第五節 『怪人十二面相』




 翌日、朝刊の一面を飾った記事は都市中を震撼させた。

 見出しは『某麻薬カルテルの麻薬農場があると噂される密林で大規模火災!?』というもの。

 名指しすることで起こる不利益を考慮し、ガウェインはその名を伏せたようだ。

 それでも問題はない。きちんと契約は履行された。


「──バルグリッドファミリーに動きがありました。構成員二十人を現地へ確認に向かわせたようです」


 俺は机の向こうに佇むアナスタシアの報告を聞いていた。


「二十人もか。想像以上に釣れたな」


「おそらく近年各地で頻発している魔物災害スタンピードの可能性を考慮しているのかと」


「確かに。戻れなければ情報も手に入らないからな」


 彼女の分析は的確だ。

 カルテルも馬鹿ではない。

 自分たちの資産を守るためなら、万全の体制で動く。


「彼らが出立してどれくらい経過した?」


「およそ二時間です」


「それならまだ都市内にいるな。都市西部郊外で待ち伏せし、奴らが通りかかったところを襲撃しよう」


「それでしたら私にお任せください。ゴミ掃除は得意ですから」


 彼女の紫紺の瞳が、僅かに光を帯びる。獲物を前にした捕食者の目だ。


「血に飢えてるだけじゃなくて?」


「否定はしません」


 アナスタシアは表情ひとつ変えずに答えた。

 その声には罪悪感のかけらもない。彼女にとってそれは、息をすることや食事をすることと同じ日常の一部なのだろう。


「じゃあ頼んだ。俺はここで君の勇姿を見守っておくよ。この──」


 俺は机の上に手をかざす。

 魔力が指先から溢れ出し、空間に干渉していく。


 瞬く間に、遊戯都市ラノベガス周辺のジオラマが机上に浮かび上がった。

 建物、道路、森林──全てが精緻に再現されている。


「──大陸間広域衛星魔法、観測衛星サテライトで」


 ジオラマの中に光点が二つ。フォール街の一角に灯っている。俺とアナスタシアだ。これはアヴァロニア金融の位置を示していた。


 この魔法は味方の視覚と聴覚を共有できる観戦用魔法だ。

 索敵には使えない。正確に言えば、対象の魔力を寸分の狂いもなく把握していれば可能だが、現実的ではない。


 それに別の意味で悪用することも可能だ。


 たとえばアナスタシアのプライベートを覗くこともできる。

 時間帯によっては眼福な光景も見られるかもしれない。


「アダム様?」


「ん?」


 もちろん、そんなことはしないが。


「どうかされましたか?」


 視線の先では、アナスタシアがきょとんと目を丸くして首を傾げていた。

 いつものダウナーな雰囲気が消え、とても新鮮に映る。愛らしいというか、愛おしいというか。保護欲をそそられる。


「ああ、いや……何でもない。少し考え事をしていただけだ」


「……そうですか」


 アナスタシアは納得したように頷く。

 それを見て、俺は小さく息を吐いた。危ない危ない。変な想像をしていたところを察されなくて良かった。


「それでは、そろそろ出発いたします」


「ああ。くれぐれも無理はするなよ」


「ご心配には及びません。相手は所詮、ゴミ同然の塵芥です。負ける要素なんて微塵もありませんから」


 彼女の声には絶対的な自信が滲んでいた。

 それもそうだろう。アナスタシアは俺が認めた護衛だ。麻薬カルテルの構成員など、彼女の足元にも及ばない。


「では、行ってまいります」


 深く一礼すると、アナスタシアは部屋を後にした。

 扉が閉まる音が静かに響く。


「さて──」


 静寂の訪れた室内で、俺は再び机上のジオラマに目を向けた。

 光点の一つが、ゆっくりとフォール街から離れていく。都市西部郊外へ向かうアナスタシアの動きだ。


「──君らはどこまで耐えられるかな? アナ、いや……怪人十二面相マスク=ドゥ=ソレイユ虐殺劇ステージに」


 俺は椅子に深く腰掛け、これから起こる一方的な惨劇を見守ることにした。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 遊戯都市ラノベガス西部、郊外──。

