第6話 理事長め、何をやらせるつもりだ?!

「えっと、まずは……ここに行けと。って、ここ美容室じゃないか……」


 冊子に書かれていた最初の目的地である美容室にやってきた蒼空が胡乱げな目で建物を見つめる。美容室とは書かれていないが、書かれている住所と現在地を何度も見比べる。


「やっぱここだよ! 一体どういうつもりなんだよ!」

「まあまあ、これもレベルを上げるためですから」

「ぐっ、そ、そうだな……。それじゃあ入るぞ!」


 意を決して美容院の中に入る。建物の外装はいたって普通の美容室だったが、内装もいたって普通の美容室だった。


「やっぱり、ただの美容室じゃないか!」

「あ、天野様でございますか? こちらへどうぞ」

「えっと人違い、じゃないですか?」

「いえ、理事長様から話は伺っております。ささ、どうぞ」


 店員に案内され、蒼空は半ば強引に椅子に座らされた。素早く店員は蒼空の背後に回り、髪の手触りを確かめる。


「ひゃうぅっ!」

「髪質は良好と……縦ロールと、サイドアップと、ツインテールが、候補にあります。どれになさいますか?」


 美容雑誌のページを開いて、一つずつ指差して髪型を説明する。縦ロールはいわゆるドリル型といわれる髪型。サイドアップは左右の髪をまとめてすっきりさせた髪型。ツインテールは両側テールの根本をリボンで縛った髪型。


「サイドアップがいいかな。というより、それ以外が論外なんだけど!」

「はい、ではサイドアップにしますね。少々お待ちください」


 美容師が毛先を揃えてカットしてから、左右の髪をまとめ上げる。蒼空の銀色の髪だと少し冷たい印象があるけれども、ドリルとかリボンとかは流石にありえない。


「化粧はお任せでよろしいですか?」

「するの?!」

「もちろんですよ。髪をまとめただけではお客様の魅力を引き出せませんからね」

「わ、わかった、わかったから。お任せで頼む」


 美容師がメイク道具を手元において、蒼空の顔に丁寧に化粧を施していく。まつ毛もわずかにカールさせて、幼気な少女のような見た目の中から、蠱惑的な魅力をさりげなく引き出していった。


「はい、終わりましたよ」

「こ、これが、オレ?!」


 鏡に映った自分の姿は、まるで自分であって自分でないように感じられた。伸ばされたまつ毛は微かに濡れたように光っていて、まるで瞳を潤ませているように見える。うっすらと塗られたチークも、本当に頬を染めているようだった。


「どうですか? 見違えたでしょう。それでは次の目的地も頑張ってください」


 いまだに、蒼空には男だった時の感覚が色濃く残っている。鏡越しとはいえ、男を誘惑するような雰囲気をまとっている自分に対する違和感が半端ない。


「これもレベルアップのため……」

「よくお似合いですよ」

「なっ、そ、そんなことはいいから、次の目的地に行くよ!」


 レベルアップのためと自分自身に言い訳をしている蒼空の姿を戦人が当然のような顔で褒める。不意打ちだったせいか、頬が染まりドキドキと心臓が早鐘を打つ。



「次はこちらのようですね」

「あ……あ……あ……?!」


 気を紛らわせるように早足で歩いていると、あっという間に次の目的地へと到着した。店内を窓から覗き込んだ蒼空は目のやり場に困る光景に凍り付いてしまう。


「こ、ここ、ここで何か買うってこと?」

「そのようですね。先ほどと同じように理事長から話は行っているでしょう」

「くそぅ、どうにでもなれ!」


 意を決して蒼空が店内に入る。続いて戦人も店内へと――。


「戦人は入るんじゃない! 終わるまで外で待ってろ!」

「かしこまりました」


 平然とお辞儀をする戦人に蒼空はもどかしい気持ちを覚える。しかし、その理由が分からない彼女はモヤモヤとした気持ちを抱えながら、店内を見回した。


 そこには色とりどりの女性物の下着が陳列されていて、実際に着用しているマネキンもいくつも置かれていた。


「まったく……恋人でもない男と一緒に入れるわけないじゃないか。でも、あそこまで興味無さそうにしなくても……」


 ブツブツと独り言をつぶやきながら店の奥へと向かう。そこには一人の店員が蒼空を待ち構えていた。


「いらっしゃいませ、天野様でございますね。お話は伺っております!」

「で、でも、下着は持っていますけど……」

「そこまで言うなら見せてくださいませ!」

「えっ、ここで?!」


 下着は持っているため買う必要は無いと店員に告げる。すると店員の態度が豹変して、下着姿を見せる羽目になってしまった。もちろん店員は女性だし、試着室に入るということなので、何の問題もない。問題があるとすれば蒼空の心の問題だけだった。


