第2話

翠色の瞳が、俺をまっすぐに見つめていた。

その瞳には、恐怖ではなく、純粋な驚きと……少しの期待が宿っているように見えた。


「あ、あの……ありがとうございます。助けていただいて……」


少女は、完全に癒えた自らの足と俺の顔を交互に見ながら、たどたどしく礼を言った。


「気にするな。困っているようだったから」

「でも……すごいです。あんなに強力な呪いを、一瞬で……。あなたは、高位の神官様か何かですか?」

「いや、ただの治癒師だ」


俺は曖昧に笑って答える。

まさか、呪いを祝福に『反転』させただけだとは言えない。


「俺はレイト。レイト・アシュフォードだ。君は?」

「私はシルフィと申します。森エルフのシルフィです」


彼女はシルフィと名乗った。その顔にはまだ、疲労の色が濃い。


「こんな森の奥で一人なんて、危ないだろう」

「……どうしても、探さないといけない薬草があったんです。でも、その薬草の周りには強力な魔物がいて……」

「そうだったのか」


詳しい事情は聞かなかった。人にはそれぞれ、危険を冒してでも手に入れたいものがある。


「ひとまず、ここから一番近いケイル村まで行こうと思うんだが、一緒に行くか? 君も休む場所が必要だろう」

「! はい! ぜひ!」


シルフィは、花が咲くように笑った。

その笑顔は、俺がパーティにいた頃には、一度も向けられたことのない種類の顔だった。




二人で森を抜け、小高い丘を越えると、ようやく目指していた村が見えてきた。

ケイル村。

辺境の、寂れた小さな村だ。


畑は痩せ、家々は古びている。道行く人々の顔にも活気がなかった。

俺たちが村に入ると、村人たちは訝しげな視線を向けてくる。特に、美しい銀髪を持つエルフのシルフィには、物珍しさと少しの警戒が入り混じった視線が突き刺さった。


「……なんだか、村全体の元気がないみたいですね」

「ああ。何か問題でも抱えているのかもしれないな」


俺たちはひとまず、村の集会所を兼ねた村長の家を訪ねることにした。

事情を話し、村に滞在させてもらえないか交渉するためだ。


扉を叩くと、中から出てきたのは、深く皺の刻まれた顔をした老人だった。彼がこの村の村長らしい。


「旅の方か。すまんが、今のこの村には、旅人をもてなす余裕はなくてな……」


村長はひどく疲れた声で言った。

彼の背後、家の中から苦しそうな咳の音が聞こえる。


「村の皆さんの顔色も優れないようですが、何かあったんですか?」

「……実は、ひと月ほど前から、村の井戸水がおかしくなってしまったんじゃ。水を飲んだ者が次々と原因不明の病に倒れておって……」

「井戸水が?」

「ああ。今では村の半分が病床に伏しておる。わしの孫も……」


村長は言葉を詰まらせた。

これは、思った以上に深刻な状況らしい。


俺はシルフィと顔を見合わせ、一つの決意を固めた。


「村長さん。もしよければ、その井戸を俺に見せてもらえませんか? 俺は治癒師です。何か力になれるかもしれません」

「なに……? 君が、治癒師?」


村長は疑わしげに俺を見た。

無理もない。こんな若い、何の身分証も持たない男の言葉を、簡単に信じられるはずがない。


「レイトさんの力は本物です! 私はこの方に、足の呪いを解いてもらいました!」

シルフィが必死に俺を弁護してくれる。


村長はしばらく俺たちを値踏みするように見ていたが、やがて藁にもすがる思いで頷いた。

「……わかった。ついてきてくれ」




案内されたのは、村の中央にある古い石造りの井戸だった。

見た目は普通の井戸だが、俺にはわかる。

井戸の底から、微弱だが禍々しい瘴気が立ち上っている。


これは、ただの水質汚染じゃない。

魔物か何かの影響で、水そのものに『衰弱』の呪いがかかっているんだ。


「村長さん。この井戸は、俺が浄化します」

「な、何を言っておるんじゃ。神殿の神官様でも匙を投げたというのに……」

「ええ、まあ。俺のやり方は、神殿とは少し違うので」


俺はそう言うと、井戸の縁に手を置いた。

そして、意識を集中させ、俺のスキルを発動させる。


【状態異常反転】


俺のスキルは、対象が持つ『状態』そのものに干渉する。

今、この井戸水が持つ状態は、『衰弱の呪い』。

これを、反転させる。つまり……『生命活性の祝福』に!


俺の手のひらから、淡い光が井戸の中へと流れ込んでいく。

禍々しかった瘴気は一瞬でかき消え、代わりに、澄み切った清浄な気配が満ちてきた。


「……なっ!?」


村長が息を呑むのがわかった。

井戸水は、見た目こそ変わらない。だが、その水が持つ『意味』が根本から変わったのだ。

今のこの水は、下手な聖水よりもよほど強力な回復効果を持つ。


「……終わりました。たぶん、もう大丈夫です」

「こ、これで終わりじゃと……? いったい、何を……」

「ちょっとした浄化魔法ですよ。さあ、この水を病気の方々に」


俺は桶で水を汲み上げ、村長に手渡した。

彼は半信半疑のまま、その水を家へと運んでいく。


数分後。

家の中から、驚きの声が上がった。


「じいちゃん! 体が……体が軽いよ!」

「おお……! 熱が引いていく……!」


次々と病人が起き上がり、その回復ぶりに村中が騒然となる。

村人たちが井戸の周りに集まり、俺とシルフィを遠巻きに、信じられないものを見るような目で見つめていた。


やがて、村長が涙を流しながら俺の前にやってきて、その場に膝から崩れ落ちた。


「ありがとうございます……! あなた様は、我々の村の救い主じゃ!」



その日を境に、俺とシルフィは、ケイル村の英雄として迎え入れられた。

村長は空き家だった一番大きな家を俺たちに提供してくれ、食料から何から、村人たちが競うように差し入れてくれる。


生まれて初めてだった。

自分の力が、誰かに感謝され、受け入れられたのは。


夜、家の暖炉の前でシルフィが淹れてくれたハーブティーを飲みながら、俺は静かに思う。

あのパーティを追放されて、本当によかったのかもしれない、と。


穏やかな時間が、そこには流れていた。


その頃――とあるダンジョン深部


「ぐっ……! なぜだ! なぜこんな低級のミノタウロスごときに苦戦する!?」


勇者アルドは、肩で息をしながら叫んだ。

彼の剣は、以前のような輝きを失っている。


「アルド様! 回復が追いつきません!」

聖女エリアの悲鳴が響く。


「ちっ、動きが鈍いんだよ! それに、敵の攻撃がやけに的確になったような……」


重戦士ダインの盾には、無数のひびが入っていた。

そう、レイトを追放してから、何もかもがおかしかった。


敵は以前より明らかに手強くなり、こちらの攻撃はなぜか急所を外す。

仲間たちの疲労は抜けず、ポーションの効果も薄い。


彼らはまだ、その理由に気づいていなかった。

自分たちの強さを根底から支えていた『幸運』の正体が、追放したあの『無能な治癒師』だったということに。

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