方舟戦記~金融街の帝王~

ゆきやこんこ

一章 ヘクター・バルグリッド

第一節 『熱烈な歓迎』




「──ひどいな、これは」


 俺は目の前に広がる惨状をただ茫然と眺めながら、呟くようにそっと口にした。


 机、椅子、本棚、花瓶、燭台などの小物類。

 店内にあるすべての物が破壊され、床の至る所に散らばっていた。


「金庫は流石に破壊できなかったか。丸ごと持ち去られてる」


 よくもまあ、あんなに重たいものを……。

 その執念、いや、欲深さに、逆に感心してしまう。


「金が盗まれる分には別にいいんだが……」


 俺は荒らされた部屋の中で、唯一綺麗に整えられていた場所へ向かう。

 そこには、壁掛けの絵画が金の額縁に入れられて飾られていた。


「まあ、そうだよな」


 山積みの金貨の上で寝そべる白猫の絵画。

 それをそっと壁から取り外す。裏側の壁を確認した俺は、予想通りの光景に思わず、ため息混じりの声を漏らした。


 白い壁には、大きな四角い窪みだけが残されていた。


「本命はこっちか」


 他はあからさまに荒らされている。

 にもかかわらず、ここだけは荒らされていなかった。

 不自然かつ不可解な光景に、俺はすぐにこれが計画的犯行であると確信した。


「顧客リストや借用書が盗まれたのは痛手だな。さて、どうしたものか」


 犯人の正体は不明。人数も分からない。

 犯行予想時刻は、おそらく昨日の深夜零時から朝六時までの間。


 この荒らしよう。明け方はあり得ない。

 大金の入った金庫を持ち出すだけならまだしも、壁に埋め込まれた金庫も盗んで行ったのだ。


 壁金庫周辺を綺麗に掘る時間を考えると、明け方では到底間に合わない。


「おはようございます、アダム様。これは、随分と派手にやられましたね」


 突如、女性の声が背後から届く。

 振り返ると、そこにはパンツスーツ姿の女性が静かに佇んでいた。


 壊れた両開きの扉を手で優しく支えつつ、荒廃しきった店内を順繰りと見つめている。


 彼女の名前は、アナスタシア・コル・アニル。

 俺が営む金融の従業員第一号で、彼女には主に債権回収を任せている。


「おはよう、アナ。まさかこんな弱小金融を狙うモノ好きがいるなんてな。流石に予想外だったよ」


 金銭目的の強盗くらいは、いずれ来るだろうな、とは思っていた。

 しかし、まさか顧客リストや借用書まで狙われるとは……。


「ですが、ご安心を。こんな事もあろうかと、本物の顧客リストと借用書は私が直接管理しておりました。あの金庫には、架空の顧客リストと借用書が保管されているだけです」


「……え? 何も聞かされていないんだが?」


「申し訳ございません。お伝えするのを忘れておりました」


 淡々と事務的な会話をするアナスタシア。

 その謝罪には一切反省の色は見えなかった。けれど、そこに怒りは一切湧いてこない。


 情報共有がなかったことに驚きはした。

 しかし、別にあろうがなかろうが、正直どっちでも良かった。


 何故なら──、



「──贋作を掴ませたってことは、犯人の居場所も把握済みってことだよな?」


 これから俺たちが行う事に、本物も偽物も関係ないからだ。


「はい。すでに把握済みです」


 アナスタシアはすぐさま首を縦に振った。

 濡れたように美しい黒髪のポニーテールが、身体の動きにつられて僅かに揺れる。


「犯行グループは現在、港湾地区の倉庫街にいるようです。場所はD区画の104番地。ここから徒歩で一時間ほどの距離ですね」


「すぐに馬車を出してくれ。馬車なら二十分も掛からないはずだ」


 道の混雑状況にもよるが、ここは遊戯都市国家ラノベガス。

 眠らぬ街と言われるだけあって、早朝は観光客も都市の住民もほとんどがまだ夢の中にいる。

 この街では基本、昼前まではそれほど混雑しない。

 ただし、一部例外もあるが──。



「──申し訳ございません、アダム様。渋滞にハマりました」


 どうやら今日は、イベントがある日らしい。徒歩の方が早く着いたかもしれない。


「悉くツイてないな、今日は」


「そういう日もあります」


「今日に限ってはあってほしくなかったけどな」


 御者台に座るアナスタシアと他愛もない話を交わしながら、俺は車窓から大勢の人でごった返す街並みを静かに眺めていた。




     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 馬車が港湾地区に入った時、遠方から魔力反応があった。

 魔法を発動する前の予備動作──魔法陣の展開と口頭詠唱である。

 残念ながら車内にいる俺には聴こえなかったが、どうやら御者台に座るアナスタシアには聴こえていたようだ。


「──火炎球ファイアーボール!」


 刹那、紅蓮の炎球が馬車を襲う。その数、四発。

