『16barsの鼓動』第一章(改定完全版)

春の夕暮れ。町田総合高校の教室は、帰宅する生徒たちの声で騒がしかった。

 そのざわめきの中で、姫咲ことねは窓際に一人、ノートを開いていた。


 ページには、びっしりと言葉が書き込まれている。

 詩でも作文でもない。感情をそのままぶつけた、殴り書き。

 誰にも見せられない、彼女の生存証明だった。


「……また書いてる」

 机に身を乗り出してきたのは、幼馴染の結城彩葉。

 明るい笑顔でクラスでも人気者。ことねとは正反対の存在だ。


「ことねって、ほんと頑固だよね。声にすればいいのに」

「声にしたら……笑われる」

「笑わせとけばいいじゃん! 大事なのは“伝えること”でしょ?」


 彩葉の軽い言葉が、ことねの胸をちくりと刺す。

 言いたいことはある。けど、怖い。

 心の奥の言葉を声にするなんて、まだ。


 放課後、ことねは一人で帰路についた。

 町田駅前の広場に出ると、人だかりの中心から低音が響いてくる。

 思わず足が止まった。


 ――ラップ。

 鋭い言葉がビートに乗り、観客を揺らしていた。

 マイクを握るのは女性ラッパー、MC REINA。


 観客の叫び声。拳の波。

 ことねはただ立ち尽くし、その熱に心を奪われた。


「すごい……」

 無意識に言葉が漏れる。


「だろー? 青春は音に宿るんだよ」

 横から割り込んだのは、麦わら帽子にアロハシャツのおじさん――根津猫丸だった。

 その足元には巨大な黒ラブ、べす。

 そしてなぜか隣に、若いのか年増なのか分からない謎の女性――星野みのた。


「おじさん適当に言ってるだけだから」

「おばちゃんも適当に言ってるだけだよ」

 二人がそろって肩をすくめる。


 その瞬間、べすがことねの顔に「べろりんちょ」。

「きゃっ!? ちょ、やめっ……!」

 慌てることねを見て、彩葉は吹き出した。

「ほら、ことね。べすにまで好かれてるんだから!」


「……顔ベタベタなんですけど」

 真っ赤になってノートで顔を拭くことね。

 その様子を見て、猫丸はにやりと笑った。


「粗さを恐れるなよ。そこにしか、お前の色は出ねぇんだから」


 意味がわからない。

 でも、その言葉がなぜか胸に引っかかった。

 ことねの中で、何かがじわじわと熱を帯びていく。

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