第16話 五城杏樹は絆されない


 心乃葉が買ってきてくれたケーキが入った箱を開くと四つのケーキが姿を見せる。残り一つは母さんのものらしい。


「杏樹ちゃん、好きなの選んでいいよ」


 心乃葉が言うと、杏樹は視線をケーキへと向けた。瞳をきらきらさせながら口をぽーっと開いている。ケーキ好きだからなあ。


 杏樹はハッとして我に返り、「ケーキごときで杏樹を籠絡しようなど笑止千万です」と口にした。それでも口元の緩みは隠しきれていない。


「兄者は何にされるのですか?」


「心乃葉が好きに選んでいいって言ってくれてるんだ、杏樹が先に選べばいい」


 こちらの様子を窺う杏樹にそう言うと、彼女は改めてケーキを見た。

 ショートケーキ、チョコレート、ミルクレープ、モンブランと王道なケーキが四つ並んでいる。


「お母さんはモンブランが好きです」


「そうなんだ。じゃあ、モンブランは置いておこっか」


 杏樹のぽつりと吐いた言葉に心乃葉が反応する。

 その姿を見て、さすがだなと感心した。


 彼女とこうして関わるようになったのはつい最近のことだ。

 それまではただのクラスメイトでしかなく、会話という会話をしてこなかった。男子から人気があって女子の友達が多い、そう言われてもそれ以上のことは考えることすらしなかった。


 しかし、こうして彼女の振る舞いを隣で見ていると男子にモテるのも、女子の友達が多いのも納得できる。


 意図的か天然かは分からないけど、言動や反応など、とにかく人に好かれる振る舞いが上手いのだ。


「杏樹ちゃんは何が好き?」


「……いちご」


「じゃあショートケーキかな?」


「……はい」


 現に、敵視さえしていた杏樹が僅かにだけど心を開いている。ケーキ一つで見事に籠絡されてやがるな。


「想介くんはどうする?」


「俺は何でもいいから心乃葉が先に選んでいいぞ」


「そう? じゃあ、ミルクレープにしようかな?」


 ちら、と俺の反応を窺いながら心乃葉がミルクレープに手を伸ばす。特に何のリアクションもしないまま、俺はチョコレートケーキを自分の前に持ってきた。


「ありがとな。ケーキ」


「ありがとうございます」


 俺に続いて杏樹もお礼を口にすると、心乃葉はこそばゆそうに笑みを浮かべた。


「ううん。わたしも食べたかったし」


 甘ったるいケーキにはブラックコーヒーがよく合う。口に残った甘さが程よくコーヒーの苦みを中和させてくれるのだ。


 しばし、ケーキを堪能していると杏樹が思い出したように口を開く。


「か、勘違いしないでください。杏樹はまだ心乃葉さんの言葉を信じてはいませんので」


「まだダメかぁ」


 心乃葉の反応は、そもそもこの程度で乗り越えられると思っていなかったような言い方だった。


 彼女は持っていたフォークを置いて、ふうと息を吐く。

 

「兄者は恋人なんて作るはずないんです。いくら心乃葉さんのような可愛くて優しい女の人が相手でも、考えを曲げる人ではありません」


 ちょっとだけ印象が良くなってるな。ケーキの力って凄い。


「あなたが何かを企み、兄者を巻き込んでいるのは確かなのです」


 そう断言する杏樹は、まるで犯人を追い詰める探偵のようだ。


「えっとぉ、そんなことはないんだけどなぁ?」


 ちら、と俺の方を見る心乃葉。

 そのリアクションだと観察眼が鋭い相手だと白状してるようなものだから気をつけろ。


 これは学校が始まる前にちゃんと作戦を練っておかないと大変なことになるな。


 まあ、究極言えばバレて困るのは心乃葉なんだけど。俺だって、多少なりは困るんだがかすり傷……いや、軽症程度だ。


 それにしても、杏樹のやつは意外と鋭いな。

 隠している事実を見事に言い当てている。確かな情報はないが、彼女の直感がそれを感じさせているのかも。


「では、兄者のどういうところが好きなのか教えてください」


「ふぇあっ!?」


「杏樹は兄者ガチ勢なので、嘘をついてもすぐに分かりますよ」

 