 何の防御魔法も付与していない馬車は、たちまち灼熱の火焔に呑まれる。

 馬車は黒煙を巻き上げて炎上。だが、俺たちは火焔に包まれながらも、ただ平然としていた。


「随分と熱烈な歓迎じゃないか」


「どうやら向こうは対話を設ける気はないようですね」


 俺の心は久々に踊っていた。


 だが、アナスタシアの表情には何の変化もない。

 債権回収の現場で裏社会の連中を何人も葬ってきた彼女にとって、これくらい日常の一部に過ぎないのだ。


「やはり裏社会というのは面白いところだ。利益のためなら手段は選ばない。向こうが力に頼るというのなら、こちらも相手の土俵に乗ってやろうじゃないか」


 俺は不敵な笑みを浮かべながら、燃える馬車内でゆっくりと席を立った。


「では、私は外にいる連中ゴミを掃除します」


「ならば、俺は倉庫の中にいる連中を始末しよう」


 息の合った役割分担だ。

 アナスタシアの気配が消え、遠くで数名の命が散った。


 この目で確認するまでもない。

 魔力探知が敵の位置を告げ、その反応の一部が消えた。彼女の見事な仕事ぶりは、それだけでも十分伝わった。 


「さて──」


 俺は馬車のドアノブに手を掛ける。

 それは轟々と燃える炎によって熱々に熱されていた。ジュウ~という音と共に、煙が手元から上がる。

 だが、俺はそれを意に介さず、そのまま扉を開いて外に出た。


「倉庫は正面のあれか」


 倉庫が立ち並ぶ道路の突き当りにある、ひときわ大きな倉庫。

 そこの巨大な門扉シャッターの上に黒い文字で『D-104』という番号が振られていた。


 アナスタシアの情報が正しければ、あそこに俺たちの金融に牙を剥いた連中が潜んでいるらしい。

 まあ、彼女の情報が間違っているなんてこと、百万にひとつもあり得ないが。


「熱烈な歓迎の礼だ。ありがたく受け取れ」


 言いながら俺は右手を前方に掲げ、掌に黄金の魔力を迸らせる。

 そして──、



「──聖絶の神盾アイギス!」


 倉庫の門扉シャッターと同じ大きさの巨大な魔力の盾は、まるで太陽と見まがうほどに神々しさを放っていた。

 そしてそれは彼らが放った火炎球ファイアーボールのように、直線状にある全てのモノを消し飛ばしながら、道の先にある大倉庫を爆散させた。


「少しやり過ぎたか。生存者がいてくれればいいんだが……」


 あばら骨のようにひしゃげた鉄骨だけが残る大倉庫に辿り着くと、そこには瓦礫がれきの山があるのみで、辺りに人影はおろか人の形をしたモノすら見当たらなかった。

 

「ぅ、うぅ……」


 だが、唯一損壊具合が軽微だった場所から、かすかにうめき声が聞こえた。


 声のした方へ歩いて行くと、そこにはまだ年若い青年が倒れていた。

 歳の頃は二十代前半だろうか。


「今日はツイてないことばかりだったが……ようやく運が巡ってきたな」


 ちょうど目を覚ましたようだし、折角だからここで尋問するとしよう。


「ぐぁあああああっ!! あ、足が! 俺の足がぁぁああああっ!!」


 瓦礫に押し潰された足を必死に引き抜こうとする青年に、俺はそっと近寄り、肩に軽く手を置いた。


「…………」


 青年は痛みを忘れたように沈黙し、まるで人形のような無機質な表情で、静かに俺を見上げた。


「君には黙秘権がある。俺の質問に答えるも答えないも、君がすべて決めろ。もちろん、拷問をするつもりもない。だから安心してほしい」


 俺は最高のビジネススマイルを浮かべて、青年にそう告げた。

 とってもにこやかで、フレンドリーに。

 やさしいやさしい声色で。


「いや、そうも言ってられないか。その足、かなりの出血だ。一時間もしないうちに君は失血で死ぬだろう。早めに足を引き抜くか、切断するか、選ばないとな。でも痛いぞ~? 切断は。だがまあ、俺の質問に素直に答えるなら、五体満足で家に帰してやってもいい」


「た、助けてっ!! 助けてくださいっ!! お、俺はただ雇われただけで……っ!!」


 震える両手で俺の両肩を掴み、必死に縋る青年。


「雇われた? 誰に」


「そ、それは、分かりませんっ!! 本当ですっ!! 分からないんですっ!! カジノで全財産擦って絶望してたところに、ヤギの悪魔の仮面をした男が現れて、割のいい仕事を紹介してやるって言われてここに来ただけなんですっ!!」


 山羊の悪魔の仮面……。

 なるほど。そういうことか。


「ありがとう、少年。君のおかげで黒幕が判ったよ」


「えっ!! 本当ですかっ!! そ、それじゃあ、俺は家に帰れますかっ!?」


「ああ、帰れるとも」


 泣いて喜ぶ青年に、俺はにこやかに微笑んで何度も頷いた。

 そして──、











「──君の亡骸からだはな」


 それが、彼の最後の記憶となった。

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