 国境検問所を越えた先には広大な野山と森林、そして河川があった。

 毎日多くの人々や馬車が往来する街道の土は硬く踏み慣らされ、まるで石畳のような感触さえある。


 その街道のど真ん中に、パンツスーツ姿の女性が直立不動で佇んでいた。


「────」


 アナスタシアは艶やかな黒髪のポニーテールを風に靡かせながら、東方の地平線にうっすらと浮かぶ遊戯都市を見据える。


 上着は着用していない。

 フリル付きの白いワイシャツが日光を浴びて煌めいている。


 彼女は静かに袖を肘までまくり上げると、ポケットから黒の防刃革手袋グローブを取り出し、手に嵌めた。


 そして──、



「──変面スイッチ炎獅子の威光レオ=ドミヌス


 顔を右手で覆い隠し、そう口にした。

 その刹那、獅子の口を模した下面マスクが、アナスタシアの顔の下半分を覆った。


 息を吐くたびに獅子のマスクから白炎が迸る。

 それを目撃した通行人たちは、アナスタシアを避けるように来た道を引き返していく。


 そんな中、必死の形相で駆けてくる一団がいた。

 バルグリッドファミリーの連中だ。


「何者だ、貴様!」


 彼らはアナスタシアの姿を視認した瞬間、武器を抜き放ち、一定の距離を保って立ち止まった。


「我々は急いでいる! 今すぐそこをどけ!」


 だがアナスタシアは動かない。

 獅子のマスクから白炎が静かに漏れ出すだけで、彼女は微動だにしなかった。


 まるで街道に生えた一本の樹のように、そこに立ち続けている。


「おい、聞こえてんのか!」


 苛立ちを隠せない男が前に出る。

 剣を構え、威嚇するように刃を軽く振りながら。やがて剣の間合いにアナスタシアの身体が入る。


「────」


 それでもアナスタシアは反応しない。

 ただ紫紺の双眸だけが、冷たく彼らを見据えていた。


「おい、さっさと殺して先を急ごうぜ」


「なんなら道中の愛玩奴隷として、その女も連れて行かねえ?」


「おー、それは名案だ。オレ賛成~」


「殺すのはやめだ! そいつを捕まえろ!」


 多勢に無勢とでも思っているのか、お気楽なことを宣う男たち。

 それに賛同したのか、アナスタシアの目の前にいる男は振りかざした剣をゆっくりと降ろした。


 その瞬間──アナスタシアが動いた。


「──ぐへぅ!?」


 アナスタシアの細い右手が男の首を鷲掴みにし、反応する間もなく頸椎ごと握り潰す。

 ゴキュ、という水気の混じった鈍い粉砕音が、昼の空に大きく木霊した。


「簡単には逝かせません。本当の寸止めを堪能させて差し上げます。喜びなさい。あなた方のようなゴミクズには贅沢すぎるご褒美なのですから」


 どちゃりと足元に転がる肉人形には目もくれず、目の前で狼狽する男たちを見渡し、冷ややかにそう告げた。


 獅子のマスクから白炎が静かに揺らめく。

 男たちは一歩、また一歩と後退する。恐怖が支配し始めていた。

 だが──、


「このクソアマがァァアアアアアッ!!!!」


 一人の男が恐怖を振り切るように叫び、剣を振りかざして突進してきた。


 その刃がアナスタシアに届く直前──、



「──遅い」


 彼女は僅かに首を傾け、剣を躱す。

 そして男の腕を掴んだ。


 ボキャリ、という乾いた音と共に、男の腕が逆方向に折れ曲がった。


「ぎゃああああああああッ!!」


 悲鳴が響き渡る。

 アナスタシアは折れた腕を掴んだまま、男を地面に叩きつけた。土埃が派手に舞い上がる。

 だが、それだけでは終わらない。


「ごぶふぁッ!!」


 微塵の躊躇もなく、ハイヒールで男の耳を穿つ。

 舗装路のように硬質な街道がいとも容易く破砕され、男の顔が地面に埋まった。


「これではウォーミングアップにもなりませんね」


 あらぬ方向に折れた腕をさらに捻ってから、手を離す。

 それから彼女は何事もなかったかのように残りの男たちに視線を向けた。


「散開しろ! 囲め! 一人ずつじゃ勝てねえ!」


 リーダー格らしき男が叫ぶ。

 生き延びるためには戦うしかない。逃げたところで逃げ切れる保証もないし、逃げ帰ればファミリーにケジメとして殺される。


 誰もがそれを理解していた。

 男たちは素早く行動に移す。アナスタシアを中心に円陣を組んだ。

 前後左右、四方八方から同時に襲いかかる算段だ。


 残るは十八人。


「野郎ども、かかれェッ!!!!」


 十八人が一斉に地を蹴った。

 剣、斧、槍──あらゆる武器が殺意を纏い、アナスタシアへと迫る。

 

