第5話:溶剤(リソース)の壁と最初の敗北

 ーー 購買部への潜入 ーー


 特別奉仕班の班長室で、遠野拓は私に最後の指示を与えた。


「いいか、橘華恋。白鷺優衣の『社交術A+』は、あんたの『カリスマS+』とは種類が違う。優位に立とうとするな。目的は溶剤だけだ。絶対に優衣の『本性』を引き出そうとするな。あんたの音声は優衣に届かない。RCが全て遮断する。そのことを忘れるな」


「え? 届かないの? 私が話しかけても、優衣には『ノイズ音』しか聞こえないってこと?」


「そうだ。GとAの間には2ランク以上の壁がある。あんたの声は、優衣のRCによって『無意味な電子音』として処理される。優衣はあんたを『完全に無害なゴミ』と見なしている。あんたは『言葉』ではなく、『演技』と『動作』だけで意思を伝えろ。優衣はあんたのRCの『くすんだ灰色の光』と『口の動き』を見て、あんたの意図を推測する。その推測を誘導しろ」


「分かったわよ。口パクと涙で、『泣き虫なポンコツ』の役ってワケね」


 私は、Gランクの制服にさらに煤をつけ、疲労困憊の演技を施した。


 ーー 華恋の演技と優衣の観察 ーー


 私は、遠野に教わったGランク生徒が取るべき最も弱々しい姿勢で、優衣のオフィスの前まで歩み寄った。


 優衣は、私を見て、露骨に驚愕の表情を見せたが、すぐにそれを『憐れみ』の表情へと切り替えた。


 優衣は、取り巻きたちと顔を見合わせ、小さな笑いを交わした。彼女のRCは、私が話しかけようとするたびに、微細なノイズを出し、私の声を遮断しているのが分かった。


「まあ、華恋ちゃん? あなた、どうしてこんなところに……?」


 声を震わせ、瞳を潤ませる演技をした。


「あの……優衣さん、お願いがあります……!」


 私の声は、優衣のRCに到達する前に『ノイズ音』に変わり、かき消されているはず。優衣は、私の『口の動き』と『涙』を観察し、状況を判断している。


 優衣は「清掃なんて、あなたには無理よ」と私を憐れんだ後、『特殊溶剤』の存在を切り出されるのを待った。


 私は、遠野から教わった言葉を、口パクと身振りで必死に伝えた。


「それで、班長さんに聞いたら、購買部に、サビを溶かすための『アブソープション・リキッド』という特殊な溶剤があるって。私、これを少し分けていただけないかしら?」


 優衣は、一瞬、目が細くなった。彼女の『知力A+』が、私の『口の動き』から「アブソープション・リキッド」というキーワードを読み取ったのだ。


 ーー  社交術A+のカウンター ーー


 優衣の口調は、あくまでも親切で優しい『社交術A+』のそれだった。しかし、その裏側で、彼女は私の要求の論理的な欠陥を見抜こうとしていた。


「どうして『サビ取り』に、RCチップの『高周波洗浄』に使うような、特殊な溶剤が必要なのかしら、華恋ちゃん?」


 優衣は、口の動きだけで、Sランクの機密情報を当然のように知っていることを私に突きつけた。


(しまった!この溶剤の用途を知っているなんて、聞いてないわ!)


 私は動揺し、口パクの演技が完全に崩れた。私の目線が泳ぎ、RCのくすんだ灰色の光が、不安を反射して揺らぐ。


 優衣は、私の動揺を一瞬も見逃さなかった。


「まさか……あなた、まだ『何か企んでいる』んじゃないでしょうね? 橘さん」


 優衣は、私の耳元に近づき、銀色のRCの光で私の灰色のRCを完全に威圧しながら、囁いた。その声は、RCの遮断範囲外の極めて近い距離だったため、微かに冷たい囁きとなって私の耳に届いた。


「あなたを陥れたのは私かもしれないけど、二度目のチャンスは、システムも私も与えないわ。あなたの『計画』は、ここで終わりよ」


 この生の囁きが、華恋の心に直接刺さった。


 ーー 遠野からの冷徹な通信 ーー


 華恋は、追い詰められ、半ばパニック状態で購買部を後にした。当然、溶剤は手に入らなかった。


 特別奉仕班の班長室に戻ると、遠野拓は既にノートPCを閉じ、壁にもたれて腕を組んでいた。


「失敗か」


 拓は、確認を求めたわけではない。それは、論理的な結論を述べただけだった。


「優衣に、優衣に全部バレたわ!あの女、溶剤の用途まで知っていたのよ!どうするのよ、遠野拓!私のカリスマが通用しないなんて……!」


 華恋は、彼のデスクを叩き、怒りと焦燥をぶつけた。


 拓は、その乱れた感情をすべて無視した。


「当然だ。優衣はAランク、策略A+。あんたを陥れた人間が、あんたの『反撃ルート』の鍵となる資源を、無防備に管理しているはずがない。俺の知力S+が、優衣の『警戒レベル』を読み違えていた」


「あんたの『知力C』では、俺が与えた表面的な情報(特殊溶剤)の背景(RCチップ洗浄)を理解できなかった。そして、優衣の『口パクの質問』に対し、適切な『嘘のカバー』を生成できなかった。あんたの『ポンコツ』が、計画の脆弱性を晒した」


 彼の冷徹な言葉が、華恋の心に突き刺さる。


「溶剤の入手は、正面からの『交渉』では不可能と確定した。次のフェーズだ。『計画2.0』に移行する」


 拓は立ち上がり、私に新しい指示を与えた。


「優衣の『社交術A+』と、RC認証システムの『セキュリティレベル』を同時に破る必要がある。あんたのカリスマではなく、俺のハッキングが必要だ。今夜、俺は購買部のRC認証システムに侵入する。あんたは、その間、俺の『見張り』になれ」


 彼の口調は、皮肉から一転し、冷たい命令に変わっていた。


「盗み出す。それが、唯一の論理的な結論だ」

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