第七節 『俺は俺のために、君は君のために』




 阿鼻叫喚の倉庫内を見渡しながら、俺たちはツバキのもとへ進む。

 昼間の戦いを生存者から聞いていたのだろう。アナスタシアを視認した者たちは皆、蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませていた。


「何をしているテメェらッ!! さっさと奴らをぶっ殺せッ!!」


 だが、それに応じる者は、誰一人としていなかった。


「……所詮、君の人望はその程度ということだ。可哀想にな、ヘクター」


「アダムぅううううううううッ!!!!」


 激怒したヘクターが、目の前のツバキを押しのけて俺のもとへ駆ける。


「あらぁ~」


 肩を強く薙ぎ払われたにもかかわらず、ツバキはあっけらかんとしていた。

 涼し気な顔で袖口から煙管を取り出し、煙をくゆらせている。呑気というべきか、マイペースというべきか。

 相変わらず何を考えているか分からない。


「──アナ」


「はい」


 俺たちにはそれだけで十分だ。

 アナスタシアは口元を手で覆い、瞬時にマスクを被る。


 ──変面スイッチ真夜中の鬼神ミッドナイト=ノクス


 それは、真夜中にしか真価を発揮しない下面マスクだった。


「────!」


 アナスタシアはその身に影を纏い、夜の暗闇に乗じてヘクターの背後を取る。


「舐めるなぁぁあああッ!!!!」


 ヘクターは彼女の気配を察知し、振り向きざまに短剣を振るう。

 その野生的な勘は素晴らしい。


 だが──。



「──負け犬の分際で、頭が高いですね」


 それでもアナスタシアの方が一枚──いや、百枚は上手だった。


 斬撃を片手で往なしつつ、相手の力を利用して流れるように腕を絡め、肩と肘を固定する。

 そしてそのまま軸足を蹴り払い、その場に跪かせた。


「うぐっ!」


 短剣が手から落ちる。

 カラン、と音を立てて床に転がり、くるくると回りながら俺の足元に辿り着いた。


「テメェ……」


 激痛に悶えながらもヘクターは諦めていないとばかりに、顔を上げて俺を睨み付けた。


「女に守られて恥ずかしくねえのかッ!!」


「恥ずかしいわけないだろ。彼女は護衛だぞ。護衛が俺を守らなくてどうする」


「アダム様をお守りするのが私の役目ですから」


 その言葉には、一片の揺るぎもない。


「それに君は王なんだろう? 王なら王らしく、兵隊どもに守ってもらったらどうだ?」


 俺は視線を倉庫の端に向ける。

 そこには怯えた様子でこちらを窺う構成員たちがいた。


「ああ、そうか。そういや、見捨てられたんだったな。彼らに」


「このクソ野郎がァ!! 言わせておけば──んぶッ!?」


「静かに。アダム様が喋っています。あなたはただ黙って聴いていれば良いのです」


 アナスタシアは彼の肩を押さえていた左手を顎に添え、代わりに右膝を肩の上に置いた。


 完全に顎を固定され、口を塞がれたヘクターは、必死に喚こうとする。

 だが声にならず、何を言っているのか分からなかった。


「唯一望みがあるとすれば、君の側近だが……」


 髭面の大男を見やる。


「彼は彼で手が離せないようだ」


 そこではツバキが煙管の先で彼の拳を受け止め、艶美に笑っていた。


益荒男ますらおのくせに女子おなごに力で劣るなんて、なっさけないわ~。これなら尻尾を増やす必要もなさそうやな」


「言わせておけば──ッ!!」


 髭面の大男はその自慢の体格を活かして戦うも、ツバキの煙に巻くような動きに翻弄され続け、しまいには仰向けで床の上に押し倒されていた。


「はい、捕まえた♡」


