第25話「流動の盾、精霊の歌」
【ケイ・視点】
岩壁に囲まれた、だだっ広い修練場。
その中心で、私は静かに目を閉じていた。
私の周囲には、半径5メートルほどの円を描くように、10個の切り株が置かれている。
そして、その一つ一つの上には、なんとも気の抜けた顔をした、滑稽な狸の陶器がちょこんと鎮座していた。
「――ほれ、いくぞ」
正面の岩の上から、師であるギデオン殿の、老いてなお鋭い声が響く。
「ワシがこれから投げる無数の石礫。その雨の中から、あの狸っ子たちを一体たりとも傷つけずに守り抜け。掠り傷一つでも、お前の負けじゃ」
悪趣味ではあるが、これこそが、私が次の段階へ進むための試金石。
(以前の私であれば、ただ狸の前に立ち、衝撃に耐えることしか考えなかっただろう)
だが、今は違う。
ギデオン殿は教えてくれた。本当の「守り」とは、ただ硬いだけでは務まらない、と。
柳のように、受け流してこそ、仲間を包む最大の壁となれるのだ、と。
私は、見ない。
ただ、感じる。
空気の流れ、風の囁き、そして、飛来する全ての石礫が放つ**「殺意の流れ」**を。
声と同時、ギデオン殿の手から放たれた数十の石礫が、空気を切り裂き牙を剥いた。
直撃だけではない。岩壁に一度反射させ、死角から回り込んでくる、意地の悪い軌道のものまである。
(だが、全て視えている)
最初に狸の目前に迫った一撃を、私は左手の小さな盾(バックラー)の縁で弾いた。
衝撃を殺すのではない。受け流すのだ。
まるで、川のせせらぎが、そこに横たわる小石を自然に避けていくように。
続く石の豪雨。
私は、守るべき円の中心から大きく動くことはない。
全身の動きから一切の『無駄』を排し、盾を、そして自らの体を、あたかも奔流の一部であるかのように、柔らかく、滑らかに動かす。
盾に当たった石は、激しい音を立てるのではなく、つるり、と表面を滑り、軌道を変えてあらぬ方向へと弾かれ、力なく地面に転がった。
“不動の盾”と呼ばれた私の戦い方は、守るべきもののために、ただ耐え、歯を食いしばって立ち続けることだった。
だが、アーサーの発想が、固定観念を壊す「静」なら。
私の盾は、あらゆる攻撃を無力化する**「流」**。
「流動の盾(フローティング・シールド)」。
これこそが、私がたどり着いた答えだ。
その時、二つの石が、左右から、寸分違わぬタイミングで、別々の狸を狙った。
盾では、片方しか守れない。
(――ここだ!)
私は咄嗟に、右側の石を盾で受け流した。
だが、ただ逸らすのではない。その石の軌道を、精密にコントロールする。
受け流された石は、まるで私の意志を持ったかのように、左から来ていたもう一つの石に横から激突した。
カキン! と、乾いた音が響く。
二つの石は互いに軌道を殺し合い、力なく地面へと落下した。
やがて、石の雨が止む。
静寂が、戻った。
10体の狸は、一体も欠けることなく、のんきな顔でそこに鎮座している。
「……ふぉっふぉっふぉ。見事じゃ」
岩の上から、ギデオン殿が、満足げに頷くのが見えた。
「どうやら、『流』の理は、完全に掴んだようじゃの」
私が安堵の息をつく間もなく、彼は続けた。
その瞳は、先ほどまでの飄々としたものではなく、真の師としての、厳しい光を宿していた。
「だが、勘違いするでないぞ、ケイ。それは、あくまで**『基礎』**ができたに過ぎん」
「……基礎、ですか?」
「うむ。お主のユニークスキル【絶対防御】。あれは、ただの防御スキルではない。
お主の魂そのものを、守りの概念へと昇華させる、究極の御業じゃ。今のままでは、宝の持ち腐れよ」
ギデオン殿は、岩の上からひらりと飛び降りると、私の目の前に立った。
「これまでは、ただ耐えるだけの『不動』の絶対防御じゃった。
だが、今の『流』を会得したお主なら、次の段階へ進める」
彼は、ニヤリと、子供のような笑みを浮かべた。
「本当の地獄は、ここからじゃぞ。ケイ・ランカスター」
私は静かに一礼すると、心の中で、燃え上がるような決意を新たにした。
(アーサー。君の隣に立つには、まだ力が足りないようだ。
だが、必ず、この試練も乗り越えてみせる)
◇
【エレイン・視点】
ガラス張りの庭園は、春の陽光に満ちていました。
ですが、わたしの心はまだ、晴れ渡ってはくれません。
