第2話「勇者パーティーとの遭遇」

盗賊団を追い払ってから三日。

俺の生活は一変していた。

「ケント様、今朝採れた野菜です。どうか受け取ってください」

「ケント様、昨日の畑仕事、代わりにやっておきました」

「賢者様、うちの息子の名前を考えていただけませんか」

村人たちが次々と俺のところにやってくる。贈り物を持ってきたり、仕事を手伝ってくれたり、人生相談を持ちかけてきたり。

「あ、ありがとう...」

正直、困惑している。

俺はただ、前世で覚えた名言を口にしただけだ。アイザック・アシモフとマーク・トウェインの言葉を引用しただけなのに。

でも村人たちは本気で俺を「賢者」だと信じている。

「ケント様の御言葉のおかげで、あの盗賊団も改心するかもしれませんね」

村長が嬉しそうに言う。

「いや、それは...」

否定しようとして、やめた。

この誤解を解いたところで、誰も得しない。村人たちは希望を持っている。それを奪う必要はないだろう。

『嘘も方便』

そんな言葉を思い出して、俺は曖昧に笑った。


その日の午後、村に見慣れない集団が現れた。

先頭を歩くのは、金髪碧眼の青年。腰には立派な剣を下げている。その隣には紫のローブを着た女性と、大きな斧を担いだ筋肉質の男。

明らかに冒険者だ。それも、かなり強そうな。

「この村に、賢者ケント殿がおられると聞いて参りました」

金髪の青年が村長に声をかけた。その声は凛としていて、威厳がある。

村長は慌てて俺を呼びに来た。

「ケント! 勇者様がお前に会いたいそうだ!」

「ゆ、勇者?」

え、マジで勇者? この世界、本当にそういう設定あるんだ。

仕方なく広場に向かうと、三人の冒険者が俺を見ていた。

「初めまして。私は勇者レオンと申します」

金髪の青年が丁寧に頭を下げた。

「こちらは我がパーティーの仲間、魔法使いのリナと戦士のガルドです」

「よろしくお願いします、賢者ケント様」

紫のローブの女性、リナが優雅に一礼した。知的な雰囲気の美人だ。

「賢者殿! 噂は聞いてます! 言葉だけで盗賊を追い払ったとか!」

筋肉質の男、ガルドが興奮気味に言った。屈託のない笑顔だ。

「あ、あれは...」

『噂話は距離と共に誇張される』

そんな言葉が頭に浮かぶ。まさにそれだ。たった三日で話が盛られている。

「賢者ケント殿」

レオンが真剣な表情で続けた。

「単刀直入に申し上げます。我々と共に、魔王討伐の旅に同行していただけないでしょうか」

「は?」

思わず間抜けな声が出た。

魔王討伐? 俺が? 無理無理無理。

「お断りします」

即答した。

「そ、そうですか...」

レオンが肩を落とした。リナとガルドも残念そうな顔をしている。

でも、命に関わることだ。名言をいくら知っていても、魔王と戦えるわけがない。

「賢者殿、なぜです? 理由を聞かせてください」

ガルドが食い下がってきた。

理由? そりゃ、死にたくないからだ。でもそれをそのまま言うわけにもいかない。

何か言わないと。何か理由を...

「人生とは自転車のようなものだ」

咄嗟に口から出たのは、アインシュタインの言葉だった。

「自転車...ですか?」

リナが首を傾げた。

「そう。バランスを保つには、走り続けなければならない。しかし、走る方向を誤れば転倒する」

何を言ってるんだ俺。でももう止まれない。

「つまり...?」

レオンが身を乗り出した。

「旅に出ることは簡単だ。しかし、準備なく走り出せば必ず倒れる。私にはまだ、その準備ができていない」

我ながら上手く言い訳できた気がする。これで諦めてくれるだろう。

「なるほど...深い」

リナがノートを取り出して何か書き始めた。

「自転車か...確かに、準備は大切だ」

ガルドが感心したように頷いている。

「では」

レオンが一歩前に出た。

「我々が賢者殿の準備を手伝いましょう。そして準備が整ったら、共に旅立つ。それではいかがでしょうか」

「え」

予想外の展開だ。

「私たちも、すぐに魔王城に向かうわけではありません。各地で情報を集め、仲間を増やし、力をつける。その過程で、賢者殿にも準備をしていただければ」

レオンの目は真剣だった。

「そうだ! 俺たちが守る! 賢者殿の知恵があれば、きっと世界を救える!」

ガルドが熱く言った。

「賢者様、お願いします。あなたの言葉は、きっと多くの人を救います」

リナも懇願するような目で見てくる。

まずい。断る理由がなくなってきた。

「私は...」

『問題は、問題そのものではない。問題にどう向き合うかが問題なのだ』

また名言が頭に浮かんだ。誰の言葉だったか忘れたけど。

今の俺の問題は、断り切れないことだ。そして、この状況にどう向き合うか。

村人たちも期待の眼差しで見ている。ここで断れば、「賢者」の看板に傷がつく。

「...分かりました」

気づけば、そう言っていた。

「本当ですか!」

レオンの顔が輝いた。

「やった! 賢者殿が仲間に!」

ガルドが喜んで斧を振り回している。危ない。

「ありがとうございます、ケント様」

リナが微笑んだ。

こうして、俺は勇者パーティーの一員になってしまった。

『始めることが重要だ。始めれば、次が見えてくる』

マーク・トウェインの言葉を思い出す。

「次が見えるといいんだけどな...」

不安しかない。でも、もう後戻りはできない。

村長が涙を浮かべて俺の手を握った。

「ケント、お前が世界を救うのだ。村の誇りだぞ」

「が、頑張ります...」

その夜、俺たちは村の宿舎で今後の計画を話し合った。

「まずは隣国のアルディア王国に向かいます。そこで情報を集め、装備を整える」

レオンが地図を広げながら説明した。

「賢者殿は戦闘の経験は?」

「ありません」

即答した。農作業の経験しかない。

「では、護衛は我々に任せてください。賢者殿には、その知恵で我々を導いていただければ」

レオンが優しく言った。

「知恵、ね...」

本当は他人の名言を借りてるだけなんだけど。

「ケント様、一つ質問してもよろしいですか」

リナが手を挙げた。

「どうぞ」

「先ほどの『自転車』の話ですが、自転車とは何でしょうか? 聞いたことがない言葉なのですが」

「!」

しまった。この世界に自転車はない。

「それは...えっと...」

冷や汗が出る。どう説明すればいい?

「二つの輪を持つ、移動のための道具だ。人が乗って、足で地面を蹴って進む」

適当に説明した。

「なるほど...賢者殿の故郷にある乗り物なのですね」

「そ、そうです」

危なかった。

「深い知識をお持ちだ...さすがです」

リナが目を輝かせている。

いや、ただの現代知識なんだけど。

こうして、俺の嘘が嘘を呼ぶ旅が始まろうとしていた。

『真実は時として、沈黙の中にある』

誰の言葉だったか。俺は今、たくさんのことを沈黙させている。

これでいいのだろうか。

でも、もう進むしかない。

明日、俺たちは村を出発する。

異世界での冒険が、本当に始まる。

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