 両肩を両膝で押さえ、抵抗できないように固定し、その上で優雅にぷかぷかと煙管をくゆらせる。

 艶美に笑う紅の唇から、かぐわしい煙がほろりと溢れた。


「うちは情報屋やさかい、あまり殺しは好まへん。そやさかい、コレ・・使わして貰おか思てんねん」


 もう一方の手には──、


「あんたらの工場から何本かくすねさせて貰うたわ。効能くらい説明しいひんでも、あんたらが一番良う知ってるやろ?」


 ──『悪魔の瞳イビルアイ、原液』というラベルの貼られた小瓶が握られていた。


「そ、それは……!」


 男の顔が青ざめる。

 目を見開き、慌てたように言葉を捲し立てた。


「や、やめろ! やめてくれ! 頼む! それだけは……ッ!!」


「さっきの礼がまだやさかい。水責めの借りはコレで堪忍したる。漢ならこれくらい耐えてみぃ」


 硬く口を閉ざそうとも関係ない。

 前歯を砕く勢いで小瓶を唇に叩き込み、無理やり口の中に流し込んだ。


「んむぐぅ~~~~~ッ!!!!」


 身体が跳ねる。

 手足をバタつかせ、白目を剥き、口から泡を吹く。

 まるで陸に打ち上げられた魚のように、もがき苦しんでいた。


 だが、そんな彼に救いの手を差し伸べる者は、最期まで現れなかった。


「君の敗因は、いくつもある。だがそれを知ったところで、これから死にゆく君には必要ないだろう」


 俺はヘクターの前で屈み、ベストのポケットから一枚の紙を取り出す。

 それは全財産の譲渡契約書であった。


「今から君の生き血で、この契約書にサインしてもらう。君の死後、その全財産を我々アヴァロニア金融に譲渡する──という契約だ」


 足元に転がる短剣を手に取り、契約書と短剣の両方を眼前でチラつかせる。


「もちろん、君の要求は一切呑まない。それが君の契約の流儀なのだろう? 郷に入っては郷に従え、とも言うし。今日は君の流儀に倣うとしよう」


 短剣をヘクターの喉元にそっと添えた。

 アナスタシアの拘束から逃れようと必死に抵抗するが、全くビクともしない。


「ああ。そうだ」


 言葉を発することも、暴れることも許されない男に、俺は言う。


「君の家族だけは生かしてやろう。いつか、俺を殺しにくると期待してな」


 そして俺は、ヘクターの喉笛を深く斬り裂いた。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




【港湾地区、倉庫街で抗争勃発。バルグリッドファミリー壊滅か】


 ラノベガスタイムズの朝刊は、この二日間、バルグリッドファミリーの記事で一面を飾っていた。


 記事の内容はこうだ。



==========


 昨夜未明、港湾地区の倉庫街で大きな爆発音がしたと通報が入り、憲兵隊が現場に急行した。


 現場には身元不明の遺体が多数残されており、唯一身元が判明したのがバルグリッドファミリーの首領ボス、ヘクター・バルグリッドさん(男性・48歳)だった。


 この事から憲兵隊は、反社会的勢力同士の武力抗争と断定。


 現在も犯人の捜索は続いているものの、世界最大の麻薬カルテルが崩壊したことは、世界にとって吉報なのかもしれない。


 こうして麻薬王の時代は終わりを告げ、またひとつ、世界に平和が訪れたとも言えるのだから。


==========



「──うん、非常に良い記事じゃないか。流石はラノベガスタイムズだ」


 現在、俺はガウェインと共にサウナに来ていた。


 毛先から滴る汗が新聞を黒く濡らす。

 読みたい記事を読み終えた俺は、それを折り畳んで隣に置いた。


「お褒めに与り光栄だ。あんたのおかげで、この二日間かなり儲けさせて貰った。心の底から感謝している」