 足音、怒号、金属の風切り音が交錯する中、彼女は静かに目を閉じた。

 身体の中心に膨大な魔力を集束させる。瞬間、心臓がドクンと強く脈打った。


「──烈炎獅吼ソル・レオニス!」


 宣言と同時に魔力体の炎獅子がアナスタシアの背中に浮かび上がり、灼熱の白炎となって彼女を抱擁する。

 白炎は彼女の両腕に集束し、まるでタトゥーのように炎獅子を模した紋章が、手の甲に刻まれた。


「死ねェェ──っ!!」


 右横から長鎗の刺突。


「────」


 アナスタシアは一瞥もくれず、上体をわずかに反らした。

 槍の穂先が彼女の顔の前を通過し、虚空を穿つ。


「────っ!」


 眼前には槍の柄。真横には男がいる。

 彼が慌てて槍を横薙ぎに振るうより早く、アナスタシアの燃える手が男の手首を掴んだ。


「ぐぁぁあああああああッ!!」


 白炎が肌を焼き、血肉を焦がす。

 瞬時に骨まで到達し、手首から先がボトリと地に落ちた。


 槍を支える手がひとつ消え、槍の穂先が大地に鋭い口づけをする。

 それでも男は槍から決して手を離さなかった。


 だからアナスタシアは槍を蹴り上げ、前のめりに崩れた男の鼻面を右肘で穿った。


「ぐぼはぁ!!」


 男の身体が宙を舞い、背後の仲間二人を巻き込んで倒れた。


「────」


 アナスタシアは蹴り上げた槍を華麗にキャッチし、白炎を纏わせる。

 それから大きく一回転しながら大薙ぎ一閃。刹那、神々しい光輪がアナスタシアの周囲に瞬いた。


「ひ、怯むな! ただの虚仮脅こけおどしだ!」


「その度胸だけは認めて差し上げましょう。まあそれでも、ゴミであることに変わりありませんが……」


 戦意を失わぬ相手に僅かな感心を抱きながら、アナスタシアは燃ゆる槍を硬い大地に深く突き刺す。


 槍の石突を強く握りしめ、槍を主軸に宙を変幻自在に動き回る。

 それはまるでポールダンスと徒手空拳を融合させたような、妖艶にして苛烈な乱舞であった。


 柔軟に撓る槍に全身を預け、鞭のようにうねる音速の蹴りを放つ。

 武具が砕け、臓腑が潰れ、骨が折れる。たった一撃。命中するだけで敵が次々と沈んでいく。


「あの範囲に入るな! 範囲外から攻撃だ!」


 距離を取って遠距離から襲おうとしても──、



「──無駄です」


 彼女にとって、間合いなど関係なかった。

 槍を駆使して蓄えた遠心力を推進力に変え、矢の如く敵に突撃した。


「うぁああああああああっ!!!!」


 大地が爆ぜた。

 轟音と共に白炎が噴き上がり、砂塵が舞い上がる。


 その中から何かが飛び出した。

 人の形をしていたそれは、街道脇の木に激突し、枝に貫かれてぶら下がる。

 草原にもんどりうって倒れた男たちは、体中の関節が異様な方向に曲がっていた。


 だが、まだ息がある。

 瀕死の重傷ながら、誰も息絶えてはいなかった。


「────」


 アナスタシアは倒れた男たちの間を静かに歩く。

 そして一人の前で立ち止まった。


「うぅ……」


 その男だけは違っていた。

 腕と顔に軽い火傷があるだけ。骨は無事で、致命傷には程遠い。


「あなたには使者になっていただきます」


 アナスタシアの紫紺の瞳が、男を冷ややかに見据えた。


「今から私の言うことを一言一句間違えないように記憶し、それをあなたの主人ボス──ヘクター・バルグリッドに伝えなさい」


 その場にしゃがみ込み、火傷で真っ赤に腫れ上がった男の顔を手で掴む。

 顎を持ち上げ、強引に視線を合わせた。


「────っ!」


 吐息が届くほどの至近距離。彼女の美貌に男は思わず息を呑む。

 白炎迸る獅子のマスクで顔の下半分が隠れているとはいえ、それでも艶やかな色香は隠し切れていなかった。


 そんなこととは露知らず、アナスタシアはゆっくりと告げる。


「あなたの商売は我々アヴァロニア金融が潰しました。麻薬の原料農場は朝刊の見出しの通り、全て焼き払いました。麻薬の製造工場についても竜王国に場所をリーク済みです。いずれそちらも潰れることでしょう。ああ、それから──」


 思い出したように一瞬目を見開かせ、彼女は続けた。


「──あなたの負けだ、ということも抜かりなくお願いしますね?」


 伝え終えたアナスタシアは都市方面へ歩きながら、“炎獅子の威光レオ=ドミヌス“を静かに解除した。

 そして防刃革手袋グローブを外し、パンツのポケットに仕舞う。


 その一連の動作は、まるで儀式のように実に丁寧で美麗だった。

 無駄のない所作の中に、彼女の矜持が透けて見える。


「まさか、マスクひとつで終わるなんて……全く、拍子抜けも良いところですね」


 吐露する声には、予想を上回る手応えのなさと、深い不満が滲んでいた。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「──お見事。流石は俺のアナだ」


 戦闘の一部始終を、アナスタシアの視点から観測していた俺は、ひとりぼっちのオフィス内で感嘆の声を上げた。


 軽い拍手で、彼女の健闘を讃える。

 やがて、その拍手の音も、オフィスの静寂に溶けていく。


 窓の外からは、微かに正午を知らせる鐘の音が聞こえてきた。





 ──すべてが計画通りに進行している。


 俺はその実感を胸に抱きながら、椅子に身を沈ませ、静かに微笑んだ。

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