第2話 彼の物語
『子供の頃、分校には生徒がたくさんおってな、チャボ舎や兎舎もあった。毎日お弁当を持って近隣の村から子供が集まった。
その日は、菜種梅雨が明けたばかりの暑い土曜の昼下がりだった…
朝礼台の階段で同級生のサミが何かを読んでいた。苦い顔をしてその紙切れを眺めたまま、額に汗をかいていた。オレは自転車を止めてしばらく眺めていたが、かける言葉がみつからなくて、その日はそのまま学校をあとにした。
その時サミの読んでいた紙切れは、森に住む異界の者から届いた手紙でな、人間の使う文字じゃなかった。それで、サミはその手紙が読めなくて、それから数日間。どこかに座っているかと思うと手紙を広げてチンプンカンプンな文字を眺めていたんだ。
オレはサミに何度も声を掛けようと立ち止まったが、その度に話すのを止めて通り過ぎた。
小さいころから無口なサミに憧れていたし友達になりたかった。でも、オレの方に、ある事情があってつい声を掛けるのをためらった。
オレの家はこの辺り一帯の風車を管理する家で、風車の谷にあった。風車が壊れたり、調子が悪かったりすると子供でも借り出されて高いところに登らされた。
ある夜、一晩中、雨と大風が吹き荒れた次の日、サミの家の風車ががたついて修繕に出かけた。その日初めてオレはサミと話をした。
同じクラスだからって誰でも仲が良いとは限らない。在校中一度も話をしない奴だっている。そういう駆け引きが面白くて学校に行くんだ。みんな仲良しなんてやってられっかい。
サミは一匹狼でいつも一人で行動していたから、はたから見ると気難しそうで、話しにくそうな奴に見えた、でも、そこが魅力で友達になりたいと思っていたんだ。
オレは、ほかの家に比べて少し高いサミの家の風車の修理にてこずっていた。長い梯子を上がったり降りたりするのを見かねて、サミが声を掛けてきた。嵐の通り抜けた後の太陽の照りのきつい日で、梯子につかまっているだけでダラダラと汗のでる日曜だった。
「終わったら次の仕事なんかあるか?」
神経質そうに見えるサミがのんびりと間延びした声でオレにそういった。
「この風車を直したらしまいだ。難しい仕事はまだやれんし」
「お前汗だくだ。終わったら川へ行こうな」
サミの提案はオレに勇気をくれた。ほんとに朝からきつい仕事だった。
仕事を終えて、オレとサミは、森の手前で川が左に大きく蛇行する『曲がり淵』に歓声を上げて飛び込んだ。
大きな岩がせり出す淵は、危険なほど水をたたえて碧く、深く広がっている。沸騰した頭をいっきにサーッと冷やして生き返った俺たちは、時間がたつのも忘れてはしゃぎまわった。
「お前名前は?」
「マ、マナト学校の奥の風車の谷にすんでいるんだ」
聞かれもしない事まで説明して、しまったと思った。
「俺、サミ、家は漁師なんだ。親父は太くていかい魚を取らせたら村一さ」
サミは得意そうに川をめがけて小さな石を投げた。岩に弾かれて二つに割れた石は、深い淵に吸い込まれるように落ちた。岩の間に仕掛けをしたり、籠を沈めたり季節に合わせたいろんな漁法で魚を取るんだと。代々家業を継ぐのが習わしのこの村では、親の仕事を見習って子供の頃から漁に出たり、畑に出たりする。
オレは、風車屋だから日頃から、どこの家の風車も調子よく回っているか眺める癖がついている。子供のくせにどいつも専門家ぶって、自分の家の仕事にはうるさかった。
いろいろ一通り話すとお互い自慢する事も無くなって黙り込んだ。
すると、思い出したように立ち上がったサミがズボンのポケットに手を突っ込んであの紙切れを取り出した。
「これ」
その紙切れをオレに渡すと困った顔でサミが言った。
「跨ぎ橋のそばにきれいな水の沸くところがあってな、そこでしか取れない魚が掛かるんだ。オレは食った事はないけど市場に持っていくと高く買ってくれる人がいるんで、内緒で仕掛けをして、小遣い稼ぎするんだ。
この前、いつものように出かけてみると、こんなふうな手紙が罠に結わえてあった」
それは、『パラムスクリプト』といって、跨ぎ橋の向こうの異界の文字だった。
それを言うべきか言わざるべきかオレは悩んだ。そんな事を知っているとわかったらせっかく良い気分で仲良くなれたのに、変に思われるかもしれない。
しかし、その手紙の事でズッと悩んでいたらしいサミを知っていた。
「この字見たことがある。たしか家にこんな文字の本があったような気がする」
そう言ったオレの顔をしばらく呆然と眺めたサミは座りなおして頭を下げた。
「その本、一度見せてくれ。この手紙なんとかして読みたいんだ」
