第3話

――三智桜歌


 授業が終わって休み時間。

 普通なら転校生の宿命であるクラスメートに囲まれての質問タイムが始まるところだが、今日は私達のところに近づいてくるクラスメートはいない。

 原因は朝の自己紹介で、慧人さんのお父さんが先日亡くなったことを皆の前で話したからだろう。

 父親の死という非常にセンシティブな問題を抱えてたクラスメートに地雷を踏むのを恐れず話しかけに行く勇者はこのクラスにはいない。

 ただ一人の例外を除いて。


「桜歌が、ニビルに行ったのって、忌引きだけが理由じゃなかったのね」


 今朝、私がニビルに行った理由を教えたアサミンが、私の目の前で仁王立ちになって口を開いた。


「亜沙美さんも驚いたみたいですね。意外かもしれませんが、日本の法律では亡くなった方の血縁者は、未成年の遺族の親権を優先的に取得する権利があるんです」


 そう、あくまで権利だ。

 義務じゃない。

 親が亡くなった子供の養育を誰がやるかで親族をたらい回しにされるという話は、よく物語のフックとして使われる。

 しかし、世の中には亡くなった兄弟の忘れ形見を他人に渡したくないと思う人も少なくない。

 少なくとも私のお母さんは後者だった。


「お母さん『慧人君は私が引き取って日本で育てますッ!』と言って譲らなかったんですよ」


 実のところ、慧人さんは怜央おじさんが亡くなった後もウルクで暮らすつもりだったが、お母さんの熱心な説得に折れて仕方なく日本に来てくれた。


「桜理さん、すごかったからなあ。俺も含めて関係者全員、言い負かされちまったよ」

「そりゃ、桜理さんは弁護士だもん。レスバして勝てる人いないわよ」


 アサミンの言う通り、私のお母さん、三智桜理の職業は弁護士だ。

 職務上、毎日のように裁判という名の口喧嘩をしているので、普通の人がお母さんに口論で勝つのは難しい。

 そのお母さんが、慧人さんの親権を取り、日本で養育するために全力で関係者を説得して回ったので、彼は私の弟として日本の中学校に通うことになった。


「慧人さんは、日本のこと全然わからなくて不安も多いと思いますが、心配はいらないです。お母さんは慧人さんのこと大好きなので」

「そうなのか? 桜理さんが好きなのは俺じゃなくて、オヤジの方だろ」

「なおさらですよ。お母さんが、怜央おじさんのことが大好きなら。おじさんの忘れ形見である慧人さんに冷たくするはずありません」


 私は慧人さんを安心させるためにニコリと笑いかかけると、彼はあきれたようにため息を吐いた。


「薄々感じていたけど、慧人君って気味が悪いくらい元気ね。普通、親が死んだらもっと落ち込むものじゃない?」


 親が死んだばかりなのにケロッとした顔で学校に来ている慧人さんにアサミンはいぶかしげな視線を向ける。


「日本人は落ち込むのが普通なのかもしれなけど、俺は大丈夫だ。関谷さんも変に気を使わなくてもいいぞ」

「その態度が返って不安なのよ。桜歌、大丈夫なの? その……慧人君と一緒に住むの」

「特に問題はないですよ。例えば野球部の人達と一緒に暮らせって言われたら、私も怖いからイヤだって言うと思います。でも、慧人さんは野球部の人達とは違う人種なので」


 環境が人を作るとはよく言ったもので、慧人さんは私達の周りにいる男子生徒に比べて、真面目だし落ち着いている。

 ニビルの厳しい環境で生きていくために精神的に成熟する必要があったのだろう。


「でも、さっき言ってたじゃない、本当は弟じゃなくて『いとこ』だって。いとこってことは……」

「その気になれば結婚できますね」

『ッ!』


 結婚の一言はインパクトが強かったようで、慧人さんと、アサミンは、驚きのあまり口を半開きにして目を白黒させている。


「桜歌ッ! 慧人君の前でハッキリ言わないでよ!?」

「でも、亜沙美さんが聞きたいのって、そういう話ですよね? 若い男女が同じ屋根の下、何も起こらぬわけもなく」


 私と慧人さんみたいに、偶然一緒に住むことになった男女が恋仲になるのはラブコメ作品のお約束だ。

 そして自分の置かれた状況を客観視すると、私はラブコメ作品のヒロイン的存在になっている。


「桜歌、あんたまさか!?」

「なにを心配してるかわかりませんが、いまのところ慧人さんと結婚する予定はありませんよ。もちろん恋人同士でもないです」

「慧人君の様子を見るにウソじゃなさそうね」


 アサミンの視線を追って慧人さんの顔を見ると、彼は私達の話について行けずに言葉を失っている。


「この先、私が慧人さんのことを好きになったら本当に結婚するかもしれないし、逆に彼との生活がイヤになって私が家を出ていくかもしれません。先のことなんてわかりませんよ」


