42:閑話3


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 …………。


「──触るな!」


 森羅衆しんらしゅう第二都市マンダラ。

 首都リンネリアと同じく巨大樹のみきに築かれた街の一角で、ヒリュエステの金切り声が響く。


「誰も、指一本たりとも私に触るな! 近付くな!」


 戦場で負った原因不明の傷を癒すため、運び込まれた医院。

 しかし治療を施そうとした途端、半狂乱で叫び始めた森巫女もりみこおののき、平伏ひれふす医官たち。


「し、しかし巫女殿! 傷口が固まってしまう前に治さねば……!」


 そんな中、青ざめながらも説得しようとする妙齢みょうれいの女性。


 魔力の漏出ろうしゅつさえぎる特殊な染料で黒く染め上げた薄地のローブを纏い、身体のあちこちに触媒しょくばい用の宝石を備えた、見るからに一流の魔術師といったよそおい。


 その足元には、異様につばの広い帽子。

 ゲームの立ち絵では脱いだ差分すら存在しなかった代物だが、今は無造作に転がっていた。


「どうか気をお鎮めに……! 何卒なにとぞ……!!」


 森羅衆しんらしゅう唯一、ひいてはシャイア唯一の治癒魔術師、ファティマ・ファウンス。

 また、国政をつかさどる役割もになっている。


 本来は王族相手ですら飄々ひょうひょうとした態度を崩さない、それを許されるだけの地位と権力を持つ魔女。

 けれども今回ばかりは相手が相手。平時の振る舞いは見る影もなかった。


「治療なんか要らない! このままでいい!」

「ですが──」

「うるさいうるさいうるさい! これ以上、私の言葉に逆らうつもりなら、お前をとして処理する!」

「っっ!?」


 異端者。すなわち精霊にそむき、加護を放棄した者。自然の循環から外れた、世界の異物をす呼び名。

 その肉体は死後も土に還ることを許されず、骨まで焼かれて打ち捨てられる。


 全国民が精霊をほうずる森羅衆しんらしゅうにおいて死罪よりも重い罰を突き付けられ、いよいよファティマの顔から血の気が失せた。


「分かったら下がりなさい! 私がいいと言うまで、誰も部屋に入るな!」

「し……承知、いたしました……」


 帽子を拾い上げ、逃げ去るように退室するファティマと、彼女に続く医官たち。

 残されたヒリュエステの息切れだけが、しばし室内を満たす。


「……けほっ! けほっけほっ!」


 出し慣れていない大声で叫び続けた喉がきしみ、何度か咳き込む。

 合わせてヒリュエステは、顔の右半分に巻かれた包帯を乱暴に剥ぎ取った。


「はぁ……はぁ……ふふっ」


 未だ激痛を訴える、潰れた右眼。

 痛みにともなう高熱で意識を朦朧もうろうとさせつつも、ヒリュエステは笑う。


「ふ……ふふ……ひひっ、ひひひひっ」


 フレアエルド戦記外伝でただ一人、Aランクに位置する魅力。

 決して容姿だけで定められるものではないのだが、間違いなく無関係でもないだろう絶世の美貌びぼうを歪め、狂ったようにわらう。


「──治す? だめ、だめよ、そんなの」


 閉じたまぶたから、まるで涙のように赤い血が流れ、頬を伝う。


「そんなことをしたら、が見えなくなってしまうもの」


 何もえなくなったハズの右眼が映す、ひとつの像。

 黒い瞳で見返してくる、若い男の姿。


 「ねえ。貴方は今、どこに居るの?」


 ヒリュエステの右眼に映り込むが、おもむろに切り替わる。


 ……ジャック・リンカーの魔力が溶け込んだことで、一部変質した『自分だけの魔術』。

 それによって己が一族にのみ見聞きできる聖託せいたくを悟り、この世に精霊かみなど存在しないのだと確信したヒリュエステ。


 歴代で最も信心を欠いた森巫女もりみこが、国の根幹こんかんを揺るがす真実を知ってしまった。

 そして皮肉にも、その認識こそが彼女に未来視のを可能とさせ、本人が望みさえするならば、森羅衆しんらしゅうに一層の繁栄を与えられるようになった。


「会いたい。貴方に、会ってみたい」


 この密かなる大事件が、未来に如何いかなる影響をもたらすのか。

 現在いまはまだ、誰にも分からない。





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