 杏樹の問いに、心乃葉が聞いたことのない驚きの声を漏らした。人って本気で驚くとあんな声を出すんだな。これもメモしておこう。


「そ、想介くんの好きな、ところ?」


 動揺を隠しきれないままの心乃葉がオウム返しをすると、杏樹が真剣な顔つきでこくりと頷く。


 わなわなと唇を震わせる心乃葉が俺を見た。

 偽物の関係なのだから、何をそんなに焦る必要があるんだ。いや、偽物だから焦ってるのか。俺の好きなところなんてないと言いたいのか。


 適当に嘘を並べればいいだろうに。

 ……こいつは嘘とか誤魔化すが苦手なんだよな。そりゃそんなリアクションになるか。


「えっと、そうだなぁ」


 心乃葉は視線をあっちこっちに泳がせながら、場繋ぎの言葉を紡ぐ。必死に考えているようだ。必死に考えないと出てこないか、俺の良いところ。


 まあ、見せてないもんな。

 仕方ないな、と俺は腕を組みながらそんなことを考えた。

 別に伝わってなくても関係ないじゃないか。俺たちの関係は偽物なのだから、そこに本物の理由は必要ないわけだし。


「例えば、自分をしっかり持ってるところ」


 ようやくまとまったのか、心乃葉が視線を前のケーキに落としながら口を開く。


「それと、人のことなんてどうでもいいと思ってそうなのに、意外と優しいところ」


 紡がれた言葉に、俺は素直に驚いた。


 心乃葉はきっと、完全な嘘はつけない。

 少なからず、そこには真実が混ざっているような気がする。だとすれば、好きなところかは置いておくとしても、そこが俺の良いところだと思っている可能性は高い。


 もしも彼女が真性の魔女でなければ、の話だが。


「あとは……」


 言って、心乃葉はちらっと俺を見た。その視線を向けられた男子は漏れなく恋に落とされてしまうような、あざとい上目遣いだ。


「いざというときは、頼もしいところ……とか?」


 心乃葉の言葉に杏樹は「なるほどです」と呟く。

 さすがにこそばゆさが限界突破しそうだったので、そろそろ止めに入ることにしよう。


「これで納得したか?」


 難しい顔をして唸る杏樹にそう言うと、彼女はさらに顔をしかめた。


「兄者にもお訊きします」


「なんだ?」


「兄者は心乃葉さんの、どこを好きになったのですか? お付き合いをしていると言うのであれば答えられるはずです」


 予想外の飛び火に狼狽える……などと思うなかれ。

 さっきまでの流れと杏樹の性格を考えれば、こうなることはある程度予想できた。


 なので、もちろん用意してあるさ。


「心乃葉は周りがよく見えてる。相手の気持ちを汲み取って、それを受け止める優しさを持ってるんだよ」


 嘘はついていない。

 彼女の良いところを、そのまま俺が好きな部分として伝えただけだ。

 俺の即答具合に、さすがの杏樹もぐぬぬと唸る。


「……今日のところは引き下がることにします。ですが、これで諦めるつもりはありませんので。杏樹は必ず、証拠を見つけてみせます!」


 悔しそうな顔をしながら、杏樹はそう口にした。

 とりあえず今日は乗り切れたらしい。ケーキを口に含んだ彼女はご機嫌な様子で、これ以上の追撃は恐らくないだろう。


 良かったな、と思いながら心乃葉を見ると、何故か俯きながら頰を緩めていた。


 乗り切れたことがそんなに嬉しかったのか?



 *



「今日は悪かったな。急に呼び出して」


 あまり遅くなる前に帰るという心乃葉を駐輪場まで送るがてら、今日のお礼を伝えておく。


 彼女はふるふるとかぶらを振ってから、にこりと笑う。


「ううん、全然だよ。一時はどうなることかと思ったけどね、何とか許してもらえたみたいで良かったかな」


「あいつ粘着質だから気をつけろ。多分まだ全然諦めてないぞ」


 俺のことになると結構しつこいからな、杏樹は。

 しかし、俺の言葉に心乃葉は楽観的な笑みを浮かべる。


 今日という日を乗り越えただけで、杏樹のことを分かったつもりでいるなら、それこそ笑止千万だ。


 そんなことを思ったけど、そうではなかった。


「あはは、確かにすごかったもんね。でも、今日はとりあえず誤魔化したけど、杏樹ちゃんなら最悪バレても困らないでしょ?」


 彼女の言葉を聞いて、なるほどと得心した。

 そういえば結局、杏樹が途中で登場したから伝えてなかったんだった。


「わたしが困るのは校内でバレることだしね。むしろ、想介くんが杏樹ちゃんに本当のことを言わなかったことが驚きだよ」


「校内でバレると困ると思ったから、俺は杏樹にもちゃんと嘘を貫いたんだぞ」


 あははー、と笑う心乃葉が俺の言葉を聞いて立ち止まる。

 さっきまでにこにこと上機嫌だった彼女の顔は難しいものになっていた。難しいなぞなぞを目の前にしたようだ。


「えっと、どういうこと?」


 何となく不穏な雰囲気は感じたものの、その真意にまではたどり着けていないのか、あるいはたどり着きなくないという現実逃避なのか、心乃葉は動揺混じりに問うてきた。


 だから俺は、誤魔化すことなく単刀直入に、真実を伝えてあげることにした。


「杏樹は春からうちの学校に入学してくるぞ」


 言った瞬間、心乃葉の顔からさっと血の気が引いたのが分かった。


「……へ?」

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