「さて、天野様の下着は……。これはいけません。ドレスの下が、このようなお子様下着では興ざめでございます!」


 確かに綿100%の下着。さらにブラジャーはいわゆるスポブラと呼ばれる胸の部分だけのシャツのようなものだが……。


「どうせ見せるわけじゃないし、何でもいいんじゃないか?」

「ダメです! 見せるからじゃないんですよ。いつ何時見られてもいいように身構える。その姿勢こそが高貴な女性としての振る舞いを作り上げるのです!」

「そんなもんかなぁ……」


 あまりに熱の籠った説得に、蒼空は半ば投げやりになりながら店員の話を聞いていた。勢いを残したまま店員が持ってきたのは、黒のレースがふんだんにあしらわれた下着だった。


「お客様はお肌が白いですから、こういった下着が良くお似合いです!」

「ほとんどレースで透けてるじゃないか!」


 大事な部分こそ隠せているとはいえ、レースの部分は肌を模様の下地にするためか、ほとんど布地がなかった。


「これがいいんですよ! お客様のように白い肌に咲く黒いバラ! その高貴な佇まいこそがお客様に相応しいのです!」

「あー、うん」


 蒼空には、両手を握り締めて熱弁する店員を説得するような勇気はない。どうせ付けなければいけないのなら、反論するだけ無駄だろう、という諦めに似た感情に蒼空の心は占有されていた。


「これを着けるのかぁ……」


 押し付けられた下着を、一人になった試着室の中で広げてまじまじと見つめる。体こそ女性になったとはいえ、女性物と強く主張する下着を着けるのは抵抗があった。


「お客様、終わりましたか?」

「ま、まだです!」


 躊躇っている間にも、店員は容赦なく圧力をかけてくる。蒼空は意を決して渡された下着に付け替え、鏡で自分の姿を見る。


「むむむ……。これは……」


 レースの隙間から除く白い肌や銀色の髪とのコントラストの映える下着を、背が低くて胸も小さい自分が着けているというギャップが犯罪的に見えて、自分自身の姿であるということも忘れてしまいそうになった。


「いかがですか?」

「ひゃあっ!」


 なぜかカーテンの下をくぐって試着室に入ってきた店員が、蒼空の両肩に背後から手を置いて、鏡越しに微笑みかける。俯いて肩を震わせる蒼空などお構いなしに、店員は彼女の素晴らしさを並べ立てる。


「どうでもいいから……出ていけぇぇぇぇ!」

「仕方ないですね。お買い上げですか? 買いますよね?」

「買う、買うから。とりあえず出てって!」

「はーい、毎度ありがとうございます! あ、そのままで大丈夫ですからね!」


 去り際に蒼空の着ていた下着を持っていってしまったため、そのまま服を着た。鏡に写った姿は変わっていないのに、蒼空には今の姿が妙に女性っぽく感じられた。


 店の外で待っていた戦人は、出てきた蒼空を見て目を丸くする。そして、顔も上気して少しだけ赤くなっているように見えた。


「なんか一気に女の子っぽくなりましたね……」

「……! そういう冗談はやめろ!」

「いや、冗談などでは……気のせいでも……ないはず?」


 真剣な目で蒼空を見つめる戦人の言葉に、恥ずかしくなって反射的に毒づいてしまう。慌てて弁解しようとした戦人の声が小さくなるのに合わせて、言葉からも自信が失われていく。


「まったく……そういうこと言うなら最後まではっきりと――」

「何か仰られましたか?」

「い、いや、何でもない! これで終わりだ。理事長のところに戻るぞ!」


 優柔不断な戦人に蒼空が俯きながら小声で悪態をついていると、戦人が蒼空の顔を覗き込んでくる。彼女は慌てて誤魔化すと、探索者学校へと歩き出した。



「見事だ。ワシの指示をここまで早く完遂するとは……」

「というか、これがレベル上げと関係あるのかよ!」

「もちろんだ。悪役令嬢は令嬢らしさが大事だからな。髪を整えて化粧をするのは当然じゃないか」


 理事長の言い分に、蒼空も納得せざるを得なかった。しかし、彼の言葉に違和感を覚えたのも事実だった。


「下着は?」

「それはワシの趣味だ。エロい感じの方が悪役令嬢っぽいだろ?」

「……殺す。殺してやるぅぅ!」

「落ち着いてください!」


 怒り狂った蒼空は理事長に殴りかかろうとするも、戦人に羽交い絞めにされてしまう。


「そうだ。老人には親切にしないといかんぞ?」

「せめて一発殴らせろよぉぉぉ!」


 そんな蒼空に理事長は涼しい顔で煽ってくる。その態度には戦人も思うところがあったらしく、抑える手が緩んだ瞬間に蒼空が理事長に殴りかかる。


「ぎゃあああ!」

「死ねや、ごるぁぁぁ!」

「やめろ! そんなことをしてたらレベル上がらなくなるぞ!」


 殴られながら切り出した理事長の脅し文句に、蒼空の手が止まった。


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