ぜ、全員!? む、無理だよ、話しかけられるわけないじゃないか!」
リオが怯えて後ずさる。ふむ。どうやら、彼には会話のきっかけ(アイスブレイク)が必要らしい。
俺は、近くにいた腕が丸太のように太い冒険者たちに、にこやかに話しかけた。
「すみません。そこの青い髪の少年が、皆さんのことを『ビールに入れる氷すら買えない貧乏野郎』だと言っていました」
「「「あ゛?」」」
「え?」
これで、否が応でも彼らとコミュニケーションを取らざるを得まい。
完璧なアシストだ。
俺は受付嬢との交渉に戻った。
「さて、話の続きだが。改めて、俺の希望する仕事の条件を伝えよう」
俺はカウンターに両手の小指を立てる。
交渉事において、最も非力な指を立てることは、相手への敬意と、自らの要求が些細なものであるという謙譲の意を示す、高度なマナーだ。
「まず、魔物は倒さない。肉体労働も好かん。何かこう、知的な仕事……例えば、教師のようなものはあるか?」
「はぁ……教師、ですか……。当ギルドでは、そのような依頼は基本的には……」
受付嬢が困惑しながら答える。
「そうか。では、釣りだ。釣りの仕事ならあるかもしれないな。理想を言えば、裕福な家庭に住み込み、そこの子供の家庭教師をしながら、庭の池……いや、水溜りで釣りをする、というような仕事がいい」
受付嬢の顔から、完全に表情が消えた。
彼女は、俺の無茶な要求に困り果て、疲れきった顔で遠い目をした。
「近頃、本当に物騒ですからね……。お客様のような方ばかりで……。そういえば、この前も転生者の人が来て、その人の『スキル』で街が大変なことになって、何百人も……」
あ、そういえば俺も転生者だった。
というか、スキル? あの天使はそんなこと、一言も言っていなかったが。
「スキルとはなんだ?」
俺がそう聞くと、受付嬢の貼り付けたような笑顔が、すっと消えた。
怪訝な表情で、彼女は俺をじっと見る。
「……スキルを、ご存じないのですか? この世界では、常識ですが……」
「ああ、すまない。俺は世情に疎くてな。転生者についても、ついさっき知ったばかりなんだ」
「おかしいですね。転生者の騒ぎは、十年も前から国中で……」
まずい。言い訳をするのは嫌いなのだが。
ここで適当な嘘や言い訳を並べ立てるのは簡単だ。
だが、それでこの場をしのげたとして、一体何が残る?
残るのは、嘘をついたという事実と、自分自身への裏切りだけだ。
そんなもので自分自身からの信用を失うくらいなら、この世界で火炙りにされる方が、よほどマシだ。
仕方がない。
「ああ、そうか」
俺は、カウンターに上に土足で飛び乗った。
「俺が、転生者だが。何か?」
その瞬間、背後で、がしゃん、と鎧の崩れるような音がした。
見ると、冒険者に囲まれていたはずのリオが、白目を剥いて床に倒れていた。
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