「……また……」
わたしの不安に呼応するように、足元の草花が、一瞬だけ、勢いを失って萎れます。
穏やかだった風が、わたしの周りだけ、荒ぶるように渦を巻く。
その気配に怯えるように、先ほどまで楽しそうに飛び回っていた光の粒子――精霊たちが、少し遠巻きにわたしを見つめていました。
「焦ることはありませんよ、エレイン」
わたしの目の前で、師であるセラフィナ様が、優雅に微笑みます。
「あなたの心と、その身に余る強大な力が、まだ少し、喧嘩をしているだけです」
彼女は、テーブルの上に置かれた、一つの小さな鉢植えを、指差しました。
そこには、今にも枯れ果てそうな、一輪の花が、力なくうなだれています。
「今日の修行は、これです」
セラフィナ様は、真剣な眼差しで、わたしを見つめました。
「この花を、咲かせてごらんなさい。あなたの力で無理やりではなく、精霊たちに『お願い』して、生命力を分けてもらうのです。
彼らが、あなたのことを本当に信じてくれなければ、この花は決して咲きません」
あまりにも、難しい課題でした。
わたしは、言われた通り、枯れかけた花に手をかざします。
(お願い……この花を……!)
ですが、焦りと、「うまくやらなければ」というプレッシャーが、心の『嵐』を再燃させます。
びゅう、と突風が庭園の木々を揺らし、精霊たちはさらに後ずさり、花は、さらに弱々しく萎れてしまいました。
「どうして……やはり、わたしには……」
わたしが、自信を失い、うつむいた、その時でした。
セラフィナ様は、わたしの隣に立つと、静かに、しかし、力強い声で語りかけました。
「エレイン。あなたの力は呪いではありません。それは、忘れられて久しい、ある高貴な血筋から受け継いだ、世界と対話するための、あまりにも優しい『祝福』なのです」
「祝福……?」
「ええ。恐れることはありません。嵐ごと、あなた自身を受け入れなさい。
精霊たちは、荒れ狂うあなたではなく、その嵐の奥で泣いている、本当のあなたと、友達になりたいのですよ」
その言葉が、わたしの心の最後の壁を、優しく溶かしてくれました。
そうだ。わたしは、ずっと、この力を怖がっていた。嫌っていた。
でも、この力も、わたしの一部。
弱くて、すぐに不安になる、この嵐も。
わたしは、力を制御しようとするのを、やめました。
ただ、ありのままの心で、精霊たちに語りかけます。
わたしの弱さも、怖さも、全てをさらけ出して。
(お願い。わたしは、強くない。でも、この花を、助けてあげたいの)
その瞬間、わたしの周りを渦巻いていた嵐が、嘘のように、ぴたりと止みました。
そして、穏やかで、温かい光が、わたしを包み込みます。
遠巻きに見ていた精霊たちが、まるで、ずっと待っていたとでも言うように、一斉にわたしへと集ってきました。
そして、その小さな体から、慈しむような、優しい光を、枯れた花へと、注ぎ込んでいく。
光の粒子が、花に降り注ぐたび、奇跡が起こりました。
萎れていた茎が、ゆっくりと顔を上げ、固く閉じていた蕾が、一枚、また一枚と、ほころんでいく。
そして、ついに。
これまで見たこともないほど、力強く、美しい、大輪の花が、庭園の光を一身に浴びて、咲き誇ったのです。
その神々しい光景に、わたしは、涙が溢れて止まりませんでした。
それは、もう、悲しみの涙ではありません。
「セラフィナ様。わたし、もう大丈夫です」
わたしのその言葉に、セラフィナ様は、我がことのように嬉しそうに微笑みました。
「ええ。今のあなたなら、きっと、彼の本当の力になれるでしょう。
……そして、いつの日か、この世界の精霊たちを統べる、偉大なる『王』の、声さえも、聞くことができるかもしれませんね」
わたしは、窓の外に広がる青い空を見上げました。
アーサー、ケイ。
わたしも、やっと、二人の隣に立つための、本当の力を手に入れました。
もう、守られるだけじゃない。
今度は、わたしが二人を守る番です。
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必要ならタイトル・あらすじ・サブタイトルも整えます。
次話も整形しますので、用意できたら貼ってください!
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