オレとサミはそんな風に、大嵐の次の日、突然友達になった。
次の日学校が終わると、オレは自分の家と違う方向に曲がり、サミの横を歩いた。
見上げると、若葉がいっせいに生い茂るこの森は、オレたちの村でどこよりも早く花が咲く美しい森。
サミの家は、曲がり淵を左に折れ、川伝いに歩いた花森の入り口の大きな水車のある家。川に覆いかぶさるように不安定に立つ崩れそうな家だった。道をそれて下草を踏みながら近づくと、積もった落ち葉の下に枯れ枝が重なってバキバキと乾いた音を立てた。
「こっちこっち!」
サミに言われるまま、ぐるっと庭を周り、かたむいた小さな梯子のある窓から、サミは忍び込むように家の中へ飛び込んだ。
「玄関から回ると面倒なんだ。成績なんか気にしていないくせに、勉強しろとか言われる。あれ癖だよ。どうせ期待してないんだからガミガミ言うことないんだ。まったく勘弁してほしいよ」
と、いかにもどこにでもありそうな母親の愚痴を言った。
俺は笑って答えながら、五段の梯子を一つ一つ上がって窓に手をかけた。
薄暗いサミの部屋は、釣竿や疑似餌が方々に散らばって、ベッドの上だけがかろうじて落ち着ける場所だった。これもコレクションだというランタンが、無造作に釘を打ちつけた梁にいくつか並んで掛けられている。
風の力で電気が使えるようになっても、粉引きの家や藁打ちの家は水車を使った。水車の回る音や、粉を打つ杵のきしむ音がどこからとも無く聞こえてくる暮らしを、村人は気に入っていた。
自然の力とともに生きる素朴な村人は、案外便利になるのを嫌っていたような気がする。静かにともるローソクの灯を好む家も多く、ランタンはいまだに重宝されていた。
電気の行き届いた新しい村の家では、時折使われなくなったランタンが捨てられている。それを見つけて、こうやって集めているとサミは話した。
いかにも、勉強が嫌いなサミの部屋らしく本が見あたらない。松ボックリやローソクの欠片が突っ込まれた箱と鳥の羽が入った引き出しが積み上げられ、ブリキを切るハサミやハンダゴテが机の上にころがっていた。
「これ?」
「ああ、それは今研究中の風見鶏。羽を拾って歩くと時々森で鳥に出会うんだ。それをヒントに作ってみたんだが、形に懲りすぎて、まだ完成は先だな」
「これ、雉だよ。上手いもんだな。風見鶏には重い気もするけど」
手にとるとずしりと重い風見鶏。サミのブリキ制作はなかなかのものだった。形も奇抜で、左右大きさの違うフォークの形をした羽や、大きくて光るボタンのような目が付いていた。サミはろうそくの灯で回る灯篭も見せてくれた。日頃勉強しろとうるさい母親もこの回り灯篭には感心したらしい。
部屋に篭ってあれこれ工夫するサミの姿は、学校では想像できるはずもなかった。体格のいいサミがこの部屋で背中を丸めて、動けば周りのものに引っかかりながらコツコツ物を作っているなんて、誰も本気にはしないだろう。
風車の修理以外には本を読むことしかやる事のないオレは、サミの部屋のガラクタが宝物のように輝いて静かに何かを語りかけてくるように思えた。
サミは計画を立ててから作り始めるというよりは、やりながら改良を加えて物を作るタイプのようだった。はたから見ると大雑把でいいかげんな気がするが、反面緻密で神経質なところもあった。それがかもし出すアンバランスな雰囲気が、近寄りがたい緊張を感じさせるんだ。という事が部屋のあちこちから伝わってきた。
オレは益々サミが好きになりそうで戸惑った。人を好きになるのは一番苦手だったし、サミと自分との距離が縮むのはまずい気がした。考えすぎてサミよりオレの方が無口になっていた。鈍く誤魔化す反応を見抜かれやしないかとヒヤヒヤしながら、サミの部屋に酔っていた。
「これ前に見せた手紙の本物」
そう言ってサミから渡された例の手紙は、厚みのあるコウゾ紙を無造作に巻いて真ん中をあけびの蔦で縛った驚くほど時代がかったもので、目の覚める青い鳥の羽飾りがついていた。
「ポケットに突っ込んでいたのはオレが写した物なんだ。本物はちょっと違うよな。風格があるって言うか、堂々としたもんだろ。開けてくれ!お前の言ったパラムスクリプトかどうか確かめて欲しいんだ」
子供の頃、迷い込んだあの世界が封印された手紙。開けるまでも無く、手紙の表に刻まれた金色の文字。それは、疑う余地も無い。異界の文字『パラムスクリプト』だった。』
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