 右隣に鎮座するのは、俺の二倍はあるだろう筋肉の塊だ。

 日に焼けた褐色肌から玉の汗が止めどなく溢れ、室内の魔力照明に照らされた肌はまるで磨かれた鋼のような光沢を放っている。


「それはお互い様だ。君たち新聞社の協力なくして、この計画は成し得なかった。最大の功労者は間違いなく君たちだ」


「はっはっは! 世事だとしても嬉しいね。そうやって言ってくれるのは」


 ガウェインは豪快に笑うと、柄杓ひしゃくで水を掬ってサウナストーンに掛けた。


 ジュウゥゥゥ──。

 と、音を立てて蒸気が立ち昇り、新たな熱気が俺たちの肌を温める。


「それにしてもまさか、あのバルグリッドファミリーを一夜で壊滅させるなんてな。益々あんたに興味を抱かされたよ。正体を知りたいくらいに」


「実は俺も君に興味があるんだ。どうやって俺のことを知ったのか。金融商としての俺じゃない──を」


「それは企業秘密だ。たとえあんたと言えど、教えられねえ」


「良い情報屋でもいるのか?」


「まあ、そんなところだ」


 ガウェインは目を細め、静かに笑う。

 その表情には、何か含みがあるようにも見えた。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 その日の夜は、都市の北側にある丘上の高級レストランで、夜景を眺めながら食事を楽しんでいた。

 円卓を囲むのは、俺とアナスタシアとツバキの三人。


 俺は普段通りベストスーツを着ているが、二人は今夜、特別な装いをしていた。


 アナスタシアは夜空を体現したかのような、煌びやかな光沢を放つ濃紺のロングドレスに身を包み、耳、首、そして手首には、ダイヤモンドをあしらった純銀の装飾品アクセサリーを身に付けていた。


 ツバキは白銀の長い髪を、椿柄のかんざしで団子状にひとまとめに結い上げ、胸元と背中の大きく開いた真紅のドレスを身に纏っていた。

 アクセサリー類は身に付けていなかったが、白銀の狐耳と尻尾が優雅に揺れ、彼女の魅力を際立たせている。


「──二人とも今回はよくやってくれた」


 二人を交互に見据えながら、俺は労いの言葉を掛けた。


「勿体ないお言葉痛み入ります。ですが、それもこれも全てアダム様のご計画が素晴らしかったからこそ、成し得たことです」


 アナスタシアは業務外でも相手を立てることを忘れず、涼しげな表情で一口サイズに切り取った肉を口に運ぶ。


「そうそう、うちらはそないな大したことしてへん。指示通りに動いただけやで。まあでも、特別ボーナス期待してるなぁ〜?」


 ツバキは白ワインの注がれたグラスを優雅に回しながら、期待に満ちた眼差しと微笑みを向けていた。


「もちろん、今回の報酬は弾ませてもらう」


 特にツバキに関しては、情報屋という領分を越えた仕事をこなしてくれた。


 通常の報酬では釣り合わない。

 他に、特別な褒賞を与えるべきだろう。


「君には特別ボーナスとは別に、この国の特別な・・・永住権を与えよう。君の一族、稲荷坂いなりざか四十六人衆にもな」


「────っ!?」


 ツバキの双眸が一瞬だけ大きく見開かれた。

 白銀の狐耳がピクリと反応し、ワイングラスを回す手がピタリと止まる。

 だがすぐに、いつもの余裕の表情を取り戻した。


「うちの素性知っとったんかい。しかも一族の詳細まで……。ほんまに侮れんお人やわ、アダムはんは」


 彼女は感心したように笑い、ゆっくりとワインを一口含んだ。


「安土のことなら良く知っている。百鬼夜行──妖怪大連合の百鬼御三家ひゃっきごさんけ、その一柱ひとはしら稲荷坂いなりざか家だ。他にも桜屋敷さくらやしき家、烏丸からすま家を筆頭に、八百万やおよろずの妖怪たちが安土を守護していることも」


