【第一部】エンドロールはありません。

夏野夕方

☆序章(1)

 いつもの朝だった。変わったことと言えば、夏休みが終わってすぐだったから、少し憂鬱だったくらい。しかし、そんな憂いも、スマートフォンのアラームを止めて、カーテンを開ければ、すぐに吹き飛んだ。学校には話の合う友人もいたし、面倒だった課題もきちんと終わらせたからだ。

 階段を駆け下り、自分で焼いた食パンを齧ると、身体にエネルギーが入ってくるのがわかる。テレビの特集に夢中で家を出る時間が迫っていることに気がつかず、母親に注意されてから慌てて食器を洗って、身支度を済ませて家を出るのも、日常が帰ってきたと感じる。

 母親と同時に家を出て、家の施錠と「行ってきます」を投げる。「行ってらっしゃい」と返ってくる前に、バス停へ足を踏み出した。バス停へ着くと、スマートフォンに通知が入った。親友からだった。笑みを零しながら、文字を打ち込む。会話のラリーが五回ほど続いた後、顔を上げると、自分が乗るバスがやってきた。バスが到着すると、少し冷たい空気がドアから降りてくる。重たいスクールバッグを肩にかけながら、バスのステップを踏む。久しぶりに定位置に立ち、念のため腕時計で時間を確認する。バスの扉が閉まり、動き出した。

 ――午前七時五十八分。いつも通りだ。

 高校二年生の彼女は、吊り革につかまって、いつも顔を合わせる乗客を確認しながら、無線イヤホンを装着し、音楽プレーヤーでお気に入りのプレイリストを再生した。

 そこら中から吹き出るため息に頭を重くしていると、バスの急ブレーキで、持っていた音楽プレーヤーが、手から滑り落ちた。

 ――あっ。

 落ちていった音楽プレーヤーを追うと、隣で同じように音楽を聴いていた人の足元にある、開いているスクールバッグの中に入ってしまった。

 思わず目を覆ってから、軽く自省してスクールバッグの持ち主である男子高校生に話しかける。

「す、すみません」

 白いヘッドフォンをしている彼の白いシャツの袖を軽く引っ張ると、視線が合った。彼女は、手を合わせて申し訳無さそうな表情を作る。彼は状況を察し、ヘッドフォンを外した。

「すみません。あなたの鞄の中に私の音楽プレーヤーを落としてしまって……」

「俺の鞄の中に?」

「……はい。たぶん」

 彼は開きっぱなしにしていたスクールバッグの中を、わざわざしゃがんで探した。

 しかし、彼が彼女の音楽プレーヤーを取り上げた瞬間、バスが緊急停止し、車内が大きく揺れたため、彼女は彼の頭を守るように、覆い被さった。

「だ、大丈夫ですか?」

 腕の中にいる彼に問うと、瞬きしながら頷いた。男女は互いに礼を言い合いながら、立ち上がった。彼女が自分の音楽プレーヤーを受け取るため、彼の手に触れた瞬間、激しい衝突音と、爆発音が車内を満たした。

 午前八時四分。運転手を含む二十五人の命が潰え、三人が重症を負った。何人かの体は、骨も残らなかったという。


 瞳を開いた時、そこは自分の知っている『世界』ではなかった。まず、空気。植物から出る自然の匂いと、澄み切った朝の匂い。

 違和感を確かめるべく、身体を起こすと、さらに脳が困惑した。見慣れない壁の色、カーテン、窓の大きさ。身につけている服や、髪の長さや色が違う。髪を触る手の形や、爪の形に至ってもそうだ。

 そして、こうして呼吸している間にも情報は加算され、元々持っていた『世界』の情報が薄れていく……。

「これが、転生……?」

 辿り着いた答えは、自分が一度死んでいるということだった。

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