18


 ジャックがウラハの膝元に身を寄せ、早くも一ヶ月半。

 夜明け前、彼は日課である魔術の鍛練を行うべく、まだ寝静まったミスリュールの郊外に立っていた。


「『アイシクル』」


 ノータイムで励起れいきさせられるようになった魔力を右手に集めて放出、空気中の水分を手元に引き寄せて凍結。

 氷の矢、あるいは小さな槍と呼ぶべき造形をほどこし、そのまま眼前へと滞空させる。


「『ウインド』」


 次いで周囲の風を操り、氷矢アイシクルに纏わせる。

 緩やかな旋風つむじかぜは徐々に直径をせばめ、やがて氷の表面ギリギリまで迫り、圧縮された分だけ風圧と風速を増す。


「ふうぅぅ……」


 頃合を見て腰を落とし、刺突つきの構えを取るジャック。

 ただし剣は握っておらず、撃ち出すのは切っ先ではなく掌底しょうてい


 生成された氷矢アイシクルは、本来なら思念と魔力による直接操作が可能。

 しかし魔力総量の少ないジャックは自分の思考と魔術を紐付けられる距離が極端に短いため、自在に飛ばすどころか宙に留めておくまでが精一杯。


「──シィッ!」


 ゆえに、殴りつけて射出する。


「『バースト』……!」


 殴打の瞬間、炎弾バーストを発動。

 打ち出してからコンマ数秒のラグをて炎がぜ、まさしく文字通り爆発的に加速する氷矢アイシクル

 高密度で纏わせた風鎧ウインドが熱による融解ゆうかいを防ぎ、合わせてジャイロ効果で軌道を安定させ、ほぼ真っ直ぐに飛んでいく。


 三種の最下級魔術を完璧に制御し、組み合わせた一撃。

 実際の弓矢をもしのぐ速度で飛来した氷矢アイシクルは、標的だった数百メートル先の岩に寸分狂わず命中し、赤ん坊くらいであれば悠々とくぐれるほどの大穴を穿うがった。


「ふーっ……」


 甘く見積もっても、鎧で全身固めた重装兵を五人は同時に貫ける威力。

 中級以上の魔術を扱う場合に必須となる触媒の宝石も用いず繰り出された範疇はんちゅうでは、破格。

 射程距離に限って言えば、最上級の魔術にすら引けを取らない。


 もっとも、三種の魔術を複合させる都合上、一発用意するまでの手間が膨大すぎる。

 実際の戦場では、そうそう使い物にならないだろう。


「……やっぱ素手だと、こんなもんか」






「ジャックはーん」


 昼前。ジャックを呼びながら邸内ていないを歩き回るウラハ。

 ここしばらく、使用人たちが日に三度か四度は見るようになった光景。


「ジャックはーん?」

「……ここだ」


 中庭で本を読んでいたジャックが、呼び声に気付いて軽く手を上げる。


「もぉ、あかんやないの。うちの護衛なんやから、ずぅっと一緒に居てくれへんと」

「今日は休みだ」

「あぁん、いけずやわぁ」


 苦言の割には上機嫌な声音。

 椅子に腰掛けたジャックの背後に回り、するりと首筋に両腕を絡める。

 これもまた、ここしばらくで毎日のように見かける光景。


「なんやの、その焦げた本?」


 ウラハがジャックの頭に顎を乗せ、彼の膝上に広げられていた魔導書グリモアを不思議そうに見下ろす。

 半焼した本など読んでいれば、首を傾げるのも無理からぬ話である。


「そんなんマトモに読めへんやろ」

「問題ない。こいつは昔拾った魔導書グリモアだ」

「まあ、そら結構な貴重品やね……けど、せやったら余計に読む必要ないんちゃう?」


 魔導書グリモアに書きつづられた内容は、魔術の素養を持つ者が本を開けば脳に直接転写てんしゃされるため、読み返す意味は薄い。

 実際ジャックも、焼け焦げて物理的に読めなくなった部分も含めて、あらゆるページの一言一句に至るまでをそらんじられる。


「隅々まで知ってるからこそ読み返したくなる場合もある。考えごとをする時なんかは、こいつを開いてると頭の中が纏まりやすい」


 単なる戦災孤児オルフェンだったジャック・リンカーの人生を変える切っ掛けとなった本。

 そういう意味でも、彼にとっては特別な思い入れのある書物。


「それ、うちの伝手つてで修復できひんか聞いてみよか?」


 ゆえに、焦げてボロボロに崩れたページを指差したウラハの言葉に、いつもとは少し異なる反応を見せた。


「……できるのか?」

「多分いけるやろ」


 通常の本であっても、ここまで焼け焦げていれば修復は大仕事。

 あらゆるページに魔術が施された魔導書グリモアとなれば、更なる手間を求められることは想像にかたくない。


 当然、多額の費用も必要となるだろう。


生憎あいにく魔導書グリモアを直せるほど懐に余裕は無い」

「ええてええて。ぜーんぶ、うちが持つさかい」


 魔導書グリモアを取り上げ、胸元に抱えるウラハ。


 いくらなんでも、と席を立って開こうとしたジャックの唇に、細く柔らかい指が添えられた。


「うちは、なぁ」


 勢い余り、口の中まで入り込んでくる。

 そのまま感触を確かめるかのように、舌の上を指先が這い回る。


、うちを助けてくれたジャックはんのためなら、なぁ」


 額が合わさりそうなほど間近で、長い睫毛まつげに縁取られた両目が開かれる。

 色素を欠いた、そのまま血の色で染まった赤い瞳が、小揺るぎもせずジャックを見つめていた。


「なーんでも、したげるよ……?」


 そんな甘くもくら口舌くぜつに、ジャックの本能が警鐘じみた悪寒を背筋に伝わせる。


 …………。

 しかしながら、残念至極。


 もう既に──ウラハ・イスルギは、手遅れである。





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