 そう、先のことは判らない。

 未来を見通せる存在なんて、神様とラプラスの悪魔だけだ。



 ――三智慧人


 時間は午後3時。

 6時間目の授業が終わり、俺の転校初日は最終フェーズを迎えていた。

 与えられた任務は担当区域――今日は自分達が勉強した教室の清掃だ。


「教室清掃ってダルイよな。慧人は前の学校だとどうだった? 海外から見たら、いまどき生徒にホウキとモップで掃除させる時代遅れのシステムなんてありえないだろ」


 邪魔にならないよう一緒に机と椅子を教室の後ろに異動させていた男子が軽口を叩く。

 俺は授業内容が全くわからなかったので、ようやく自分に出来ることがあってホッとしていたのだが、隣の男子は教室の掃除をすることに不満があるようだ。


「海外っていうのがどこの国か知らないけど。少なくとも俺の前居たところは、自分で使った設備は自分で掃除するのが当たり前だったな」


 俺の見立てではこうやって生徒に教室の掃除をやらせるのは訓練の一環だと思う。

 設備の清掃や身の回りの整理整頓をできるようにする。

 地味だが自分の命を守るためにとても重要なことだ。

 俺は実際に見たことはないが、戦闘や工務中に、周囲にゴミが散乱していたり、持ち物の整理整頓が甘かったりが原因で命を落とした話はいくらでも転がっている。

 清掃は特に難しいことは要求されない。

 ほうきで床のホコリを掃き集めて、モップで拭き掃除、同時に雑巾で窓枠にたまったホコリを拭き取っていく。


「慧人さん、なにやってるんですか?」

「窓枠の拭き残しがないか確認してる。掃除が甘くて連帯責任で女子まで腕立てやらされるのは、かわいそうだからな」


 そう告げると、桜歌は目をつぶって人差し指をこめかみに当てた。


「あの……この学校では掃除が甘かったからと言って、罰として走らされたり、腕立て伏せを命じられたりすることは無いですよ」

「そうなのか? てっきり、今から藤村教官が掃除の出来をチェックしに来ると思っていたんだが」

「慧人さん、藤村さんは、教官じゃなくて先生なので藤村先生と呼んでください。あと、藤村先生は忙しいので掃除ちゃんとやってるかチェックなんてしないです」


 衝撃の事実を聞かされて俺が唖然としていると、先ほど一緒に机を片付けた男子が声をかけてくる。


「お前の前居た学校ヤバイな。手抜き掃除したら連帯責任で腕立てやらされるのか?」

「ああ、3年前にいた教育隊では、よく手抜き掃除がばれてオヤジに腕立てとヒンズースクワットやらされた」


 あの頃は見下ろしてくるオヤジの顔が憎たらしかったが、今ではいい教訓として自分に刻まれている。


「けっ、慧人さんが前居た学校は、すごく特殊なところだったんですよ」


 理由は判らないが、桜歌は愛想笑い浮かべて男子がこれ以上質問しないよう掃除道具を片付けるよう提案する。

 掃除道具の片付けが終わると、残る作業はゴミ捨てだけとなった。

 ゴミを一通り押し込んだゴミ袋を校舎の隅のゴミ捨て場に捨てに行くらしい。


「誰がゴミ捨てに行くかはジャンケンで決めるか」

「いいですよ。多分、それが一番公平だと思います」


 男子の提案でジャンケンをするために教室掃除を担当した仲間達が輪を作る。

 それを遮るように俺は手をあげた。


「ゴミ捨ては俺が行くよ。みんなには今日一日世話になったし、いい機会だからゴミ捨て場がどこにあるのか直接見にいきたい」

「いいのか。サンキュー転校生」

「気にするな。さっきも言ったが、この学校のどこに何があるか早めに見ておきたいんだ」


 男子にゴミ袋を渡されると俺は快くそれを受け取る。


「自分から申し出るのは構いませんが、慧人さん、ゴミ捨て場の場所わかるんですか?」

「校舎の入り口を出て右手の壁際にあるんだろ」


 俺は藤村先生に渡された校舎の見取り図を頭に浮かべて、ゴミ捨て場の場所について桜歌に答える。


「合ってますね。なら、ゴミ捨てはお任せします。私は教室で待っているので、ちゃんと戻ってきてくださいね」

「あいよ」

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