 俺はナイフとフォークを置き、ナプキンを手に取り口を拭く。

 それからツバキを真っ直ぐ見据えた。


「ほぉ~、よう知ってるなぁ~。安土に住んどったことでもあるんか?」


「住んでいたことはない。だが、一時期滞在していたことがある。身内が安土にいてな。遊びに来いというもんだから、仕方なく」


「身内……。アダム様のご家族……? それとも……」


 アナスタシアは小さく呟いた後、押し黙った。

 視線を伏せ、膝の上で手を握りしめている。いつもの冷静な彼女からは想像できないほど、その表情は硬い。


 普段は感情を表に出さない彼女が、今は何かを堪えているように見えた。


「そら初耳やな。もっと詳しゅう教えてぇな」


「その答えは自分の手で探してみるといい。得意だろ? 情報収集は」


 俺は軽く微笑み、赤ワインの注がれたグラスを手に取った。


「うちに発破をかけるとは、ええ度胸やん! ええわ! 絶対にあんたの正体を暴いたる! それまでは何があっても契約は続けさしてもらうで!」


 ツバキの狐耳がピンと立ち、尻尾が興奮したように大きく揺れる。その目は、まるで獲物を見つけた猟犬のように輝いていた。


「ああ、是非とも……」


 俺はグラスを傾けて赤ワインを一口呷る。

 芳醇な香りと奥深い味わいの余韻に浸りながら、ゆっくりとそれを嚥下した。


「そうしてくれ」




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 眠らぬ都市まちラノベガスは、人通りの少ない路地ですら等間隔に並べられた街灯によって明るく照らされている。

 舗装された石畳の道を俺とアナスタシアはゆっくりとした足取りで歩き、酒に酔い火照った身体を夜風に当て涼んでいた。


「────」


 隣を歩くアナスタシアは先ほどから静かだ。

 思えば食事の途中、俺がツバキと話し始めた辺りから静かだった気もする。


 何が気に障る事でもしただろうか……。


 そんなことを思いながら歩いていると、突然アナスタシアが歩みを止めた。


「アナ……?」


 少し進んだところで俺も立ち止まり、半身だけ振り返って彼女を見つめる。

 アナスタシアの宝石のように美しい紫紺の瞳は、決意に満ちた力強さが宿っているように感じられた。


 普段とは違うドレス姿も相まって、街灯に照らされる彼女はとても魅力的だった。

 思わず息を呑むほどに。俺は彼女に見惚れていた。


「──私、決めました」


 アナスタシアは夜の静けさを切り裂くように言った。


「私はアダム様を死なせません。たとえどんな困難が待ち受けていたとしても、私はあなたを失いたくありません。絶対に守り抜いてみせます!」


 護衛としての心構えを今一度宣言している、というわけではないようだ。

 これは──、



「──だから、アダム様の望みは叶いません! 私がいる限り! 絶対に!」


 俺への宣戦布告・・・・だ。

 決して敵対することなく、俺の悲願を阻止する。そう、彼女は宣言したのだ。


「そしていつか、あなたの心を射止めてみせます! 私と一緒に生きたいと思わせてみせます! あなたの願いを私色に染めて差し上げますから!」


「ふっ……」


 無意識に笑みが零れた。

 ここまで真正面から堂々と言われたのは“初めて”だった。


 いつも俺が理想を伝えると、彼女たちは去っていった。いや、俺から距離を置くことを選んだ。

 それは決して叶わない“恋”だと悟ったからだ。


 でもアナスタシアは、俺の価値観そのものを変えてやると言った。

 自分の恋を成就させるために。


 ここまで情熱的で、苛烈な宣言は久しぶりだった。


 遠い昔の記憶が蘇る。

 その懐かしさが俺の心を強く打った。


 きっとそれが、笑みとなってポロリと零れ落ちたのだろう。


「やれるものならやってみるといい。俺は俺のために、君は君のために……。お互いの理想を叶えるために、今後も協力していこう」


 俺はそっと手を差し伸べる。

 今一度、彼女の強い想いと向き合うために。


「……はい! もちろん、そのつもりです」


 俺の手をギュッと握るアナスタシアの眦はキラリと煌めいていた。


「さあ、帰ろう」


 そして、先の見えない結末みらいに想いを馳せながら──。



「──俺たちの家に」


 俺たちは長い道のり・・・を再び歩み始めた。






          ── 一章 完 ──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る